最近感じること。
誰もが、他人から『丁寧に扱われたい』と思っていると思う。
『大切な人』だと敬われたい。
『重要な人』だと思われたい。
『ぞんざいな扱い』を受けたくない。
大きな仕事をしたい。
偉くなりたい。
命令されたくない。
人から指図を受けるのではなく、人に指図をする人になりたい。
etc....
人の欲って、果てしない。
つまり。
人として、丁重に扱われたいんじゃないか。
と感じるけふこの頃。
でも時として、自分を大きく見せたいがために、他人をないがしろにしたり、一段低くおくことで自分を大きく見せようとする。
絵を描くときの図もそうだけど、小さなものの隣に大きなものを置くと、比較対象として目立つ。
が。ちょっと待て。
果たして、自分を大切に扱うがために、他人をないがしろにしていいのだろうか?
自分のために、他人をつかっていいのだろうか?
――――――個人的な答えは、『No』だ。
あるいは。
丁寧に扱われたい、と思っている人は、自分自身を丁寧に扱っているのだろうか?
自分の身体、ちゃんと丁寧にいたわっているだろうか?
自分自身を丁寧にあつかうことで、『丁寧に扱う』ということの方法がわかり、他人にも、物にも初めてそういう扱いができるのでは?
尊重する、って、そういうこと。
ちなみに、モノの場合。
本物は雑な扱いを拒否する。
すぐに壊れたり、ダメになったりする。
シルク素材を洗濯機で洗ったら、一発でダメになるのと同じこと。
案外、わかりやすい。
壊してはじめて、わたしは丁寧な扱いというのを学ぶのでした。
最近のわたし。
小さいときから、本物に触っている人は、そういう物事の道理を自然に学ぶのだろうな。
だから、周りからも大事にされて、ますます良い循環で動ける。
ということに、納得します。
はて。
周りの人を、丁寧に扱う。
「尊重」する。
仕事でも大事。
いつもより、2秒、長く頭を下げてみる。
モノを手渡すときに、両手で渡す。
音を立てないで歩く。
道を譲る。
話すときは、目線を合わせる。
上からではなく、下から相手をみる。
敬語を使う。
など。
相手を、立てる。
どんなに納得がいかないことでも、ものすごく腹の立つ相手でも、彼(彼女)の面子を立てること。
最後に責任を取るのは、彼(彼女)だから。
そうやってやっていると、自然と相手からも返ってくるもので。
不思議と社内が歩きやすくなる。
普通に歩いていても、誰かとぶつかったり、というのはほとんどなくなるもの。(相手もよけてくれるから。)
ちなみに、お仕事でありがち且つNGだなあと思うのは、意図的に相手の面子をつぶすこと。
ソレ、やったら倍の力で戻ってくるから。
と、思いながら見てるのですが。
お仕事は感情じゃなくて、システムでするものだと思う。
大きなお金を動かしたり、稼ぐ人っていうのは、それだけの労力を使っているということを実感するのでした。
稼ぐってことは、それだけの付加価値を提供するってことなんだよね。
オジサマがたや、革新的ボーイズはホントに大変なんですね。
ふふふ。
そんな周りに守られて仕事をできる環境に、感謝です。
物事には「道理」が必要。
なんて。
粗雑に自分の身体を扱いがちな最近、自身の身体から猛烈な復讐をされてます。
ごめん、といいつつ、易きに流れがちなので、そろそろ断ち切らなければ。