読書とわたし。
最近、いろんなところで読書のHow to本が流行ってる気がする。
速読、遅読、etc....
正直なところ、さっぱりわっかんない。
だって、そんなの好きに読めばいいじゃん????
それがわたしの感想なんだけど。
読書はたいていこの方法なんじゃないの?
1)流し読みする
2)好きか嫌いか判断する
3)じっくり読む
4)読み返す
大事なのは、嫌いなものは読まない!
読んだら嫌いになるから。
だから流し読みまで入れるとかなりの数読むことになるような気がする。
そんな私は、本屋が大好きで、暇になると本屋にいたりする。
意外かも知れないが、わたしの趣味のひとつに読書がある。
14歳というリアル思春期真っ只中からだから、もうずいぶんな時間が経った。
思春期。
心と体のバランスがうまくいかなくて、売っても売ってもありあまるエネルギーを放出するのにわたしが選んだ方法が単に読書だったのだ。
ちょうどそのころ、PCやインターネットが流行はじめていて、わたしはそのオンラインの住人の模範生みたいなもん(笑)
チャットでのお兄さんやお姉さんたちとのおしゃべりと、とサイトの作成と、小説とかエッセイとか書くのと、掲示板Loveみたいな。
昼夜ひっくり返った生活で、授業はいっつも爆睡なんてよくあること。
そりゃそうだよね。
夜中起きてるんだから。
そんな感じの毎日で、もちろんその名も『ひきこもり』の優等生といっても過言じゃないと思う。
(学校行ってたから、それだけはまともだったか。)
ひきこもり、とかインターネット、とかって読書とたぶん相性がいい。
なぜなら思い浮かんだことを文字にするのが格段に早くなったから。
文字に逃げられる機会が減ったのだ。
つまり、文字にできる機会が格段に増えたんだよね。
さて、そんなことはどうでもよくて。
読書について思うこと。
そうそう。
それまでも、椎名誠とか、シャーロックホームズのいくつかの本、とかそこそこ本は読む方だったんだけど、本格的に読み始まったのは”よしもとばなな”。
わたしの世代はきっとそういう人も多いんじゃないかと思う。
朝読書で読んだキッチンの、”ここを過ぎたら永遠のフレンドになる。”といったような文章が強烈に飛び込んできて、一気にばななを読むようになった。
それから先は、しばらくよしもとばななばっかり。
本当によくも飽きずに読んだもんだ。
(わたしの性格は、往々にして凝り性なので、ひとつのことを飽きるまで続ける傾向がある。そして、ある日突然、ぱたんとやめる・・・・笑。ほんとうに、ぴたりと。)
『キッチン』を筆頭に、『NP』、『白河夜船』、『哀しい予感』、『TSUGUMI』、『とかげ』、『ハチ公の最後の恋人』、『うたかた/サンクチュアリ』、『アムリタ』、『ハードボイルド/ハードラック』、『マリカの永い夜 バリ日記』『SLY』『ハネムーン』『身体は全部知っている』『不倫と南米』、エッセイの数々。
そこから村上春樹に広がって、やっぱりこれも既刊を順に読んで行った。
『ノルウェイの森』『1973年のピンボール』『風の歌を聴け』『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『羊をめぐる冒険』『国境の南、太陽の西』『海辺のカフカ』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『神の子供たちはみな踊る』『遠い太鼓』(←今でも超好き!)など、既刊になっている小説やら、図書室においてある全集をとかく読み耽った。
(しょっちゅう読み終わらずにあるいは、気に入って何度も読み返していたので延滞してたけど。幸いなことに、わたしの通う中・高にはそんなもの読もうという人はいなかった。卒業してからもしばらく図書カードには私のほかになかったから。)
このあたりを読み終わる頃には、もう活字を読むのが苦痛じゃなくなってきてた気がする。
そこからもしばらくわたしの現代文学の旅は続く。
辻仁成、北村薫、恩田陸、宮部みゆき、江國香織、村山由佳、有栖川有栖、村上龍、山田詠美、、、、、
そこからフィーリングが合う作家がでてこなかった。
あたりとはずれを繰り返しながら、手に取って手探り的な感じで読んでいった気がする。
ので、読んでいたのが綿谷りさ、金原ひとみ(ちょうど芥川賞の時代だったから)、石田衣良、島本理生、本多孝好。
それから、ちょうど現代文で教科書を使わなくなったのも相まって、歴史をさかのぼって近代文学へ。
森鴎外の『舞姫』、志賀直哉の『城崎にて』、横光利一『機械』、芥川龍之介『羅生門』、『夢十夜』(あれ?芥川だっけ?まいっか。間違った。漱石だ。わたし漱石好きじゃないから正しく覚えてなかったのかしら。)、夏目漱石『こころ』。
この辺を授業でやって面白くて更に読み進めた。
ちなみに、夏目漱石はその前の年に『吾輩は猫である』を読むのが夏休みの課題だった。
強制されるのが嫌いなわたしは、とりあえず読もうと試みたんだけど、3ページ読んで読むことを諦めた。
あまりに長すぎて、退屈すぎたから。
休み明けの期末テストはオール『吾輩は猫である』が出題されて、解けなかったことは想像に難くないと思う(笑)
最後猫がどうなったか書けって・・・・!
知らないよ!!!!読めなかったもん!
今なら読めるかもしれないけど、いかんせん、あの小説だけはわたしの中でトラウマになって以降、わたしは漱石嫌いなのだ。
読み進めたのは、川端康成『伊豆の踊り子』、谷崎潤一郎『刺青』『痴人の愛』(高校生がこんなの読んでいいのか?と思ったけど、今でも好きな作品で、好きな作家のひとり。)『細雪』、横光利一『上海』、志賀直哉『暗夜行路』、太宰治『走れメロス』『女生徒』『お伽草子』『斜陽』『人間失格』『桜桃』。
石原慎太郎『太陽の季節』、石坂洋次郎『あいつと私』『陽のあたる坂道』(この辺は寄り道な感じ。読もうとおもって読んだというよりあったから読んだが正しい。)
大学に入ってからは更に時間ができたので、近現代文学を読み進めた。
三島由紀夫『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』、坂口安吾『堕落論』。
この辺でいったん飽きて、近現代文学休憩。
今でも思っているのは、ここまでいったら、有島武郎だろ、と思うのだ。
有島武郎『或る女』と『カインの末裔』は時間を作って読みたいんだけど、のんびり小説っていう感じの時間ってないからなあ。
その後しばらく村上春樹とよしもとばななの読み返しと、新刊を読み出した。
頭の休憩って感じ。
よしもとばなな『王国 その1』『虹』『アルゼンチンババア』『デットエンドの思い出』『ハゴロモ』『なんくるない』『チエちゃんとわたし』『High and dry(初恋)』『海のふた』『みずうみ』『イルカ』。
そこまで読んで初めて、サリンジャーの『Catcher in the Rye』、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、レイモンド・カーヴァー短編集(この辺は明らかに村上春樹カラー)。
大学の授業でもとっていたのでその辺もある。
カポーティーの『ティファニーで朝食を』とかも好き。
ギャツビーは村上春樹の訳で読んでみたいなあ。改めて。
こんな感じで読んでいった。
そしてある日突然、新書に目覚めた。
mixiで書いてるレビューなんかはまさにこのあたり。
見てると結構新書が多い。(気がする)
ああなんか長く書いて書き疲れてきた。
かれこれ90分もコレを書いてる。
でも書きたくなることってある。唐突に。
今日はそういう気分。
エンドはもうすぐ....
最後に新書の山に最近加えているのがこの3作家。
真山仁『ハゲタカ』『バイアウト』『レッドゾーン』『連鎖破綻ダブルギアリング』『虚像の砦』『マグマ』『ベイジン』
真山作品は、特に就活の時に読んでいて、頑に大嫌いだったこの業界を少しだけ好きにしてくれた。
大学も後半になってくると、どういう心境の変化か、新書ばっかり読んでいて、ソニーとかホンダとか松下とかGEとか外資系とか、花王とか。
とかくわたしは本としてはものづくり業界が好きなのだけど、どうやら自分には向いてないらしいとようやく納得する今日この頃。
大学の図書館で何が一番よかったかって、日経ビジネスを持って帰ってOKだったことかも。
毎週バックナンバーを借りて帰った記憶がある(笑)
つまり何が言いたいかって、長々と書いてきたんだけど、読書っていいよね。
以上。
久しぶりに思い出したので、何読んでたんだっけな?って書き出してみたかっただけ。
ついで。
谷崎とか村上春樹とかを好きなオトコのコとは必ずしも話が合う訳じゃないんだよね。
なぜならその系列が好きな人ってもう一意見もってるから、お互いケンカになりかねない(笑)
デートのときには本の話は禁物だなあ。