『情けは人のためならず』

今、どちらの解釈(2通りある)で使われることが多いかわからないけど、割とこの言葉好き。

本来の意味は、

情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い。

のようなのだけど、割と

情けをかけて助けてしまうと、結局その相手のためにならない。(からかけない方がいい、というニュアンス)

という意図で使われていることも多い。

で、なんでそういう解釈になっちゃうかな、と思うのだけど、すごくなんか世相を反映している気がする。

と、いうのは。

この解釈をされ始めたあたりから、個人主義平等主義が蔓延しはじめた気がする。

立身出世じゃないですが、こう、努力して頑張った結果、今の自分の地位がある、みたいな感覚。

だからあなたも頑張りなさい、みたいな。

まあ。

何かで身を立てている方、というのは当然努力はしているのだけど。

運とか努力の方向性を間違わないとか、その他の要素も実はいろいろあるよね。

頑張ってない人にぎゃんぎゃん言われるのはむかつくだろうけど、同じことしてもそうはなれない人もいる、ってことにそろそろ気付いてもいいんじゃないの?

いい大人なんだから。(と声を小さくして言ってみます。)

自己啓発本は読むと楽しいのだけど、こうした、「〇〇したから成功しました。だから、こうしたら成功します。」という内容が多くてちょっとうんざりすることがある。

最近は、その反動か、こういう失敗をした、という失敗談を多くのせる本もでてきていて、こちらの方がためになるのかな、と思う。

話がとびとびですが、思い出したので。

よく言われるのは、実力主義がいいとか、消費税の増税反対とか、そういうのに賛成する方というのは実は2種類いる。

①実際にそれが適用された方が現状都合がいい人

②実際にそれが適用されると損をするんだけど、(いい面しか見ないので)自分が損をすることに気付いていない人

①の人はいいんだけど、賛成の多数派の実は②の人、っていうのはやっぱり想像力が欠落しているのかな。

うーん。

ということを昔実際に見せてもらって、自分のことで考えてすごくわかりやすかったので、やっぱり解決していく事案が大きければ大きいほど、方向性を見失いやすい気がする。

やっぱり、せいぜい半径500mくらいの自分のことを解決していくことがまず大事なんかな、と個人的には思います。

自分のことすら決定できなかったら、大きなことって決定できるわけがないんじゃないの?

と、自戒をこめて。

ただ、自分のことを決めていく、という作業は現状の自分を見なければいけないし、肯定していくことからはじめないとどうにもならないので、しんどいんよね。

そんなしんどいことするんだったら、おっきなこと考えてた方がらくだし楽しいのよね。

はぁ。

で、なさけはひとのためならず。

結局、いろいろあるけれど、巡り巡ってやったことは倍くらいになって自分の手元に戻ってくるような気がします。

だからすごく疑問なのは、まともな人ばかりを採用しているはずの会社で傘がなくなる(steal)とかってあり得ないと思うんだけど...

(残念ながら割と頻繁におこる。)

いったいなんなわけ。