iの一期一会

アラサーiの日々のこと。

December 6.

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自分で選ぶ、ということ。

 

 

20代前半の頃、就職活動のとき。

わたしは、たくさんの人に「人生を選ぶ」ということを見せてもらったと思う。

 

 

当時の就活生の多くはスーツを着て、毎日エントリーシートを書いて、通ったところに面接にいって、そこが大きい会社であれば早々にでた内定の中から就職先を決めて、就活を辞めて、卒業に向けてアルバイトと遊びに勤しんでいるーーように見えた。

いいか悪いかはわからない。

多少悩みもあったのだろうと思う。

結構悩み相談もそういえばあった。

けれども、”みんな”はとても早くに、就職先が決まった。

それが、とてもーーー

羨ましかった。

結局のところ、1年半かけて私は私と本質的に向き合うことになり、人よりは長く就活したけれど、それなりに世間でいう”まっとうで大きな”会社に入り、社会人としてのスタートを切った。

はじめは周りより遅れている分頑張らなくては、と気張っていたものの、段々とその環境と待遇に慣れてゆき、いつしか仕事もまわす方へとなっていった。

気がついたら、最年少なのにお局様的な立ち位置にいた。

 

 

就活を始めた当初は、”総合職”(今そんな名称あるのかしら?もはや死語ではないかと思うのだけど、まあ大きな会社にはあるのだろう)として仕事についてばりばり働きたいと思っていたけれど、そうではない待遇で落ち着き、仕事をしていくうちに、これもありかもな、と思うようになった。

 

 

正直なところ、会社の中で、人生の選択をきちんとしている人というのはみたことがない。

みんな何かの大きな流れにのって、そのまま人生を歩いているように見えた。

けれども、会社の外(夜遊び、生け花、その他で知り合った)で会った女性達は、みんな自分の人生を『選んで』生きていることをたくさんみせてもらった。

独立する、退職する、サラリーマンを続ける、結婚する。

いずれにしても、彼女達は、それを自身の手で選び取っているように見えた。

圧倒的な自由と引き換えに、選択したことによって起こる出来事の責任を、きちんとまっとうして生きていた。

そんな背中を見て、わたしも、そうやって生きたいと思い、そうなれるように努力をした。

 

余談だけれども、伝統文化をお稽古ごととしてやろうとする人は、割と高学歴の女性が多い気がする。

学士はもちろんのこと、修士や博士レベルの人が結構ざらにいる。

すごく、きちんと、生きている人が多いのだ。

 

 

段々と緩い環境に慣れてきた自分に恐怖を感じ、息苦しくなっていった。

早く追い込んで、次の段階にいかなければ、と思うほど、今安穏としていられる環境を手放すのが途中からどんどん怖くなった。

はじめから、そういうもの(正しいレール、ちゃんとした福利厚生や保険など)が約束されていない世界で働くしかなければ、こんなにここから降りることに恐怖を感じたりすることはないと思う。

迷って悩んでいるうちに、どんどん、身体が弱っていった。

 

 

どこかまだーーーーーーー。

わたしは、怖がっている。

 

 

一般的に、「よい」といわれるレールをおりること。

そして、わたしを印象づける看板がなくなることを。

そうこうしているうちに、結婚とか出産とかをきちんと考えなければならない年齢になってきて、今降りられずに立ちすくんでいる。

気がする。

やめてしまえばいいだけなのに。

 

 

とはいえ、今の状況を考えると、それも難しい。

少しだけ。

保留にして、もう少しやってみようと思う。

何より、職場に通うことを継続できるのかどうかがあやしいのでは、雇い先もないだろう。

ーーーーー継続する。

そして、新しい環境で生きる。

 

 

何かを、手に入れられる気がする。

もう少し身軽になって、今までの癖を捨てていけるようにしたい。