April 5.ー辞めるためには理由がいる。

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勤務時間は定時。

仕事だってそんなに難しくはない。

 

ーーーただひとつ。上司の意味不明な命令と延々と終わらないぶつぶつに耐えられれば。

 

 

前の職場はそんなだった。

 

 

今の職場もにたり寄ったりではあるけれども、とにかく、当時、私はその上司と相性が悪く、胃腸炎をやる、左側のじんましんができる(上司は左に当時座っていた)、左耳が聞こえない、などなど様々なストレス性と思われる状態が増えていった。

 

調子が悪いなら休めばいいのに、休むと休み明けに呼びだされて面談。

それを考えると、とりあえず調子が悪くても休めない。

ぼんやりすることが増える。

4月は特に、春の嵐で気温の高低差が激しい。

あったかくなったあとに、寒くなったりするともうダメだ。

(寒いのが苦手である。)

駅のホームに電車が入ってくる音をきいて、何度か「これ、ふらっと電車に飛びこんだら、会社に休みの電話をしなくてもいいんだ」と思った。

それをおかしいとも、あまり思わなくなっていった。

結局のところ、飛び込まなかったのは、痛いのが嫌いなことと、後に残ってしまう家族のこと。

後始末させるのは申し訳ないな、と思って、その場を踏みとどまった気がする。

 

 

それでも、私は会社を辞められなかった。

向こうがいるならコッチが動いてやる、と気がついたのは2年くらい経ってから。

それでも、異動先は更に厳しさを増すことを考えるとここにこのままいた方がいいのではないかとだらだらと2年ものあいだ考え続けていた。

 

 

それでも、ようやく、決心がついて、出した異動願い。

 

結局、異動になる前に病院行きになり、仕事を休むことになった。

その2年間、よく考えていたことがある。

それは「辞めるためには理由がいる」ということだ。

 

寿、リストラ、介護、定年。

 

綺麗に辞めるにはこのどれかしかないだろうと思っていた。

当時の私はどうやっても(そういう意味では)綺麗には辞められない。

就職するのはたいへんだったけど、退職するのも大変なんだな、とうっすらと思った。

仕事だって続けたい。

というか、働き続けるのは当たり前だと思っていた。

働かなければ生きていけない。

稼がなきゃ、稼がなきゃ、稼がなきゃ。

それでも、稼げない。

さらに厳しい状況に放り込んだら、自分の答えも出るだろうと思っていた。

 

 

答えが出る前に、私は病気と診断された。

 

 

辞めるためには、理由がいる。

 

と思っていたけど、それすら考えなくていいんじゃないかと最近思っている。

そうなったら、とりあえず、捨てろ。

と言われて、ああ、そうすればいいのか、と酷く納得したのを覚えている。