November 7.ー仕事復帰から辞めるにいたるまで。

うつ→復職→退職 

わたしがたどってきた道のり。

仕事を辞めてから、後悔があるかと言われるとあまりないような気がする。

うつから復職して、退職するまで。

もう一度振り返ってみようと思う。

 

 

退職の理由

退職に至った理由は、6つ。

  1. 体調が安定しなかった(どころか悪化して薬が増えた。)
  2. 人間関係にうんざりしてきた
  3. 社内結婚して噂の的になってうんざり
  4. 配属先が縮小部署(というかもうすぐなくなる部署)
  5. ここにいても出世(はともかく)も給料も上がらないのが見えている
  6. 若手が少ない

 

2、5、6についてはうつになる前から嫌だと思っていた。

そこに、うつで休んでいる間に、会社の方針が変わって突発的に4の事項が発生。

正直、これが退職を決定づけたと思う。

 

 

体調が安定しなかった

正直これは結構びっくりした。

びっくりする方がおかしいのかもしれないけど、復職する時点で思っていたのは、一時的には苦しいかもしれないけど、働き始めて生活のリズムに慣れてきたら、正直以前のように体調も安定していくものだと思っていた。

復職前はそこそこ休めていたし、きちんと朝も起きて活動ができていたから、復職後、毎日がしんどくて(特に通勤時間が1H→1.5Hになったことは覚悟はしていたが辛かった)時短勤務だというのに早くも挫折しそうな気持ちでいっぱいだった。

それは勤務時間が延びても状況は全然変わらなくて、病院に行くと薬の処方が増える始末だった。

結局復職してから辞めるまで、ずっと辛かったイメージしか残っていない。

 

 

人間関係にうんざり&社内結婚で噂の的になってうんざり&若手が少ない

そこそこ、人間関係はうまくやれる方だと思う。

うまくやるのが好きかと言うとそうではないけど、適当にうまくまわすのは得意だと思う。 

上司の評価も、個性的なメンバーが多い中でうまくやっているという評価だった気がする。

 

私のいた部署は平均年齢がおおよそ43歳〜45歳。

社内ではかなり年齢の高い部署だ。

社員もパートさんもだいたい15歳くらい上が平均値で、1番近くて10歳上とかだった。 

後ろ向き且つエグい業務がだったこともあり、若手がここに配置されることはあまりない。

そういう理由もあって、ベテラン社員が配置されていた。

曲がりなりにも7年うまくやっていたのだけど、25歳を過ぎたあたりから段々疲れるようになった。

 

 

25を過ぎてアラサーになると、結婚、出産について嫌でも意識させられる。

実際、部署の女性は社員、パート問わず既婚者で子供がいる人が多かったし、ぱらぱらと育休取得者もいた。

私は結婚も出産も興味がなかったが、その手の話題が女性から振られるたびにうんざりし、度々苦笑いをしながらその手の質問を適当にいなした。

結婚、出産を経験した何人かの人から「結婚、出産はいいものだからぜひやった方がいい」というアドバイスを度々受けた。

そういうプレッシャーは親で十分だと思っていたので、正直かなりうんざりだった。

 

 

男性はその手の質問をするとセクハラになることを理解していたのか、単に興味がなかったのかはわからないが、不愉快になる質問をされたことはない。

 

 

その後、通勤がしんどかったのと余計な結婚のプレッシャーから逃れたいのと、祖父が亡くなりそうだったのとあって、タイミングだと思い結婚した。

そしたら今度は相手の噂やら、結婚した途端に文句を言われるやら......

業務が忙しくないので、元々ゴシップネタが噂をされやすいことは理解していたし、覚悟もしていたが、想像以上にめんどくさい。

これをうまく自分の気持ちの中で整理できなくて、仕事から帰ってきて爆発することもしょっちゅうあった。

 

 

 若手の少なさについては元々思うところがあって、いくら若手向きではないからといって、長く自身が年次が上の方ばかりと仕事を続けていくことに疑問があった。

プライベートではできるだけ若い子達と話すように気をつけていたし、よく街にもでていた。

組織が年を取ってくると段々アイディアが出てこなくなるのと、ルールであれこれしばられて固くなっていくのが好きではなかったのと、時代の流れがわからなくなってしまうことに危機感を感じていた。

別に、ずっとおんなじ昔のままのお化粧でもいいとは思うけど、私は個人的にはちゃんとアップデートしたいのだ。

 

 

配属先が縮小部署

「運と縁は大事」だと思っている。

うつで休職している最中に、部署事情に変化があった。

いずれ解体するとのことである。(早い話がリストラ。)

元々コストセクションだったのは認識していたのでそんなに驚く話ではなかった。

いったいいつまでこの部署をこのまま置いておくのだろう?というのが、直近2、3年くらいに思っていたところだった。

いずれ違う部署に異動になる確率も高いなら、潮時だから異動願いだそうかな、とも。

異動願いは出していたけど、異動の前に倒れた。

これで復職先を違う部署に願い出るのも難しくなった。

新しいことを新しい先で覚えることは、うつにとってストレスになるから。

 

 

完全に復活するまでに半年ーー。

その後にもう一回異動願いをだせばいいか。

と考えていたのだけれど、しかし、このタイミングか。との思いもあった。

別のところへ、と思って考えを巡らせてみても、触手が動くことが思いつかない。

運良く、異動できたとしても、今後腫れ物扱いになるのは目に見えている。

 

 

「仕事を続けたいなら、復職プログラムがあるのなら、そこへ戻った方がよい。」

が、うつから復職するときの定石だ。

そう思って、とりあえず戻ってみたけれど、心の答えは変わらなかった。

 

 

給料が上がらない

直近3年。

額面は上がったけれど、手取りはほとんど変わらなかった。

むしろ保険料とかが上がったせいで手取りは下がった。

フロントセクションじゃないから当然と言えば当然だけど、自身がどういう風に生きていくか考えどころだった。

 ストレスと仕事の責任は増える一方で、このままでいいのか?という疑問が倒れる前から渦巻いていた。

結果をだしていく同年代が羨ましかった。

 

 

いつまでもぐるぐるしたまま、ただただ消耗していった。

 

 

辞める決断

いつまでもぐるぐると考えながら、働いていた。

復職するときには、復職することでいっぱいいっぱいだったものの、働き始めてからなおも自分の中に違和感があった。

復職プログラムが終わる1月前、産業医にはじめて弱音を吐いた。

 

通勤も厳しい、仕事は身体に負担がかかりすぎる。

これから復帰して働いていける自信がない。

思うように体力も戻ってこない。

 

復職する前、復職してからせめて1年は続けようとおもっていたけれど、思ったよりも拒絶反応が強かった。

オマケにタイミング的には結婚してすぐのこと。

旦那ちゃんに言ったら、「辞めちゃいなよ。」。

 

 

私は、会社を辞める決断をした。

 

思えば復職最中は体力的につらく、未来も真っ暗で、この先の自分がどうしても描けなくなっていた。

 

退職を決断して、伝えてからの動きは早く、月初に伝えて月末には退職した。

 

 

退職してからは、嘘のように薬が減り続け、心の調子は安定している。

思えば、辞める前からずっと転職を考えていたから、ようやく辞められて、ちょっとほっとしてる気がする。

しばらく、のんびり。

 

 

次の職探しをしようと思う。