「キッチン」30周年によせて

はじめに

 

たまたまである。

 

iとしてのtwitterアカウントを開設してから、知り合いという知り合いに見られずに気楽に見られる&ひとりごとをつぶやけるので*1、思ったことを気ままにつぶやいている。

 

そんなとき、深夜2時に「あー、全然ねれないわー・・・」と思いながらtwitterをしていたら、こんなツイートを見つけた。

たぶん、フォローしている誰かのリツイートでTL上に流れてきたのだと思う。

 

 

 

私は引越しのための本の断捨離したあとでも、吉本ばなな村上春樹の本を何冊か手元に残すくらい結構なファンで、その中でもキッチンはなんども読み返す本の1冊。

1冊目の文庫本(角川版)はボロボロになるまで読んでいたら、湯船に落としてダメにしてしまったので改めて新潮社版を買いなおしたりしたことも。

 

そんなキッチンが30周年ということで、眠れない真夜中にぽちぽちiphoneでエピソードを書いて当該サイトに投稿したのですが、結構削って書いたのですが400字で収めるには飽き足らず、あまったエネルギーの解消のためにこのエントリーを書いてみました。

 

 

「キッチン」との出会い

キッチンとの出会いは中学生の頃の”朝読書”の時間。

通っていた中学では毎朝HR前に10分、英単語やら漢字やら古語やら数学の計算問題やらの小テストがあって、そのローテーションの中のひとつに朝読書の時間があったはず。

テスト用のノートを作って、間違ったところをやり直して(10回書くとか....)毎週提出しなければいけなかったような記憶があるけど、そういうのが得意じゃなかった私は学期末にまとめて出す式に勝手に変更していて(←こういうのが学習に向かう姿勢×ってなって、成績評価のダウンにつながる)、面倒くさいからバックれてると試験休みに呼び出されて提出するまで帰れないという記憶までが朝読書の思い出。

 

その、朝読書の時間に配られたプリントのひとつが「キッチン」だった。

多感な時期に、色々な種類の小説に触れさせるのが目的だったのだろう。(翌週はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」だった。)

初めて読んだ時は、衝撃を受けた。

 

慣れ親しんだ少女漫画のような読みやすい文章。

主人公の、少し斜に構えた人生を生きる態度と感想。

深く記憶に残る”トンカツ”のくだり(今風に言うと”飯テロ”)。

知っているようで、鮮やかに脳内に描ける情景。

どことなく甘い、ノスタルジー。

 

それらはどれひとつとっても、絶賛思春期真っ只中で中2病を発症していた(たぶんしてたと思うけど、どことなく斜に構えてひねくれた感じはもっと前からだったから元々の性格かもしれない.....)私に、深くささった。

 

まさか、真面目に読まなければならない小説*2デニーズという固有名詞が登場するなんて!

それが小説として読んでいいなんて.....!

 

「キッチン」は私の小説という概念を鮮やかに塗り替えて、読書はもっと自由でいい、と思えるようになったとっかかりの1冊だった。

その後狂ったように”作家読み”を始めて、1人の作家を読み終わったら次の作家、そのまた次の作家という具合に興味がうつっていったので、編読傾向を心配されたような気もするけど、年齢を重ねるにつれて読む本の幅は広がり、読書の傾向も落ち着いていった。

 

 

キッチンの印象の変化

「キッチン」の小説を読んで、もうひとつよかったと思える変化があった。

キッチンという場所の印象が自分の中で変わったことだ。

 

元々、キッチン自体好きな場所ではなかった。

仕事から帰ってきて夜ごはんの用意をする母はだいたい疲れていて機嫌が悪いことが多い。

それに加えて一緒に住んでいる祖父母とキッチンを共有していたので、買っておいたものが冷蔵庫からなくなったり(誰かが勝手に食べるから)、作ったあとに作りっぱなしになっていて片付けなければ使えない状態になっていたりすることも結構あって、イライラしていたのだろう。*3

私ならキレてる.....。

クレイジーな祖母の家事スキルは壊滅的で、ごはんを作るのを手伝いに来るふりをして邪魔しにくるので母とは頻繁にこじれていて、とにかく、実家のキッチンという場所は私にとってめんどくさいことこのうえない魔窟であった。

 

 

親子ゲンカに巻き込まれるのはごめんだったので、長いこと遠巻きに見ているだけだった。

しかし母が調子を崩してからは、これは負担を減らさないと本当に倒れてしまうのでは?と少しは考えを改めて、夜ごはんの準備の手伝いに入るようになった。

はじめのうちは、祖母も一緒についてきて(←私も人のことを言えるほどではないけど、人のことを考えて動けないので動線上に立っていて本当に邪魔。)何もすることなく入り口で立って見張っていたが、1年くらいそれを続けてから、今度は父が早く帰ってきてキッチンに参戦するようになり、狭くなったからか祖母は入ってこなくなった。

 

 

それ以降、私にとってキッチンは料理をする場所でもあると同時に家族で気楽にごはんを作りながら雑談する場所になった。

本人が帰ってきてないときはこっそり父の愚痴を言ったり、「今日の祖父母」の話をしたり(←身内だからイラつくだけで、ひとごとだと思えば結構おもしろい人達なのである。)、学校の話や進路のこと、仕事のこと、就活のこと、結婚の報告.....。

だいじなことは全部キッチンで話した。

だからかどうかはわからないけど、今はキッチンという場所がわりと好きだし、そういう場があってよかったなと思っている。

今の家でも、キッチンはつくりながらなんでも話せる場になればいいなと思っていて、わりとそういう感じになっていると思う。

 

 

 

読まれることはないだろうと思って引用RTしたのですが、なんとご本人からお返事をいただきました♡

とても嬉しいです。

 

 

 

*1:現状、インターネットでの実名登録には個人的に懐疑的な感想を抱いているので、架空の私を”都内に住むアラサー専業主婦のi”という設定でblogとtwitterを運用している。アプリの性質上、facebookinstagramは実名およびそれに近いものとして運用しているが、毒を吐き出しがちなblog&twitterはいまのところ、オープンにする予定はない。両親とかに見つかったら好き勝手書けなくなるしな....。

*2:小学生の頃から平均的にみて本を読む方ではあったと思うけど、偉人の伝記とか世界の名作文学とか宮沢賢治とかシャーロックホームズとか(←多分これはコナンの影響)どちらかというとお堅い感じの読書しかしたことがなかったので、読書とはそういうもんだと思っていた。母親の「あなたの読書は読書じゃない。読書をしているというポーズをしているだけ。」というコメントも読書とは真面目にするものだという考えに拍車をかけた。

*3:同居していたのは母方の祖父母なので母から見れば実の両親だけど、これがまた笑っちゃうくらい仲が悪い。