退職のざらざら

“iは決めるまではぐるぐるしてるけど、決断はすごく早いよね。

見た目はおっとりしていてふわっとした女子なのに、気っ風が良くて、中身は男っぽい。”

 

20代の後半くらいに言われてから、割とよく言われる言葉だ。

ちょっとしたほめ言葉だと思うから、文字に起こすと恥ずかしい気もする。

私にとっての迷いと決断とは、上の言葉に集約されていて、それをそのまま実践して生きてきていると思うのであらためて書いた。

 

 

決断することは別の可能性を捨てることだということに腹落ちしたのは、25歳くらいのころだ。*1

ひとつの選択をすることは、あるかもしれなかった別の未来を捨てていくこと。

選べば選ぶほど、このころは人生がどんどんシンプルになって呼吸がラクになっていった。

決断していくことは、呼吸をするのと同じくらい自然なことだった。

 

そんななかで、1つだけ引っかかっていることがある。

 

退職、である。

 

30歳を迎える直前、表面上は寿退職をしたのだが、私にとってはよろこばしいことではなく、これだけは自分で決断した感覚が全くなくて、ざらざらした感触が自分の中に残っているのだ。

 

 

元々、体力はないけど仕事が好きで、働くことがとても好きで。

私の20代後半の人生は、きゃぴきゃぴした女子の思考をトレース&実践して生きてきたので、周りから見ると不思議に思うかもしれない。

その頃あまりうまくいかなくなっていた仕事をどうやったらうまく回せるかという悩みを解決する手段としてほとんど修行のような気持ちで女子をやっていた。

女子っぽい女子をやること自体はとても楽しいので、今もそれは否定しない。

 

同じ会社かどうかはわからないけど、定年までは働き続けるつもりでいたのだ。

だから、辞める時はとても迷って*2、結局体力や気力の面でポキっと折れた気持ちを立て直せなくて、ずるずると流されるように仕事を辞めてしまった、というのが正しい。

うつ病の休職明けだったこと、社内のオトコとの結婚を選んだこと*3、体力と気力不足と致し方ないことではあったのだけど、だから余計に、決断した、という感覚がなくて、抗えない流れに身を任せた、というようにに思ってしまっているのだと思う。

 

そうするしかできない状態に追い込んだ自分自身が悔しかったし、現実を受け入れられるようになるまでけっこう時間がかかった。

 

仕事を辞めて働かなくてもよくなったら、延々とダラダラできるだろうな、という自身に対する危惧のとおり、結構な期間を専業主婦*4として過ごす。

転職に際してつぶしのきかない職種だったことも働かなくていいかという気持ちに拍車をかけた上に、同業他社は二度とごめんだと思っていたことも難易度を上げた。

なまじ条件が悪くない(育産休が整備されて実際に使われてるとか)会社で働いていたせいで、再び働きだそうという気持ちになるのにも時間がかかった。

家事と合わせると、体力的にフルで働くのはけっこうきびしいことはわかっているのに、やりはじめると限界を無視してゴリゴリやるのだけども身体がついてこない。

本当に心の底からごりごり働くことを諦めて、週20hくらいのパートタイムの仕事でゆっくり継続する仕事を探す方向にシフトできたのは1年半前くらいのことで、ようやく気持ちに一区切りつけて、退職のことを普通に話せるようになった。

 

当時はこれはもうこういう流れになっちゃったし仕方ないな、っていう気持ちと面白そうだから今までの自分のやり方をとりあえず変えて乗っかってみようかなという気持ちと半々くらいだったのだけど、決断方法を変える事はやっぱり時間がかかる。

 

できることなら、もうこういうしんどい生き方はしたくないなぁ、と思うのだけど、明日くらいにはころっとそんなことを忘れて、やっぱりしんどいことを選ぶんだろうなって思うけど、年齢を重ねてくるとそういったことも外見に反映されてくるのはそんなに悪いことではないように思う。

 

これから先も、ぐるぐるざらざらする決断をしたり、思い出しては悶絶したりするのだろう。

 

 

 

*1:私の24歳〜30歳くらいまでの人生は時間の密度が濃厚すぎて、思い出すと甘露のように甘く、あれだけ自分の人生に吐きそうになるくらいコミットした時期はないと思う。

*2:辞める直前に結婚の報告をしたときには旧姓使用届を出すくらいには続けようと思っていたのだ。

*3:社内婚はそこそこ多く、実際夫婦が同じ社内で働いているケースはよく見かける会社ではあったけれど、将来的な転勤リスクやけじめをつけないとやっていけない自分自身の頑固さも相まってどうしても自分自身を納得させることができなかった。

*4:という名の無職ライフと夫の家事スキル育成期間を謳歌したのだが、世の中の専業主婦の方と同じ名称で括られるのは憚られるくらいダラダラしていた。