最近気がついた。
”老い”と”大人になる”ということは別ものだということに。
成人して、社会的儀式的には”大人の仲間入り”をして、5年経ったというのに、そのことの気がつかなかったのである。
なかなか、やっぱり、わたしはアホだ。
子供のときは、年をとったら自動的に大人になるものだと思っていたのだけど。
実際になってみたら、まったく違う。
――――大人には、「なる」ものだ。
決して、自動的になれるものじゃない。
年をとったら、大人になるのではなく。
物事の道理を知り、考え、他人のために行動し、常に人のために動ける人のことを世間では”大人”というのだと。
社会の儀式的、そして身体の老いによって”大人”になるけど、”大人”になることは大変だ。
●常に世のため、人のための奉仕の精神で行動すること。
●精神的にも物的にも自立していること。
●時には、人を諭すこと。
●愛情をかけること。
●行動第一であること。
●敬意を払うこと。
●失敗を許すこと。
●そして、失敗をすること。
これらを継続的に体現することが求められる。
自分のことでいっぱいいっぱいのウチはまだまだ子供。
うまくいくと、”自分がそれだけやったから。”
そう思って、すぐに天狗になっちゃう。
損得勘定、あらゆる欲望、お金、権力etc.....
いろんなことが降ってきては、神様はその人を試すのだ。
そして、時には欲望に負けたり、山のような失敗をしたりする。
最近、周りとお話していると、『失敗が怖い』人がとても多い気がする。
きっと今まで、人生で失敗する機会がなくてここまできたのだろう。
受験だったり、就職だったり、結婚だったり。
だから、「失敗したら最後。」と思ってしまうし、減点評価をとても怖がる。
どちらかというと、まだまだ減点社会だから。
かくいうわたしも、減点評価は怖いけど。
”やってみてダメなら考えよう。”
最近はそんなスタンス。
ダメでも、ダメなことから学ぶことが大切で、それが自分の人生の生き方を作っていく。
リンカーンだって、失敗の山を築いて大統領になったんだし。
ホリエモンだって収監されちゃったけど、周りには人がいっぱい集まっているし。
そのうち社会の方がたぶん変わるから。
動くことが嫌いなら、まずは動いてみること。
群れることが好きなら、ちょっと離れて一人になってみること。
続けることが苦手なら、決めたことを続けること。
そうすることが、”明日のわたし”を作るのだ。
あまりに、『老いた』子供が多いけど、大人になったら大人の楽しさが待っている。
『苦手なことをやり続けなさい』
『人のために動きなさい』
『敬意を払いなさい』
『行動しなさい。人は言葉じゃなくて行動についてくる。』
『素直になりなさい』
『周りの評価があなたの全て』
――――わたしは、やさしい大人に本当にいろいろなことを教わっている。
ダメなことをやっている場合じゃない。
フリーライドをして、ラクして生活している場合じゃない。
行動の先に、いつも答えは待っている。
わたしの周りに、人はいる?
それが、今のわたしの答え。
愛と自戒をこめて。