天気:晴れたり曇ったり雨振ったり
起床:7:30
睡眠:そこそこ
体調:そこそこ
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ついにOLじゃなくなりました。
元OL i です。
退職エントリーなんぞというものは、由緒正しき会社でそこそこ様になる業績をあげている人達が書くものであって、事務系ぼんやりな私が書くことなんて何もないしな・・・・・・と思ってました。
でもまあ、一応7年働いたわけだし、詳しいことはあんま書けないけど、なんか考えることくらいあるかな、と思って、親しいお友達に向ける報告みたいな気分で書き始めています。
文系中堅大学を卒業して、新卒でそこそこ大きな会社に入りました。
よくも悪くも、就活仲間のあいだでも出来が悪くて、内定も最後の方まで取れなくて(ちなみに当時は売り手市場だった、にも関わらず。)、外見は丸いしおっとりしてるし、今の私から見たら、「大丈夫か?この子・・・・」という感じでした。
そうであったにも関わらず、私を採ってくれた会社はチャレンジャーと思ったり。
私の配属されたところは、同じ部署の中にも色々な仕事をしているチームがあり、チームごとにカラーが全く違う感じでした。
事務から始まって、教育系、管理系と今考えれば結構様々な仕事をさせてもらった気がします。
1、2年目は部署内異動が激しくて、2年目も終わる頃には異動は3チーム目、上司は4人目という感じでした。
そこからは7年目までの約4年、管理系の事務仕事に携わって現場の厳しさを目の当たりにして、どのように会社が動いているのかなど学んだことは多かったです。
途中で父が脳の病気で倒れて青くなったり(パパちゃん死んだら家どうなんの?!みたいな。今は無事に回復して仕事に行っております。)、夜遊びに興じてみたり、いけばなで師範代資格をとったりとプライベートもめまぐるしく変わっていきました。
ただ、5年目くらいに6人目の上司に変わって、始めちょっと調子が悪いな・・・・、でも大丈夫か。と放置して会社に通い続けました。
今思えば、あまり相性はよくなかったように思います。
ただ、新しいことを始めれば調子も戻るかな、とも。
それで、現状から逃れたい一心で異動願いを出したのですが、願いは届かず、そのままま据え置かれました。
そんなこんなでもにょもにょしている頃、当時遠距離恋愛をしていた彼(今の旦那ちゃん)がいきなりここちらに戻ってくるということに激しいショックを受けて(正直なところ、もう1年遠距離をしようと言われていたのでもう別れる気満々でした。)、ついに会社に通えなくなり、うつ病と診断されました。
とりあえずうつがわかってから即効で休職に入り、はじめはうつと戦ってしまって本当に辛かった。
なんで自分が。
とか、
今後どうやって生きていこう。
とか、
もううつになっちゃったからいろいろなことがうまくいかないかも。
とか。
彼とも(私が)お荷物になっちゃうから別れなきゃ。
とか。
とにかく、悪いこと悪いことばかり考える感じで。
しかも薬が処方されているにもかかわらず、飲みたくないという理由で3ヶ月くらい放置したおかげで、状況は悪くなる一方。
3ヶ月くらい経ってから、ついに観念して、またその頃にようやくお医者さんともうちとけられた感じがあって、ちょっと信用して薬を飲んでみようと思ってからは、いったんストーンと更におちて、布団から出られない状況が続いたけれど、しばらくしたら少しずつ起きていられる時間が長くなってきた。
その間、彼の引っ越しを手伝ったり、こっちに来てからは時々彼が私を遊びに連れ出したりしてくれて喧嘩も多かったし、ウツになったばっかの頃は
「だからウツだって行ってるじゃん!私フツーじゃないんだから!!!」
と、キレることも多かったのだけど、なんだかんだ根気よく付き合ってくれて週末は彼の家にお泊りできるようになってきたのが年末くらいのこと。
組み立て式の本棚を買ってきて組み立てていたら、彼が突然、
「この先、どうする?」
ときいてきたので、
「は?何が?結婚?」
とうっかり返してしまったのが、運の尽き?
(一応言い訳しておくと、私はあまり結婚願望がなく、どちらかというと付き合った当初から彼に結婚願望があり、度々その話題になると喧嘩になって沈黙するということが続いていたのだけど・・・・。)
「そっかー。やっと結婚する気になったか。」
となんとなく嵌められた感じの流れになり。
「じゃあ、俺いつ挨拶いく?」
と言われたので「?!」と思っていたら、「結婚するんでしょ。」的なことを言われ.....
あれよあれよという間に双方の家に挨拶にいくことになった。
こっちは関東、向こうは関西。
えーーーーーー、めんどくさいよーーーーーー!!!!
と思いつつ。
年末に実家に帰ったついでにお互い親に報告した。
どちらの親も特になにもなく、そのままスムーズに挨拶に進んだ。
当然、彼の両親には私の病気のことも話したけど、逆に心配してくれて、ちょっとほっとした。
まあ築地でお寿司、宝塚でしゃぶしゃぶと美味しいご飯食べられたからいいけど。
そのとき、ようやっと私の仕事の復帰話が出ていたのだけど、関西まで挨拶に行くんだったら時間がいるから、休みのうちに行っておこう!ということになり、1月に私の両親へ、2月に彼の両親へ挨拶をした。
2月の挨拶は、復帰する2週間前の話。
いよいよ復帰の段になって、同じ部署だけど、(地理的に)違う場所にある事務系チームに配属になった。
10:00〜4:00からの時短勤務で慣れてきたら段々と延ばしていく感じだった。
復帰当初は本当に辛くて、思うように身体が動かなかったり、緊張したりで毎日泣いていたけれど、それも落ち着き、段々とできる仕事が増えていった。
そんな感じでやっていると、家で事件が。
祖父が脳梗塞で倒れた。
年齢が年齢だったので、家族の誰もが覚悟をしたが、結論を言うと、自宅に戻ってきた。
とはいえ、介護が必要。
祖母と母がてんやわんや状態に。
私は私で、仕事に復帰したばかりで、とてもじゃないけど手伝えない。
そうしていると、彼が家にくれば?というので渡りに船とばかりにスーツケース1個を持って引っ越してきた。
彼の家からの方が通勤時間も短くてすむ。
この頃、なかなか戻らない体力の回復に私はイライラしていた。
みんなはゆっくりでいい、というのだけども、会社のシステム的には時短で出勤できる期間に区切りがある。
そこまでにフルタイムで働ける状態に戻らなければ・・・・!
と毎日緊張して、あせっていた。
5月頃、実家に帰ると両親に「いつ結婚するの?式は?」ときかれるので、「式は来年。入籍は年末くらいかなあ」と答えていた。
実際わたしたちの感覚はそんな感じではあったのだけど。
実は会社には内緒で同棲中。
これ、ばれたらまずくないか?
という話になり、まあじゃあとりあえず籍だけ入れちゃおうか、と感じで6月頃に婚姻届を書いて両方の父親に署名をもらった。
会社にも(なぜか私は怒られたけど)報告した。
私のこの頃の状態はあまり順調とは言えない。
うつ的な症状はほとんどでないようになっていた。
けれども、仕事はできるけど、通勤とか体力的に辛い。
土日はぐてんとしている始末。
早く帰ってきているのに、帰ってくるともう一眠りしないと夜がもたない。
ひたすらに体力の回復を待つ。
けれど、仕事はふってくる。
ーーーーーそんな生活だった。
このあたりで、ふと、これ以上勤務時間を延ばすのはちょっと辛いかなと思い始めた。
このままフルタイム勤務に戻るよりは、退職も視野に入れて、ちょっといったん働き方を考えようかーーーー。
そんなことを思っていた矢先。
母から電話が鳴った。
「”祖父があぶない。今夜がやま。”
ーーーいつ入籍する、しないを考えるのはあなた達の自由だけど。伝えないと正しい判断ができないから伝えたわよ。」
ああ、そうか。
正直なところ、祖父が亡くなったことについては特別な思いはあまりない。
年齢も年齢だし、大往生じゃないだろうか。
私は彼にLINEを入れた。
「おじいちゃん危ないらしいんだけど、入籍どうする?予定と1日ずれるけどはやめようか?」
その日、彼は飲み会だったけど、事情を話したら(彼の上司と同僚が)帰してくれたらしく、その足で婚姻届を出しに行った。
おじいちゃんが亡くなったのは結局、その2時間後だった。
葬儀を終えて、産業医がフルタイムで戻れるか最終判断をする面談が近かった。
思ったよりも、体力回復に時間がかかっている。
それは彼も、主治医も同じ意見だった。
フルタイム勤務に、戻れないことはない。
けれども、今の状態で戻ってどうするの?
この先は?
ーーーーー想像ができなかった。
そこに私の未来はないような気がした。
もしかしたら、ずっと私は会社を辞めたかったのかもしれない。
彼に相談すると、
「好きにしたらいい、というか、もう頑張らなくていいんじゃない。辞めて少し、ゆっくりしなよ。」
と言われた。
ああ、そうか。
私は、最後の産業医面談で、退職の意を明確に伝えた。
1月前の面談でも、ちらっとその話はしていたので、産業医は何も言わなかった。
上司にもその話を伝えると、ひとことぼそりと「もったいないんじゃないか。」と言った。
そう言ってもらえただけで、十分だった。
同期や周囲にそっとその事を伝えると、誰もが「頑張ったね。」と言ってくれた。
8/31。
最終出勤日。
最後の挨拶をして、会社を退職した。
いろいろあったけど、まあこれでよかったんじゃないかと思っている。
帰ってきたら、旦那ちゃんが花束をもって帰ってきた。
(事前に退職祝いに花が欲しいと言ったら本当に買ってきてくれた!)
「おつかれさま。」
「ありがとう。」
そして現在。
ちょっとのんびりして、これからのことはのんびり考えます。
思わぬところで、思ってもいなかった専業主婦?になった。
とりあえず、旦那ちゃんは毎晩のご飯が豪華になることを喜んでいるので、まあいっか。