読書についてのあれこれと思い出

絶不調でした。

例年5月〜6月って結構だるい&つらいのコンボで動けなくてイライラするのですが、ちょっと落ち着いたかなと思っていたけど、やっぱもう少しいろいろ生活改善が必要っぽい。

 

 

 

うつうつしている間は、本読んだり漫画読んだりしてました。

昔からインターネットの課金コンテンツって、私あまり好きではなくて、紙の本は買うけど、画面で見るものは買わない主義でした。

無課金でもいろいろアマチュアの人が書いている小説とか×次創作とか*1はかなり精度が上がっていて、うまく探せば読んでいて楽しいものもある。

読み始めると止まらないので、寝る暇を惜しんで読んでしまうという本末転倒なことも。

課金・無課金のコンテンツの話は長くなりそうなのでまたの機会に。

今日は本を読むことについて思い出したことをつらつらと書きます。

 

 

本を読む、ということは学生時代からそこそこ好きな方でした。

自宅に暇つぶしになる娯楽が、本や漫画の他にはパソコンくらいしかなかったからかも。

私の家はゲームの類はNGという家だったので、ゲームはお友達のお家に遊びに行ったときにやるもの、という感覚。*2

漫画は運よく買ってもらえるときもあるけど、どちらかというとお小遣いで買うもの。

その代わり本は割と買ってもらえた、と記憶しています。

いわゆる、優良図書というやつですが。

 

 

そのためか、比較的わたしは小学校のときから本も漫画もよく読む方だったと思うのだけど、読書感想文はすこぶる苦手。

感想を、と言われても正直何をかいたらいいかさっぱりわからないし、どうしたらいいか悩んだ挙句、読書感想文の見本の文章を丸写しして、内容だけ変えて書いたら親からダメ出しを食う始末。

母からは

「あなたの読書は人から褒められるためだけにやっているように見えて好きじゃない。」

と言われたり*3、また中学に上がってからは学校で読書記録ノートなるものがあって、読む冊数だけは人の倍くらいあるものの、読んでいる作家の偏向がありすぎて*4、国語の先生のコメント欄には

「他の種類の本も偏りなく読みましょう。」

とあったり。

我ながら、よくぞ読書嫌いにならなかったな、とは思います。 

googleで検索したら、当時の読書はいわゆる偏向読み&乱読といって、成長途中ということを考えると、一般的に歓迎はされない傾向だと思う。

読書法に正しいとか正しくないとかがあるとは私はあまり考えてはいないのだけど、まあそれは大人になったから別に乱読だろうと多読だろうといいじゃない、読んだ感想とか読後がぺらぺらでも。と思えるだけであって、まわりからしたら周囲と違和感なく馴染める優等生とはかけ離れていたのではらはらしていたと思います。

 

 

そんな感じで多感な時期である中学生〜大学生くらいまでの間は、部屋の床は本だらけ(掃除しろよ、と思いますが)、机にはパソコン、そしてインターネットとどう考えてもオタクかつ変な人の部屋だな*5という環境で過ごして、読みたいものを読みやりたいことをやってすごしてきました。

 

 

大学生くらいからは、本を読むことに慣れたからか、毛嫌いしていた古典と呼ばれるジャンルや近代文学*6、新書もビジネス書も自然科学的な分野もそこそこ読むようになり、また1回読んだものを何度も読み返したり、精読したりとだいぶ偏りは補正されてきたように思う。

海外文学とかももうちょっと読んでおけばよかったな、と思う。

 

 

大学生くらいになってからは、母との読書の話のわだかまりも溶けていて*7、本読むの早くていいよね、くらいな感じだ。

 

 

仕事をし始めてからしばらく忙しくて読むこともなかったけど、最近はちょうどいいから何か読もうかな。 

*1:要するに同人系やライトノベルと言われるジャンル

*2:後に弟の時には懇願に根負けして買っていたので、その後はあるにはあったのだけど。

*3:そういう母は量を読む人ではなく、想像するに、学生時代はどちらかというと教育を考えた時にど真ん中をいく多様な本を読むタイプです。

*4:1人の作家が気に入ると図書室に置いてある本を読み尽くすことが多かったです。だから、本質的に読書記録を取らせる目的である”多様な本を読むこと”とは趣が少々異なった使い方をしていました。

*5:偏見です。

*6:それでもやっぱり好きなのは太宰とか三島とか谷崎だったからやっぱりだいぶ偏ってる....。

*7:っていうか、そんなこと言ったの?って忘れてたよ....。やっぱり。