映画「天気の子」レビュー

夏休みといえば、 映画🎥

学生さんたちが減って、朝の電車が空いてくると、ああ夏休みだなぁ…!と思う。

 

夏休みと言えば、映画🎬

 

大学生の頃にはよく、授業のコマのあいだや自主休講(サボり)の日にぼけーっと映画を観に行ってい。*1

大してすることもなかったので飲みに行くか、ラジオ聴くか、本読むか、映画見るか、部室でダラダラおしゃべりするか…。

私の当時の娯楽はその辺に集約されていたように思う。

 

 

久しぶりに映画を観てきた。

最近は2時間劇場に座って長い物語を見るのにもなかなか大変になってきていて*2、せいぜい年に1本くらい軽めのアニメや邦画を観ればまあ今年は映画館行ったかな、って感じ。

今回はたまたま2月にシティーハンター<新宿プライベートアイズ>を観たいというダーリンと、コナンを観たいという私とで意見が食い違ったので2本観に行こうと行ってチケット取ってたんですが、シティーハンター見たら映画に満足してしまい、まあもういいか、と思って放置していたら使用期限が切れてしまいそうだったので、まあなんか観に行くか、最近話題だし「天気の子」かね?という感じのセレクション。

ちなみに私は前作の「君の名は。」は売れた映画のタイトルとして知っているだけで、新海誠監督作品は今作がはじめての鑑賞。

事前のリサーチもほとんどしなくて、「君の名は。」の感想を又聞きしたのと、たまに上がってくるTLのtweetくらい。

今に至るまでには腐女子寄りの端っこの道も歩いたことがあるので、2000年以降のオタクの文化文脈はある程度理解はしてるかなぁ。

 

 

以下「天気の子」の感想ですが、基本的に辛辣で否定的なスタンスです。

ネタバレしますので、未鑑賞・未視聴の方はご注意ください。

上手く文字に落とし込めるかな…。

 

 

全体を観て

失礼ながら見終わって真っ先に思ったことは、壮大な中二病の酷いイマジネーションに114分も付き合わされて気が狂いそうだな、ということ。

映像が美麗すぎるのに、物語の組み立てが稚拙なように感じてそのギャップがものすごくきつく感じた。

第2に、映画に出てくる街(新宿、渋谷、池袋、代々木、上野、御徒町、神楽坂、芝公園、六本木、田端…など)そのものや、街の描写は基本的に好きなところばかりだけれども、各カットがきれいに描かれすぎていて映像として繋がるとなんとなく気持ち悪いな、ということ。

第3に、水や光や空をやたら美しく強調して描くカットが多いので、観るのにめっちゃ疲れて、その描写に強烈な違和感と戸惑いを感じるということ。*3

第4に、この映画観るのには私は年をとりすぎたなということ。*4

以上4つが見終わってすぐに感じたことである。

 

 

 

序盤

よくわからない病院の描写から始まる。

まあでもたぶん、回想的な感じでスタートさせるのかなぁ、と思って物語が動き出すのを待ってしばらく眺めていた。

すると船に乗る主人公の手にキャッチャー・イン・ザ・ライ(しかも村上春樹の翻訳本)。

いかにも、な暗示である。(あざといという意味で。)*5

ー「ライ麦畑でつかまえて」ではなくて「キャッチャー・イン・ザ・ライ」…!この本は何冊か翻訳本が出ているが、最新は村上春樹の訳のこの本で、翻訳本なのにかなり賛否両論がある本である。ー

この時点でああもう中二病系の話になるんだな、と確信していたのだけど、肝心のストーリーに関してはさっぱり頭に入ってこない。

延々と新宿の街の瞬間のカットが流れていくだけなので、始まって30分で席を立って帰ろうかと思ったくらいだ。*6

でも、鑑賞しながら感じている気持ちの悪さは一体なんだろうな、という好奇心に負けて踏みとどまって最後まで見届けようと思った。

 

 

中盤

正直、あまり深く記憶に残った描写がない。

コンプライアンス意識の厳しくなった東京の街で、普通の手段で稼ぐ手立てを持たない未成年の主人公・帆高とヒロイン・陽菜が選んだ稼ぎ方が、陽菜のちょっと特殊な能力(その代わりに身体という重い代償が課せられる)をインターネットを通してお金に変えるというのは、いかにも昨今のブロガーとかインフルエンサー的だし、既存の社会の仕組みから弾かれて、そこで生きようとすればそうするしかない、というのはまあわかる。

というか、帆高が困ったらなんでも知恵袋で相談するシーンとか、インターネットを媒介としてお金を稼ぐとか、いかにも最近の監督の現代描写らしい。

それらし過ぎるくらいだ。

反社会的勢力をあらゆる表の街やビジネスから排除してクリーンにしている現代の東京へのアンチテーゼとして伝えたいのか?とも思ったけどそこまで強いメッセージ性は感じない。

みどころといえば、外苑前の花火のシーンや六本木ヒルズの屋上で陽菜が晴れを願うシーンであろうが、正直私自身は、映像にはドローン的な視点を入れてみたり、技術としてはいろいろ新しいことを取り入れて、画面の麗しさがひときわ際立つ作りにしたのだろうなということはわかるけど、心情的な部分で感動したり共感したりというポイントは一切なくて、ここでもやっぱり、画面は美しいけど物語はさっぱり身体に入ってこない。

話の筋としてはわかるけど、こうなったらこうなるだろうみたいな流れが見えすぎて、エンディングすらも予測できるエンディングだったので、物語が稚拙だという冒頭の感想を抱いたのだと思う。

 

 

終盤

やたら走って青春してるなー、という感じで、天気を晴れにする代償として身体が消えた陽菜を取り戻すために、東京の街中を警察に追われながらバイクでぶっ飛ばしたり、刑事や警官に追われて進路を妨害されながらも反抗して走り抜けたりと、疾走感溢れる描写。

家出少年の捜索と序盤で出てきた拳銃の件の聴き込みで警察官が来て、はじめは帆高に「大人になれ」って言って、島に帰そうとした須賀も帆高の「陽菜さんに会いたい」という気持ちに負けて、帆高を捕まえていた刑事をなぐり飛ばす葛藤の末に大人をやりきれない(陳腐だけども少年の気持ちを持った)大人として描かれていたのはこの映画で唯一好ましく感じたところかも。

エンディングで声を演じたのが小栗旬だというのがわかって、ああ、この人はほんといい役者でいい大人になっているなぁ、と思った。

キャラクターに違和感がなくて、小栗旬が演じてるのが全然分からなかったから。

それってめちゃくちゃすごいことだなって思う。

 

物語の最後は、帆高にとっての大切な人である(晴れのために自分を犠牲にした)陽菜を取り戻し、その代償として狂った天気は狂ったまま雨が降り続け、東京の街は海抜ゼロメートル地帯*7および湾岸埋立地エリアが水没して水の都として日常が営まれ続ける。

そして、保護観察処分になった帆高は島で生活をして保護観察期間があけた3年後、大学進学に伴って上京し、陽菜と陽菜の住んでいる街(田端)で再会する。

といういうところでエンディングを迎える。

本作品の根幹とも言えるBGMを一手に引き受けたRADWINPSのいかにも2000年前後に流行ったポエム系ミュージックが泣かせにくる。

全然泣けないどころかこれでさらに私がシラけてしまったのは、たぶん作品のあちこちに散りばめられているものが2000年代のオマージュですらないまき直しであって、物語を1度解体して再構築を試みたものではないという結論に至ったからではないかと思う。

街の風景映像とアニメの映像技法だけがアップデートされているのに、映画の根幹である物語は未熟なままの状態で置き去りにされていて、そこにものすごいちぐはぐさを見たような気がして強い違和感を感じたのだろう。

ナルシズム全開な感じがこれでもかと次から次に襲ってきて、ぞわぞわしてしまった。

 

終わりの方で、スカウトマンのクソみたい男が妻子持ちなこともびっくりはしないけど、うおっ…、ってなった。

まあそっか、クソみたいな仕事でも妻子を養うんじゃしょうがないよね、みたいな。

そのあたりもその感想を抱いた自分も含めて強烈に嫌だなと思ったところ。

 

 

終わりに…

ストーリー自体も賛否両論がありそうだと話が散見される。

特に結末は世界(東京)の平和と安定よりも自分のいちばん大事な人を選んだというところが、物語としてハッピーエンド…?という誰もが納得できるものにはなっていないのがミソ、ということなのかな。

これも私にとっては、いや、まあそういう物語もあったっていいんじゃないのって感じで、ある程度予測できた範囲内でおさまってしまったのでむしろ、こんなんで賛否両論巻き起こらないでほしいって思っちゃうんですよ、正直。

だってソレ前にも同じようなのやってるじゃん、っていう。

ちょいちょい暗示される映画に散りばめられた小道具からウルトラCの誰もがあっと驚く結末にならないのはわかっていたので、どういう風にまとめるのかはちょっとだけ気になっていたのですが、最後はいかにも現代的だなぁ。

 

 

このエンディングを見た瞬間に頭に浮かんだのは、庵野秀明のアニメ「エヴァンゲリオン」の碇シンジの最後の”おめでとう”のシーンと村上春樹の小説「ノルウェイの森」のワタナベの“僕は今どこにいるのだ?“という最後のシーンである。

こういうもやもやする結末の物語は過去にもいくつもあって、それをどうブラッシュアップして時代に合わせた物語に再構築していくかということがクリエイターに求められているのではないかと私は解釈しているのですが、本作品は個人的には物語のブラッシュアップが足りないのかなという感想。

だから、見終わってすぐの“物語が稚拙”という感覚は案外あっていたのかな。

 

 

もやもや系の結末の物語に初めて触れる若い世代の人たちは、たぶんこれにとても感動するだろうということもすごくわかる。

私自身も、思春期の精神がびんびんでいらんところにも共感したり同調したりして感情のコントロールが全然できない時期にこの映画を観たら、たぶんすごく感動すると思うし、何なら2回、3回と劇場に足を運ぶと思う。

でも大人になって社会の(東京というシステムの)一部となって生活している私にとっては、これは過去の物語の焼き直しに過ぎなくて、情景描写がアップデートされているけれども、物語の中身は昔見たり読んだりしたあの、社会システムと対峙して時には俯瞰し、悩み、苦しんだ結果、まずは自分のまわりを救おうというもので、それであれば別に「エヴァ」や「ノルウェイの森」や「グレート・ギャツビー」でいいか、って思ってしまう。

だから私自身、年取ったなぁ…、と思ったし、全く共感できなかったことにショックと衝撃を受けた。

 

 

何でこんなに繰り返し物語、物語言ってるかというと、それには理由があります。

ひとつは、新海誠監督が村上春樹の強い影響を受けていると思われること。

もうひとつは、その村上春樹地下鉄サリン事件以降、繰り返し「悪しき物語に対抗する物語」を書いていく重要性を説いていること。

村上春樹の話になって恐縮ですが*8地下鉄サリン事件ノンフィクションである「アンダーグラウンド」「アンダーグラウンド2」を書いてから、村上春樹という作家はそれ以降の作品を読むと、意図的にとても強い物語をつくっていこうとしているのではないかと思う。

それはかつてオウム真理教へ没頭していった信者たちの言葉を聴き体験を解体した時に、浮かび上がってきたことが、”物語を持たない人“たちがちょっと怪しい宗教や哲学やオカルト現象やヨガといった精神性を重んじるものに没頭し、また社会の側もそれらを面白がって放置した結果、地下鉄サリン事件が発生したと彼の中で結論付けられているからだと理解している。

だからそんな彼らにも届く強い物語をつくることに苦心していて、そしておそらく、強い物語というのは、骨格がしっかりしていてより人を惹きつける物語なのではないかと考える。

そういう脈絡をおそらくこの監督は知ってこの映画を作っているのではないか?と映画の端々から私は感じ取ったのですが、その結論が、普段物語を必要としない(あるいはあまり読まない)層に届く作品を作ることだったとして、こういう物語のない映画になったのかもしれない…、と思うとそれはやっぱり凄くやりきれないことだなと強く感じた。

なんで知っててこういう映画つくっちゃったんだよ…。

 

 

でも正直、これって自分が年を重ねたからそう感じるのか、それとも年をとったせいで時代の流れを読み違えているのか、あるいは自分の感性が死んだのか、全く見当がつかない。

だから戯れ言として聞き流してほしいなと思うのですが、次回は物語の骨格をきちんと練った映画を作ってもらえたらうれしいなと思う。

 

 

その他

今回舞台の1つとして田端が登場しました。

わりと縁のある場所なので聖地巡礼をするみなさまにお願いなのですが、田端という街は上野や日暮里と池袋という巨大なインバウンドの主役の観光地に挟まれている関係で、結構外国人の観光客もちらほらみかけます。

が、基本は住宅地です。

なので日々のそこで生活をしている人たちの暮らしを尊重してもらえたらいいな、というのと、今回の舞台のすぐ近くに、芥川龍之介の居住地跡がありますので、よかったらあわせて訪れてみてください。

 

 

バニラトラックと拳銃

ネット上でバニラトラックと拳銃の描写について物議を醸し出していたように思うけど、私は大して気にならなかった。

拳銃については、いくら新宿だからといってそんな簡単に拾えたら困るけど、セーフティ外すの結構大変だからそんなにぽんぽん撃てるものじゃなくない?ってくらいだし、バニラトラックはまあ新宿とか渋谷あたりに行くと、実際めっちゃ走っている。

女の子バージョンだったのは、そのあとの陽菜の体験入店の布石だから女の子バージョンだったのかな?くらい。*9

ごちゃごちゃしたリアリティのある新宿を描くのには、必要な描写であったと思う。

 

 

やっぱ5000字強になったな.....。

 

 

参考:

【オフィシャル】

tenkinoko.com

 

【レビュー】(レビューを書くにあたって参考にしました。)

blog.gururimichi.com

 

 

www.yutorism.jp

 

 

mountain999.hatenablog.com

 

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 

【その他】

globe.asahi.com

 

 

【過去に書いたエントリー】

 

iixxx.hatenablog.com

 

 

iixxx.hatenablog.com

 

 

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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ノルウェイの森 (講談社文庫)

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グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

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今週のお題「夏休み」

 

 

 

 

 

 

 

*1:最近の学生さんはなかなか自主休講とかできなくて大変だときいていますが、あの頃は古き良き時代の終わりの終わりあたりの時間だったんだと思う。

*2:どうもインターネットの影響か長い話にじっくり付き合うのがしんどくて、即物的な物語で満足しがちな傾向があります。

*3:そう何度も光を差し込むシーンばっか描かなくても良くない?そんなに頻繁に奇跡的なことが起こったら困るって言うか…

*4:私自身は映画に登場するキーパーソンの須賀さんに近い年齢なはず。

*5:こういう暗示的な隠喩の使い方は村上春樹が小説でよく使う手法である。

*6:一緒に隣で見ていたダーリンに3回くらい“帰ろうよ〜”という目配せした。

*7:描いている人は東京の地理を正確に把握してない気がする。そこはたぶん水没するぞってところが高台として描かれていたので。

*8:たくさん話せるほど私は過度な村上主義者(ハルキスト)ではないです。たぶん。

*9:メンズバージョンも走っていて、メンズの方が最近は遭遇する。