サウナがくるしい

最近、しばらくTwitterをやめていた。

 

 

理由は幾つかあるのだけど、1つは依存しすぎてまずいなぁ、という状態にあったと思っていたこと。

タイムラインに上がってくるものを見ると、何かひとこと言及したくなったり、自分の気持ちを表明したくなったり、あるいは羨ましいと思ったり、嫉妬していたり。

人目を気にして気楽にだるい、しんどい、だらだらしたい…、みたいなしょーもないことを呟けなくなっていたり。

とにかく感情が忙しくて、これはまずいなということで一旦Twitter断ちをすることにした。

 

余談だけど、私はTwitter自体には結構長く生息しているが、用途自体はコミュニケーションをとることよりも情報を収集することに重きを置いていたので、長く使ってるけど全然使いこなせていない。(ついでにコミュ障である。)

Twitterを介してリアルで人と接触したときに話していておもしろいな、と思ったのは、意外とみんな「誰(何)をフォローするか」よりも「誰(何)にフォローされているか」ということを重視していることが多くて、それはおそらくTwitterを情報収集アカウントとしつつもコミュニケーションすることに重きを置いているのだな、ということがわかって新鮮だった。*1

それと同時に、それがわかった段階であんまり自分にはTwitter向いてないんじゃないかな、とも思っていて。

端的に言うとその理由は、器用じゃないから、に尽きる。*2

空気を読むのは昔から得意ではあるのだけど、読みすぎるきらいがあって、勝手に空気を読んで勝手に疲れてしまう。

まあ、読まなきゃいいんだけど、読んじゃうのは性分だからしょうがない。

今は人間関係に加えて、良いやつもやばいやつも有象無象のビジネス系アカウントが相当数入ってきていて、ごっちゃになりすぎて、気楽に続けてゆくにはしんどくなってしまった気がする。

クリーンな状況よりはごちゃごちゃしている方が新しいものが生まれやすい土壌があってクリエイティブを生み出したり、再編したりするにはよいのかもしれないけども…。

 

twitterを断っているといかにTwitterにふりまわされていたかもわかる。

 

写真を撮るとき。

ごはんを食べるとき。

景色を眺めたとき。

サウナに行くとき。

 

ふと、いつもTwitter のネタになりそう、みたいなことを思ったりしていたことに気づく。

それがいいか悪いかと言うよりは、時代の流れのようなもので、そうすることは不思議なことではないし悪いことではないと思うけど…。

感情が揺らされすぎるのは少々今のあまり調子の良くない状態には厳しい。

育ててきて愛着のあるアカウントをばっさりいくのもしのびなく、とはいえ続けてゆくのにはもう少し気持ちの余裕がいる…。

いろいろ考えがまとまらない。

というのもあって、ひとまず件のアカウントについてはアカウント名を変更をして銭湯やサウナのアカウントとしておくことにしておこうかな、と思っている。

適当にスタートさせてごちゃ混ぜに使っていたので連携関係がいくつかうまく行かないかもしれないけども。

 

とりあえずそんな感じです。

 

報告、というほどまとまってもおらず、考えてることもぐちゃぐちゃで、表に出すのもどうかと思うのだけど、ここは表のような裏のような気持ちの置き場ということでご容赦いただけると幸いです。

 

 

春の嵐…、ほんとしんどい。

*1:フォロワー>フォロイーを重視派の方が多い気がする。

*2:ダリンに言わせると器用すぎるから。