ここ10年のはなし

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

はじめに

まずははてなブログのサービス開始から10周年!

おめでとうございます。

そうか、はてなブログは2011年にスタートしたのですね。

なかなか大変な年にスタートしましたね。

私は2014年からここで書き始めたのですが*1、読み返すとなかなかいろんなことがありすぎて…。

ちょうど2016年に5周年のお題をやったときにもエントリーを書いていたので、それと合わせてanswerになる部分とそうでない部分と、振り返りたいとおもいます。

 

 

5周年記念エントリー

ちょうど今から5年前、2016年に5周年記念のお題をやってました。

この時の私は頼まれもしないのに勝手に過去5年を振り返り、またその時は全く考えることのできなかった将来の5年について苦しみに悶えながら、未来の自分に手紙を書いたのを覚えています。

だから合わせて10年分のこと、2016年を起点に前半と後半にわけて、書いていきたいと思います。

iixxx.hatenablog.com

 

iixxx.hatenablog.com

 

 

前半の5年(2011〜2016)

前に書いたときにはハッキリ書いていた部分と、書くのを躊躇ってボカした部分とがあって、大変だったんだな、というのはなんとなくわかるものの、それしかわからない内容でした。

 

この頃はちょうど社会人になって、会社ではひよこから中堅になっている頃。

社会人のひよこの時期、まだ(生活にある程度の支援を必要とする)同居の母方の祖父母と遠方に住む父方の祖母を抱えてており、母は仕事で忙しく、きょうだいは成人していたけどまだ学生で…というなかなかヘヴィな状況下で父親が死んでもおかしくない病気で倒れて、運良く麻痺などもなく回復して、ようやく日常の生活を回せるくらいに戻ってきた頃ですね。

家にはマトモな社会人が母と私しかおらず、今考えたらあのとき若かったのにいろんなものを背負ってまあよく頑張ったよね。*2

おつかれさま。

でも突然父親が倒れたことによって、親戚家族間の山のようなゴタゴタを見てしまい、人よりちょっと(だいぶ?)大変ではあったけど、ちゃんとやり切ったからそのあとはだいぶ楽にはなったかな。

突然身内が倒れたことによって、人間は突然死ぬ、というのがあまりにもリアルに迫ってきて、生きてることは奇跡だし、若さは有限である、ということが重い現実のものとして受け止められるようになりましたね。

それで勢い余って、若さと体力が有り余っているうちに、やりたいことをとにかく20代で全部やっておこうと思って、側から見たらちょっとはちゃめちゃな方向転換をして、20代の残りはプレイガールをやりきることに決めて、お酒飲んだり踊ったりデートしたりする合間に仕事に行って、その隙間にいけばなをやり、いろいろな資格を取り、たまには飲み友に付き合って徹夜で飲んだり、気付かれないようにソイツの仕事や合コンの尻拭いをしたりしてましたね。

しなくてもいいのに勝手にフォローしちゃってるのは、まあやっぱりその飲み友が優等生なのに中身がペラペラで心配だったからですよね。

大丈夫、彼はちゃんと骨のある大人になったことだけはお伝えしておきます。*3

 

そんなはちゃめちゃな生活が維持できるはずもなく、鬱になってぽきっと心が折れて脳に不具合が発生してしまったのも、それだけストレスをかけ続ければ当然と言えば当然で。

でも悔しかったよね。

"もっとできるはずなのに…!"と夢や理想を叶えていくことができなくなって。

通院して寛解した後、どちらかと言うと抑うつ気味なメンタルもそうだけど、どれだけ気持ちが頑張れても全然ついてきてくれない身体や失われた体力に常に苛々していて。

何もできないし、寿退職と称して仕事も辞めちゃったし、家のなかもうまく回せない。

結婚したのはいいけど、自分は単なるお荷物では?もう生きていたくない、って思ってぐるぐるしていて。

メンタルがダメでも働いている人は大勢いるはずなのになんで自分はこうなんだ。

これでいいのか。

って、自分を責めてばかりいるでしょう。

思うように身体が動かないのが本当につらくて。

頭はまわっちゃうから余計に身体がついてこないのが本当にもどかしい…。

だから2016年当時は、新婚で楽しい時期なはずなのにもう生きてることがつらくて。

明日のことすら考えられない。

自分がどう生きていくか(生きていられるか)が何一つ確信を持てないから、誰に何を言われても心が動かなくて。

そんな状態だから、こどもを産むとか考えられないよね。

あのとき自分が折れてたら、たぶん今頃詰んでると思います。

だいぶ結構な大喧嘩だったけど、ちゃんと説明して、話を聞いて、長い時間話し合って…。

あれは私達には必要なことでした。

ほんとにおつかれさま。

ちゃんとやれて偉い。

 

 

後半の5年(2017〜2021)

さてそうは言っても、動けないから動かないままにしておくようなかわいい性格はしてないですよね。

動けないなりに、なんとか動きたくてあがき始めた頃ですね。

この頃ようやく1日起きて動いても、翌日の休みがいらなくなって、引っ越しや新婚旅行も終わって、ちょっとずつ外に出るようなりましたね。

そのときにはじめた趣味の一つが銭湯めぐり。

いい銭湯がそんなに遠くないところにいくつかあったおかげで、はじめは銭湯に、それからサウナへと急速にのめり込んでいきましたね。

萩の湯がこの時期にリニューアルオープンしたのも大きかった。

銭湯のカルチャーがよくわからないなりに、あのカオスなお客さんたちに混じってお風呂やサウナに入ったりして、少しずつ銭湯やサウナがどういうものなのかというのを会得していきましたね。

それで少し元気になったからか、フルタイムの正社員で責任を持って仕事をすることを諦め、週3、4日くらい働くことで、途切れたキャリアを再スタートさせました。

再スタートの初回は大失敗だったけど、2社目はわりとゆるくて、新しいことを覚えられる上に基礎が学べて、裁量もあって、まあ悪くはなかったと思います。*4

コロナさえこなければ、もう少しうまく立ち回ってキャリアを紡げたと思います。

まあもうこれは仕方ないですね。

そういう星周りってあるから。

世の中が混乱しているときにはわりとババを引きがちな人生なので、今回に関しては早々に諦めました。

ただちゃんと継続して働ける自信と実感、実務の勘どころが戻ってきて、excelとかのキャッチアップもできたので、この5年は悪いなりに踏ん張れたと思います。

 

親知らずも全部抜き終わったし、気になっていた訪問着のクリーニングも依頼を出せた。

それから、着物を自分で着られるようになりましたね。

いけばなをやっていると、自分で着物を着られた方が何かあったときに安上がりだし楽でいいな、とは思っていたものの、どこから手をつければいいかわからなくて長いこと放ってきたことだったので…。

自分で着られるようになったり、夜会巻きが巻けるようになり、普段着としてもまあわりと着られるレベルに到達したのがちょっと感慨深いです。

箪笥の肥やしになっていた母の小紋もこれでバンバン着倒せるよ!

 

そして突然降ってわいたコロナ禍にも、悪いなりになんとか踏ん張れているのは案外しぶとい性格のおかげかもね。

これからも大変なことは多く、先のことはわかりません。

自分の信じるままに、とんとんくらいに生きられたらそれでいいかな、と最近は思います。

 

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2016年の5年後のわたしへ、のanswer

ここからは、2016年に書いた"5年後のわたし"に向けて書いた手紙のAnswerです。

 

初っ端からストレートにアラフォーですね、とかいきなり年齢でぶっ刺してくるのやめませんか。

過去の私に対して、人の急所を一発で仕留めるのはやめておいた方がいいですよ、というのはまずお伝えしたいですね。

どうせ無意識だろうけど。

 

今何をしてるか。

端的にいうと、無職です。

というと、聞こえが悪いので主婦ですと回答することにしてるのだけど、まあ要はコロナの煽りを食って2度目の無職になりました。

少し前まで心を削って働いていたので、しばらくの休養は良くも悪くも色々なことの棚卸しをするのにちょうどよかったかな。

子どもはまだいません。

ただ、ここ5年でようやくそのことを考えられる余裕が出てきました。

こればかりはどうなるかは天に任せるよりほかないですが、気持ちとしては無くもない、といったところまでようやくきたな、と思っています。

 

相変わらず、働けなくて苛々してますよ。

そして今はまだ東京に住んでいます。

幸いなことに、今のところダリンの転勤の打診はしばらくなさそうです。

いずれあるでしょうが、なったときに考えるけど、単身赴任になるんじゃないかな。

 

そしてオリンピックね!

そうそう。

歴史的な感染症の大流行で、なんとオリンピックが1年延期になり、無観客で開催されたので観戦はTV。

ラソンは札幌開催になるという異例づくしの大会でしたよ。

書いた時は本当に無邪気だったんだろうけど、あらためて何が起こるかわかりませんね。

 

それから、いけばなはまだ続けています。

予想している通り、今のところ"いちばん若い先生資格を持った人間"なので、下っ端仕事はばんばん降ってきてますよ。

花展になると道具と枝を持ってあっちこっちの先生に頭下げて走り回って、物を届けたり。

合同作品とかになると自分が中心でいけるようになったり、まあ個人の時には両隣は初めて出す人だったりと*5、まあいろいろです。

大変だけど、まあたのしくもあります。

今まで大して階級を上げていくことにも興味がなかったけど、まあぼちぼち教えてみたいなぁ、と思わないこともなくて。

まあただね。

場所の問題と道具の問題とお金の問題があるからどうしたもんかねーと思ってはおりつつ、教室的なやつをやるとかやらないとかは今後の課題として積んでおきます。

 

 

うつになって以降の人生は全てオマケのもの、というのは今もそう思ってます。

そういうもんよ。

相変わらずミニスカートもショートパンツも履くし、さすがに硬い靴は履けなくなってきているけど、ハイヒールも現役で履くわよ。

世の中の流れは、ヒールを撲滅しよう、みたいな話もあるみたいだけど。

やっぱり私はヒールが好きなんだよね。

 

カッコいい大人かどうかは自信がないけど、いうほど悪くない大人になってると思います。

 

*1:それ以前から別のサービスでは書いていて、いくつかの記事はこっちに持ってきました。

*2:しかも母は社会的な手続きにはあんまり強くなかったから、当時はほんとに気を張って生きてたと思います。

*3:今のダリンです。

*4:いいか悪いかは別ですが。

*5:面倒見ろ、ということですよね。