果たしてこれを書くべきなのかどうか、正直なところ結構悩んでいる。
拡散されたくないものをインターネットに出すべきか、と言われると基本的にはやめておいた方がいいはずだ。
ただ自分のこの先を考えると、これはここらで整理をしておかないとあかんかな、と思ってもいて、正直戸惑いながら書いている。
やっぱりあとで消すかもしれない。
そういう類のものである。
信仰について
さて。
うっかり酔っ払った拍子につぶやいたことがあるのだけど、自分は新興宗教を信仰している両親のもとに生まれた宗教3世なるものにあたる。
現在のわたしは正式な手順を踏んで穏当に退会している。*1
なので自身の信仰は明確に「無宗教」であるが、両親ときょうだいと祖父母は信者である。
信仰とは生まれたときから空気のようにすぐそこにあるものだった。
これが世間一般ではふつうのことではないと明確に意識するようになったのは思春期の頃くらいだったと思う。
まあ外では触れないようにしとこう、くらいのものではあったが。
両親が信仰に熱心かというとそんなことはなく、注意深く外では宗教の話をしないようにしていた。
人を勧誘したりしたり、熱心に寄付をしたり、というようなこととは凡そ無縁で、どちらかというと江戸時代の隠れキリシタンのような信仰の仕方に似ている気がする。
まあ今の時代は当時とは違って信教の自由が認められているので、宗教の考える節目にはそういう儀式の場*2に行ったり、お祈りに行ったりはしてましたが、感覚的には初詣みたいなものです。
仏壇と神棚の両方が飾ってある以外はまあまあ普通、普通…普通…?
普通ってなんでしょうね…
まあそれなりにきちんと暮らしている家という意味では、変わってはいるが一般的な家庭の範疇に入るくらいではあったと思う。
宗教1世と信仰
祖父母は熱心に宗教を信仰している1世ではあるのであるが、この人たちは適当なのである。
熱心に新興宗教を信仰しているわりに、彼等の理解している教義はデタラメで、ーー否、デタラメというと語弊があるのだけど。
戦後にぽこぽこ生まれた宗教は大体そういうものだと思うけど、初期はほとんどカルトに近く、信者が増えていくにあたって教義が洗練されていき、一般社会になんとなくなじんでいる雰囲気を纏うように内容も表向き穏やかになっていったのではないだろうか。*3
だから祖父母が理解していた初期の過激な教義は現在の教義とも結構な隔たりがあって*4、しかし昔からそうしている信者の行動が簡単に変わるわけでもなく、他人に伝達するときに間違った教義を伝えがちで、まあ大体そういうのが強引な勧誘に繋がったり、関係性に禍根を残すことを引き起こしたりしていた、と思う。
話が逸れたのだけど、神棚と仏壇が両方あったというのは、まあ祖父母はそういうゆるいが救われたい故の熱心な信仰心があった感じだったので新興宗教を信仰しつつ、地域のお寺の檀家でもあったわけです。*5
謎ですよね。
まあこの辺りは神仏混合の考え方が世の中やらお寺さんに一般的な空気としてうっすらあったから、許されていたかどうかはともかく普段質問されることもないので、そのまま通していたのだろう。
これはおそらくその新興宗教ができてからそんなに経っていなかったことが所以で、たぶんお葬式したりお墓を買ったりするためのところまで宗教側が到達してなかったせいなんじゃないか?と推察している。
墓と葬式に関しては地域のお寺さんでないと、親戚の同意が得られなかった可能性もあり、また曽祖父母と祖父母は同居してたものの折り合いが悪かったことも要因の一つにはなっていそうである。
さまざまなことが複雑に絡み合って謎の信仰形態になり、当人たちはそれに納得しているのだと思う。
今はすっかり平和になったのでもうそんなことは日本ではなかなかないと思うのですが、戦争を経験して戦後を現役世代として生きてきた世代にとっての子供は多産多死から多産少死から少産少死になっていくちょうど過渡期だったので、妊娠しても生まれてこない、もしくは生まれてきてもすぐに亡くなってしまう水子も多くて、祖父母の子供もそうでした。
数人水子になったあと、初めての子は生まれつきの病気があって長くは生きられない(大人になれる可能性が低い)ことがわかっていました。
そして最後に生まれて健康に育ったのがわたしの両親の片方、ということになります。
祖父母は当然のように*6、病弱な長子を溺愛し、できる限り優秀なお医者さまにもかかって、そして当時としてはめずらしく2馬力で働いていていました。
自分達の子供に生まれつき病気があること、そしてやがて長子は10代で亡くなるのですが、そういったことがあったので、宗教に縋るのはわからなくはないです。
むしろそうしなければ生きてはいけなかったのかもしれません。
病気を持って生まれてきてしまったのは自分のせいだ、と考えただろうことは容易に想像がつきますし、それに対して心無いことを不躾に言う人が今よりも多い時代に、ある意味では彼らにとって信仰は心の防衛、拠り所として機能していたのだろうと思います。
そんなことがあったら神でも仏でも縋りたいし、救われたい一心だったのではないか、と。
ちなみに私はその亡くなった長子に似ているので、歳をとって少しずつボケていくなかでよく間違えられた。
まあ間違えられた時は初めは両親が否定していたが、めんどくさいのでわりと私はそのまま話を適当に合わせていた気がする。
そうするとふと正気に戻って、あらやだ間違えちゃった、とか言ってたので、まあいいか、と。
間違えられて悲しいみたいなのもなくて(まあわたしが薄情な性格をしてる可能性もあるけど)、歳とって老齢になるってそういうことなんだな、という理解なのだ。
2世と信仰、宗教との関わり方
両親がそのまま宗教の信仰を続けているかというのにはいくつかの理由があった。
上記に書いてあるのを読めばなんとなく想像される通り、祖父母は今風に言えば毒親である。*7
結婚を許す条件として、当然の如く入信を突きつけていた。
両親は要求をのみ、宗教からの過度な要求がないのであれば、紙の上のことはそれで構わないということで家族で信者ということになっている。*8
2世の方の親にとって信仰は呼吸と同じようなものであって、いまさら辞める理由もないので普通に信仰しているようだ。
両親はどちらもミッション系の大学を出ていて、宗教学を学んだり、キリスト教を学んだりするのが好きで礼拝にも出ていたらしいので、もしかしたら宗教というものをある程度体系的に捉え直して整理がついていたのも一因かもしれない。
祖父母は「幸せになれる」ことを求めて祈っていたけど、両親が祈りの内容を話したことはなかったし、祈りについて強制されたことも、こういうことを祈るべき、と言われたこともない。*9
だから自分が行為として祈っていたのは神社のお参りと同じようなものだったし、考えを整理したい時に、祈るついでに色々と考えを整理するくらいの感じだった。
特に自身は宗教というものついて否定するほど生活に入り込まれていたわけでもなかったので、育つ過程においては年1程度の参拝、(七五三的な)節目の時に行われる儀式へ参加する程度で、さしたる負担もなかったのでそんな感じで大人になった。
毎日祈るとか勉強会等に参加するとかそういうことは自由意志に委ねられていたので、まあ別にやらんでいいか、という感じだった。
特に何も活動してはいないもののただ生まれてからずっと信仰していて節目の儀式だけは全部参加しているので、宗教側からは敬虔な信者という扱いでもあった。
自身は保育園/幼稚園〜大学に至るまで宗教法人とは無関係の学校にずっと通っていたが(他の学校に受からなかったともいう)、きょうだいは中等教育は宗教系の学校に通っていたし、両親もミッション系の大学に通っていたし、葬式と墓は地域の寺でやってるくらいなので、家庭内で様々な宗教との接触があり、その頻度は一般的な人よりも多かったと思う。
家には新約聖書も本棚に置いてあったので、暇潰しがてら読んだりもした。
ちなみに新約聖書は現在の我が家にもある。
退会の理由
社会人になると宗教に関する寄付が年1で発生した。
大きすぎる金額でもなくサブスクくらいのものだ。
社会人になるまでは両親のもとでの信仰だったので寄付(会費)は両親が払っていたが大人になったので自分で判断して払え、とのことだった。
5年くらいはそのままふつうに払っていたと思う。
何事も起こらず経済基盤も安定していれば退会する理由もないのだろう。
現に自分のきょうだいはそうだ。
さてではなぜ私は退会したのか。
それにはいくつか理由があった。
第一には当時転職を考えていて、転職するにあたって本当に自分は他社で通用するのか?という不安もあり、安定した経済基盤を失う可能性があった。
どこかには転職できるだろうと思っていたが、その時点で先のことは未知数であった。
そこでふと、ずっと寄付を払っていけるのか?ということを考えた時に、そもそも特に深く信仰しているわけでもないのになぜ自分は信者として残っているのだろうか?という疑問がもたげた。
第二に、もし将来的に自身が結婚して家庭を築くということを考えた場合、宗教についての説明は不可避であることだ。*10
一般的にこれは結構ネックになる。
私自身は信仰は個人の自由だと思っているし、個人の問題だとは考えているものの、果たして世間一般でもその論理が通用するのだろうか?
否、結婚前後のどこかの段階で説明責任が発生するだろうことは容易に想像できた。
自身が3世として宗教をある意味内側から見てきて、「成人(元服)、結婚、出産、教育、葬式」*11はほとんどの宗教で絶対に外せないポイントであることはわかっていた。
これをいかに下の世代に継いで広げていけるかいけるか、ということが宗教自体の存続を左右しかねない問題だからである。
自身は信者だとしてもこれを他人に広げていきたい欲はなく、またそれを使命だとも考えられなかった。*12
今後万が一結婚したり出産したりするならば、宗教が私の生活にするりと入り込んでくる余地は山ほどあり、しかしそれは自分には許容し難いものであった。
自分が儀式等に参加することに関しては、正直なところどっちでもよかったのだ。
でもたとえば将来結婚も出産もうっかりしてしまったとして、それを子供にやらせたいかと言われると、いや別にやらんでいいのでは、と思ったし、ましてパートナーにも信仰してほしいとか、儀式に参加してほしいという気持ちは全くなかった。
現代の生活において、あまり一般的ではない宗教行事に参加することは多かれ少なかれ時間などの犠牲はある。
教義を信仰しているのであればともかく、そうでないのであればそこまでして、家族で宗教コミットメントすることは心の安定を得られるかもしれないけど同時に犠牲にするものがより多いのでは、という考えに至った。
退会、その後
そんなわけで、まあやめるか、と思い立ちそれを実行したのは20代の後半だった。
いちおう両親には信仰をやめる旨を伝えると、双方とも
「信仰の自由は個人に委ねられているからそうしたいならそうすればいい」
という話と、
「入信は結婚の条件だった(から、自分は信仰しているだけである)」
という話が出てきたので、じゃあやっぱりやめたところで問題ないな、と思った。
信仰から離脱すると伝えた時に、ほんの少しだけ両親がほっとした表情を浮かべていたのは印象に残っている。
その後、宗教の教義場に赴き、所定の手続きに従って退会した。
理由を聞かれ、祈り、事務手続きをする。
簡単ではなかったが難しくもなかった。
ちなみにあとから宗教団体の職員や地域の信者をとりまとめる人から私の退会を知らされた祖父母は相当怒り、両親と揉めたようではあったがその話は後に聞いた。
そんなわけで、晴れて生まれて初めての「無宗教」になり独立した個人となった。
それからしばらくはなんとなく覚束ない感覚もあり、不安定になった時もあって初めて宗教ってそういう意味でも効くんだな…!と実感したりして、それは新しい発見でもあった。
祈り自体には忌避感もないので、気が向いた時にはうっすらそういう意識はある。
まあ元々、自分は神社やお寺も普通に参拝するし、クリスマスも祝うので。
そのあと両親の片方が倒れたり、自身が病気になったりして、弱った時にどこからともなくカルトや似非科学やマルチの勧誘があることを身をもって体験もした。*13
子育て中のお母さんとかも大変ですね…。
弱ってる人間にやさしい感じで寄ってきて嵌めるって凄いな…、そして今自分はカモだって認識されてるんだな、弱ってる時には気をつけよう、と思いながら説明を聞いていたので、脳の調子が良くなかったにせよ、ぼーっとしていてもそう感じる理性が残っていたのは幸いだった。
自身が弱っていてしんどい時に、どういう風にそれらが寄ってくるのか、また説明を聞いたときに自身がどういう心の動きをするのかを経験できたのは良かった。
やっぱりあれはしんどかったら誰でも縋ると思うので、そうしない/させないためにも一般社会でどうにか拾い上げていく仕組みを構築しないとどうにもならないんじゃないかな、と感じました。
ほんとに微かな隙をついてくるんですよね。
だから疑り深いから騙されない、ということは全然なくて、注意していても引き寄せられてしまうのもよくわかります。
結婚
その後、することがないと思っていた結婚だけど、「1回試してみるのもいいかな、人生1回きりだし」と思って縁とタイミングがあって結婚した。
結婚。
そう結婚です。
宗教的には入り込む余地が発生しやすい、あの。
事前にダリンにきいていた話では、家族はクリスチャンで、子どもの頃は日曜日に教会に行きみんなでミサに参加するのが習慣だったが、大人になってからは自身は行っていない。
家族は全員クリスチャンだが参加濃度は個々人によっていて、自分はほとんど関わりがないから宗教的に厄介なことが起こることはない、至ってふつうだ、と言っていた。*14
話を聞いたときは、正直やれやれまた厄介なもん引っ張ってきたな…、今からでもやめようかな、という気持ちがなかったわけではなかったが、長年いちおう信仰を持っていた身としてはどういう風に先方が関わってくるのか凡その予想がついていたので、まあ付き合ってみるかと思い至った。
別れるのはいつでもできるし、防御する方法も大体わかっていたので。
防御は楽ではないが難しくもなく、新たにキリスト教の考え方というのを偶発的にも知ることができたのは興味深い体験だった。
義理の両親には私の信仰について確認されたので無宗教です、と説明していた。
注意深く様子を見ていてわかったことだが、義理の両親の理解では、ダリンは「ちゃんと信仰心がある方の子」という理解だったので*15、当人の認知と齟齬があることもうっすら私は気づいていた。
当人側はたぶん無意識なんだろうな、というのもわかっていたので、特に指摘したりもせずに放っておいた。
できれば個人の信仰には手を突っ込んだり足を踏み入れたりしたくない、というのが基本的なわたしの考え方である。
どれだけ丁寧に手順を踏んだとしても、突っ込む方も無傷では済まないのがわかっているので、しばらくそっとしておくことにした。
クリスマス前には義実家のlineにはミサがありますよ、というのも流れてきていたし、年末に義実家に訪問するがもわかっていた時、行ったかどうか確認されて行ってないと確認されると面倒である、という理由でクリスマスのミサに行くダリンに付き合って参加したこともある。*16
ミサとはどういうものなのか?とあれこれ質問するわたしに、ダリンはパンとぶどう酒の話などを丁寧に答えるので、理解が深まっていくのは単純に面白くはあった。
義両親はダリンの持つ家庭を明確に教会の教えに引き寄せようという意図があったことには気づいていたが、事をおこしても面倒なのでしばらく様子を見ることにした。*17
ダリンと義両親の関係性も正直なところいまいち見えてこなかったというのもある。
そして挙式はこうするのでいいよね、と2人で決め、報告してたところで案の定問題が勃発した。
初めは2人の自由だからやりたいようにやったらいいよ*18、といわれたものの、できることならキリスト教の教会でやってほしい、と言われ、「まあ一応調べてみますが期待に添えないかもしれません。それがお義父さまとお義母さまのご希望ですね?」と言って、持ち帰ったのは今考えてもファインプレーだった。
当初から海外挙式を考えていたのでハワイやイタリアなどのヨーロッパでは実際にできる可能性もあったが、そこでやる予定はなく、該当する宗派の教会がなくウェディングプランナーを通すのは難しそうだったので、「ご希望に添えるところはなかったので、残念ですが難しそうです。こういう形でやろうと思います。」とさらっと報告し、了解も得た。
そこまでは、よかった。
報告した後、義両親から何度か挙式についての提案のlineがあった。(その前の時点で、いついつここでこうやります、と伝えてはいましたよ。)
海外でやるならこういう方法はどうか、というものから、国内でもここならこういう挙式ができる、というものまで。
面倒だったので適当に返していたのだが、ある日事件は起こる。
自分達でやるのはそれはそれでいいが、教会でできそうなところを見つけてきたので一度現地で話を聞くのはどうだろうか、◯/◯日なら時間がとれる、もちろん義両親もその話の場に同席する、というもの。
いやぁ、頭を抱えましたよね。
人の話聞けよ、私達やらんって言うたよ?と。
そう言っていても仕方がないので、まずはダリンと膝と膝を突き合わせてダリンの意思を確認することに。
わたしが確認したかったのは、
・本当のところ自身の信仰についてどう思って、どう感じて、今後どうしたいのか
・実際のところ、教会できちんと宗教の儀式としての結婚式を挙げたい気持ちがあるのか、挙げないとしたら後悔はないのか
の2点。
信仰については今まで深く考えてきたことがないのでどうしたいのかというのもよく分からない。
ただ普段は多忙な生活なのでそちらに時間を割くのも難しいし、積極的に時間を割きたいとは思っていない。
一方で、ここ最近の両親側からの距離の詰め方が今までなかったものなので戸惑いがあること、儀式として結婚式を挙げたい気持ちがあるか言われると正直それも分からないが、両親がやりたいのを叶えてやりたい気持ちも1cmくらいある。
ということだったので、
自分は義両親のための式であればやる義理があるとは思わないけど、あなた自身が儀式としての結婚式をやっておきたい気持ちが少しでもあるなら、それはきちんとそう言ってほしいし、ちゃんと自分を説得してほしい。
キリスト教にとって結婚式が重いもので、信仰として大事な儀式であることは理解してるので、費用をそっちで持ってこっちに大した負担がかからないのであれば、それに付き合うのは苦痛ではない。
信仰とはそういうものだと、自分は理解しているので。*19
ただし私の信教の自由は私個人にあってそこには不用意に踏み込んでほしくないこと、教会のお作法には全く詳しくないので逐一地雷原になりそうなものついては説明してほしいことを付け加えて、伝えた。
そんなわけで、その後も諸々のトラブルは発生したが、両家に禍根と後悔が残らないようにあちこち奔走して物事をなんとか丸め込み、和やかな結婚式を2回やった。
1回目は国内で、2回目は元々予定していた海外で。*20
↑のlineがきてから国内の教会挙式をやるまでの期間は3ヶ月しかなくて、突貫スケジュールで対応したのがクソ大変すぎて二度とやらんぞ、と思ったけど。
ふつうは短くても半年くらいの時間をみるので、海外挙式はそのくらいの余裕をもったスケジュールで対応していた。
教会挙式は挙式だけだとプランナーがいないので、ドレス/ブーケ/ヘアセット&アテンド/カメラマン(←教会挙式は入れる場所制約があるなどルールがあるので詳しい人に頼む必要がある)の予約をそれぞれ別個にやり、タクシー等の脚の確保をし、2回分のドレスの試着とヘアセットの打ち合わせをして、海外挙式の招待客の旅行の手配をして、その合間に結婚講座を受けに行く怒涛の日々だった。
忙しすぎてどうやってやり切ったのか覚えてないわ…。
キリスト教の教会で式をやる場合には、結婚講座を受講する必要があるので、それも3ヶ月のなかでどうにかぎりぎり間に合わせた。
結婚講座自体はかなり面白くて、実用的なものもあればキリスト教の理解を深めるものもあり、ほうほうこういう風に結婚については考えてるのか、とか子供についてはそう考えるのか、というのを理解できて大変興味深かった。
機会があったらほかも受けてみたいと思うくらい。*21
講座のいくつかは現代社会で結婚前にやっとくとスピード離婚は減りそうだな、と思うようなものだ。
ちなみに聖イグナチオ教会では棋士の加藤一二三夫妻もこの講座の講師をやっているらしい(ネットでそんな記事を見た)。
自分がこの講座おもしろいと感じたのは、もしかしたら宗教というものに慣れていたせいかもしれない。
話を聞いたりワークしたりしても、ああそういうところは宗教だからそういった教えになるよね、と思いながらきいていたので、そういうもんだなぁ〜と呑気に構えていたけど、宗教というものを知らずにああいったのを受けたら、めちゃくちゃ感動するか強い忌避感を引き起こす可能性はありそうだった。
結果的にドレスは2種類着れたし、映える写真もいっぱい撮ってもらったし、アルバムも作って、長いバージンロードも歩けたし、美しい教会だったのでまあ楽しいっちゃ楽しんだのもほんと。
ちなみに義理の実家とは3年後くらいにこれとは別の問題が発生して結果的に関係が断絶したのですが、結婚式の段階で自分たちのベストは尽くして精一杯の誠意は見せたと考えているので、以降に起こったトラブルについては心残りなく処理できた。
その後のはなし
今回こういった宗教について自分の考えを一度整理しようと思ったきっかけは、元首相が銃撃されるという傷ましい事件が起こったことが一端ではある。
バックグラウンドには宗教2世問題がありそうだ、というのが各種報道で伝えられている。
厳密にはカルトと宗教は別のものであり(宗教という概念の中にカルトが包括されているイメージです)、宗教が背景に、という報道には違和感もあるが。
また00年以降、9.11、3.11、原発事故、ロシアの対ウクライナ侵攻など、起こらないと思っていたことがどんどん現実の事象として起こり、不安定な時代をどうにか生きていこうというなかで、改めて宗教の役割を捉え直す言説を見かけることが増えたような気がしているし、私自身は宗教が果たせる/果たしている役割はもっと見直されてもいいのではないか、とも考えている。
ただ90年代のオウム真理教事件があったこともあり、宗教に対して以外と日本社会は無防備なのではないか、と感じることもあり、自身が宗教3世でもあったので、あらためて宗教というものについて少し考え方を整理してみよう、と思ったのだ。
過度や過激なものは論外だが、歴史を振り返れば宗教は国家の枠を簡単に超えていくし*22、信仰とは空気のようなものなのではないかと思う。
宗教は人間が衝撃的な事件や辛いこと、厳しい自然環境や伝染病などをどうにか乗り越えるための叡智でもあるのではないかと思う。
今回こういったことを書いてみて、自身は内側にいたので明文化されていない宗教の行動規範のようなものをインストールしていて、それによって他の宗教に対してもある程度こういうことだろうな、と考えることがあるのだけど、そういう感覚は一般的ではないのかな、と感じている。
普段の生活で宗教3世だった話を人にすることはないけど、時々人から宗教2世をカミングアウトされることがある。
なんかそういう勘みたいなのが働くのですかね。
そういうときには(話を聞ける元気があるときは)話をきいて、はんはんなるほど、と相槌を打つようなことはたまに起こる。
また家族との関係性に特段の変化はなくいたってそのままで、宗教から離脱する前後で関係性の変化というのは特に発生していないけど、こういうのは稀な方かもしれない、という自認はある。
いくつかの記事を読んで、この話題はいったん自分の中で整理しておこうかな、と思ってこのエントリーを書いたらえらく長くなってしまった。
(ので、当初の意図通りそんなに読まれないのではないかな。)
(*このエントリー関連だなと思うものに関しては、本ブログにてお返事します。)
*1:できるの?と思うかもしれないけど、できました。運がよかったのかもしれません。
*3:そう書くと、忌避されるところもあるけどまああそこはそういうものだから、っていう理解されているのっていくつか思いつきませんか?
*4:というのは、大人になってから実際のところこの宗教ではどういう教えなのかということはちゃんと確認しておこうと思って、わりと偉い人が話す会に聞きにいったことがあるのだけど、いやいや普段聞いてるのとぜんぜん違うじゃん!となったわけです。意外とスタイリッシュに教義も進化しているのです。
*5:ちなみに地域のお寺はわりと由緒正しい古くからある宗派です。ここの宗派の人は近所以外であったことがないです。そういえば。
*6:それは本来そうあってはいけないのですが当時の心境を考えれば致し方なかったのかもしれません。
*7:もう片方の両親の祖父母もまあ毒親ということでいいと思う。両親はネグレクトされた者同士、お互いのバックグラウンドを理解しやすかったのかもしれない。今も仲が良く、また結束も強いと思う。
*8:片方は結婚する時に入信し、子どもの教育にある程度宗教が関わることを許容した。
*9:祖父母からは熱心に祈ることを勧められたり、より強く宗教へのコミットメントを求められたことはあるが、無視していいと親に言われていたのでほとんどそういった類のものは無視していた。
*10:ちなみに結婚する予定は全くなく、この時点ではしたいとも思っていなかった。
*11:それと不幸や不慮の事故や病気は入信のきっかけになりやすい
*13:渋谷の某最大マルチ組織にも勧誘された。
*14:そんなわけなかろう、と疑念の視線で見ていたことは秘密である。
*15:優等生やりすぎてたせい
*16:結婚の話を報告するまで、ダリンと実家の関係はおそらく一般的な家庭より薄く、長く教会からも実家からも本人の足が遠のいていたのは事実である。結婚の話が出始めがあたりで教会関係の接触がさりげなく増え、拒絶するのを本人が面倒がったものが結果的に私に丸っと降ってきたのだった。私から見れば、という話だが。
*17:度々教会の情報出してどういったものか紹介し、興味があったら来てみてほしい、というのを言ってくるのはまあ端的にいってそういう意図で差し支えないと思います。
*18:この言葉、結婚関係で発されたらマジで危険なのでちゃんと確認しておいた方がいいです。
*19:単に育つ環境で当たり前のように宗教儀式があったので、儀式に参加する心理的ハードルはなく、自分たちのやりたい式は別にやるのだから、気持ちの整理として儀式としての結婚式をやりたいならやっといたほうが良いのでは、という考えだった。
*20:キリスト教の教義では挙式は1回しか認められていない。
*21:信仰したい、というよりフィールドワークして研究したい、という感じだけど。
*22:宗教と国家は密接に関わりがありますし