祖母の白寿のお祝い

先日、満99歳(数えで100歳)になった祖母の白寿のお祝いをやった。

さすがに身体のあちこちに不具合が出てきており、そろそろ本格的に外出も難しくなってきたので祖母と一緒に家族で集まれるのはたぶんこれが最後だろう。

下は0歳から上は99歳までいるので、移動と諸々がラクなホテルのレストランで行われ、写真室で集合写真を撮った。

10:50にみなとみらいのホテルに集合だったので、朝早くからの子連れ移動を頑張った。

ベビーカーにお出かけバックと抱っこ紐を乗せ、リュックを背負い、スーツケースをゴロゴロひいての移動は大人が2人いても大変。

しかもずっとベビーカーに乗っていてくれるわけではなくて、たまに抱っこをせがんだりする。

 

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遠くに見えるのはベイブリッジ鶴見つばさ橋

お天気に恵まれてよかった

 

 

 

お祝いの日の直前の週に写真撮影を思い出して慌てて美容院に駆け込んだので、比較的ヘアはセットしやすかったんだけど、当日の朝母がヘアセットに行っていた話を聞いて親子だなあと思った。

わたしの結婚式の時に、キラキラネイルをやってもらいたいし綺麗にしたいから通ってるブライダルエステを教えてくれと言われたことを思い出した。

教えた翌週にエステに行ったら「お母さま、先日いらっしゃいましたよ」と伝えてくれたのだった。

ジェルネイルしたのはこの時が初めてだったんじゃないかな。

 

 

 

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数えで100歳おめでとうございます

とうとう白寿かぁ…

 

 

 

大正15年に東北で生まれて昭和の元号とともに歳を重ねてきた祖母は先日最長寿だった祖母の姉にならび、上から順番に男4人女3人の7人の兄弟姉妹のうちでいちばん長く生きており、とうとう最後の1人になった。*1

兄弟姉妹の中では下から2番目なので最後の1人になる可能性はまああったけど、男性陣は長寿で80代後半だったけど下の3姉妹は全員90代後半までは生きたので世の中の平均寿命とぴったり合っている。

本人は70代の頃から100歳まで生きる気満々で、自分で決めたことに運命の方を強引に従わせる生き方は祖母らしいな、と思った。

祖母を見ていると人間は生きてきたようにしか死に向かっていけないのだなと思う。

病気明けでちょっと足元が不安定だった父に「わたしの杖を貸してあげましょうか?」という祖母のやりとりはまるで漫才のようだった。

リアルボケ…

 

 

 

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肉は少し食べて残してたけど、鮨も天ぷらもほぼ完食してた

 

 

 

 

 

杖をついて歩けているとはいえ身体のあちこちに不具合が多く発生していてさすがに目が見えなくなっているのだが、ビールを飲んでいたし和食のコース料理も肉を残したくらいで他はほぼ完食しており、内臓が健康なのが凄い。

世の中の物流が回復してきた20代の後半くらいからずっとビールを飲んできているはずなんだけど、内臓の強さには本当に驚く。

認知の低下はここ2年でだいぶ加速しており、時折子や孫の存在や名前を忘れていたりするのだが、ベビの存在だけは覚えていたらしい。

おそらく待ち望んでいたであろう曾孫の力はすごい。

和食のコースは美味しく、楽しい時間だった。

写真室のカメラマンに「99歳差ですね」と言われて、言われたらそうだなぁ…と妙に納得した。

 

 

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祖母に抱かれるベビ

 

 

ベビはいろんな人に抱っこされて終日ご機嫌で興奮しており昼間は一睡もしなかったが、夜はこてんと爆睡した。

毎度外面が完璧に良く、家で泣き叫んでる時とは全然違って驚く。

外面がいいのはダリンの性格を受け継いだからかなぁ。

久しぶりのレストランでの外食は美味しかった。

たまの外食、生き返るわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:3番目のお兄さんだけが若いうちに戦死しており、それ以外は男性陣も80代半ば〜後半まで生きており比較的長寿の家系である。西暦でカウントすると1925年生まれなので三島由紀夫と同い年である。