”30歳”を越えるーー。

いつものように、布団に寝っ転がってネットサーフィンをしていたら目に入ったお題。

SK-Ⅱがスポンサー。

CMには桃井かおりとか綾瀬はるかとかが出ていて、割と好きだ。

P&Gってマーケティングが得意な会社というイメージがある。*1

 

年齢と女性は、切っても切り離せない。

お題についてエントリーを書いてみたい、と思いつつ、書きたいことが全然まとまらない恐怖が先行して寝かせていたけど、勇気をもって書いてみたい。

 

 

はじめに、私、iは”アラサー”である。

動画に出てくる彼女たちと、年齢が近い。

最後まで見たが、腕に表示される年齢と戦う姿はキリキリと胸に刺さった。

”around”という表記は便利なもので、越えても越えてなくても、その周辺の年齢を指すが、越えたのかあるいはこれから越えるのかはかなり違いがあると感じている。

今までなるべく書き手である自分の輪郭をできる限りぼかしたくて、特に年齢についてはぼかしてきたが、30歳を越えている。

わたしにとって、”30歳”は呪縛のようなものだった。

今もそこから解き放たれているとは言い難く、もやもやしながら生きている、と表現するのが正しい。

だけれども、20代後半の時に思っていた30歳よりも先の未来とはだいぶ違った景色が見えているので、そこに至るまでの恥ずかしい奮闘を少し書いてみたい。

 

 

女としての旬

「女の旬は26、27、28。」

その発言を耳にしたのは、24か25の時。

社会人になって2年目とか3年目とかで、仕事を覚えてルーティンワークを回せるようになり、日々の生活が少し落ち着いてきた頃。

このテーマを議論にのせると、様々な面で少々面倒なことになりそうなことだが、当時の私には概ねそうだろうな、と腑に落ちる発言だった。

働き始めて経済的にも少しは稼げるようになり、会議でも少しは発言ができるようになる。

仕事もプライベートも忙しいけど充実。

というか、仕事が終わってからのプライベートが本番。

また、25を過ぎて少しずつそこまでの努力が表面に出始める時期でもあり、気力も体力もエネルギーも溢れていて、やればやっただけリターンが戻ってくる時期だと思う。

 

その当時の私は、その旬の時期に自身が持てるエネルギーやらお金やら体力やら体やらの全てを投入して”何か”を掴みとらなければ、その後の自分の人生を思う通りに描いて過ごすことができないと思っていて、とにかくそこからの4、5年間、仕事にデートに趣味に旅行にパーティーに外見磨きに、文字どおり全力で過ごした。*2

 

 

結婚、出産という名の抑圧

全力疾走していたので周囲の空気の変化には疎かったが、それでも、そういう風にしてとにかく何者かになろうということで頭がいっぱいになっている私をよそに、周りの空気が変わってきたことに気がついたのは27の時。

結婚式に呼ばれる頻度が増えてきたり、あるいは女子会していると必ず結婚の話題になったり、facebookに頻繁にあがってくる結婚式や知り合いの子供の写真が増えてきたりした。 

その時はそれどころではなく、”自立した大人の憧れの女性になりたい”ということで一心不乱になっていたが、付き合ったりデートしたりする男性からも結構な頻度でそういった結婚や家族の話題になったり、あるいは両親とご飯を食べているときに「(いい年なのに)付き合ってる人はいないのか?」という話になったり。*3

あるいは会社の飲み会に顔を出せば、「結婚しないの?」「子供ほしくない?」と言われたり。*4

内心では、

”いちいちうるさい!!!

ほっといてよ!!!

今、私はそれどころではないんだから!!!”

と思っていたが、表立ってそのことを出すわけにもいかず、曖昧な笑顔で、苦虫を噛み潰しながら「いい人がいないんです〜。」と答えるのが精一杯だった。

 

結局、結婚と出産のプレッシャーは私が結婚するまでなくならず*5、27くらいからはいつもイライラしていて、心は嵐のようだったし、端からみたらハリネズミみたいだと思われたのではないだろうか。

 

辛くて泣こうと思っても、気がついたら涙も出なくなっていた。

 

 

30歳の壁

26、27、28の時期を全力で駆け抜けて29歳になった。

そのときの気分をひとことで表すなら”最悪”につきる。

ーーー30歳まであと1年。

盛大なため息と体調不良とともに迎えた誕生日。

 

あと1年で、何かを成し遂げなければ.....!

そこから先の人生を、私自身の手で切り開けなくなってしまう。

よくわからない焦りで心の中はいっぱいだった。

 

恋も仕事もドラマのように、とまではいかなくとも、ドラマチックな事柄はひと通り経験した。

でも、”何者にもなれない、かもしれない”、という苦い現実を、当時の私は受け入れられなかった。

押せば開くと思っていた未来の扉は、とてつもなく重く感じた。

 

仕事も順調とはほど遠かったが、それでもそろそろ次のステップを考えたところの、難易度の上がるものが降ってくることが増えた。

それまでは適当に、しかし真面目に働いてきたが、「キャリア」ということを考えると、どういう方向でどういったことをしたいかもそろそろ考えて固めなければならない。

将来、年上の女性の部下を持ってチームを回す、ということを考えると、頭痛と吐き気がした。

今でさえ上司の愚痴を聞き流すのだけで胃がキリキリするというのに、彼女たちを引っ張っていくなんて到底無理である。

あるいはお客さんととことん向き合い、抱えている問題や課題を解決する、というそんな高度なことができるのかといえば、若干自身のコミュニケーション能力に難があると思っている私は、足がすくんだ。*6

それはどちらもまったく実現できそうにない未来絵図だった。

 

では、転職をするべきなのか?

少し前から、それも考え始めて転職サイトに登録したものの、体力的に全く活動できなかったし、また判断能力もその時すでにかなり落ちていた。

とにかく、自立して生活するためには仕事をしなければならないし、稼げるようにならなければならない。

そういう認識はしていたが、行動を起こす気力と体力はすでに限界を迎えておりほとんど残っていなかったのだ。

 

そうこうしつつ、10歳以上年上の先輩たちの間でうまく立ち回り仕事を回していくことにも、実家である自宅に帰れば祖父母と両親は結構な頻度でガチャガチャと揉めていることにもとにかく疲れていた。

一人暮らしするために引越しをしようにも先立つものもなく、都会のスタイリッシュなお付き合いやデートにも消耗していた私は、今いる場所から逃げるように地方都市に転勤になっていた飲み仲間の同期のところに頻繁に通った。

とにかく、物理的に、今いる場所から離れたかったのだ。

 

 

誰に何のアドバイスを求めればいいのか、

自分は今後どうしたいのか、

本当に何もわからなかった。

 

 

ー私がなりたかった姿はこうではない。ー 

その気持ちだけが、そのときの私にわかっていることだった。 

 

29歳のバースデーを迎えて1月もした頃、きりきりとただ何かの目標に向かって締め上げ続けていた心と身体はストレスに耐えられなくなり悲鳴をあげた。

 

ぷつんと、何か緊張の糸が切れた気がした。

 

会社に行けなくなり、病院へいくことを促され、診断結果はうつ病だった。

同じ時期、逃げ場にしていた同期は異動で東京へ戻ってきた。

物理的に遠かったから良かったのに....、と思ったが、それらのもろもろのことを考えられる余裕は全くなかった。

毎日会社に通っていたときは、仕事とか恋愛とか結婚とか出産とかキャリアとかわけわからないものとかの自分に降りかかっている面倒ごとにダイナマイトを放り込んでまとめて燃やしてしまいたいと思っていたが、図らずしもうつになったことでそれらは無くなった。

 

目の前に広がったのは虚無。

思うように身体も脳も動かないので、ひとまず、すべてのスイッチを切って身体を休めることに徹した。

30歳へのカウントダウンの音を聞いている余裕すらなかった。

 

プロポーズ?、そして結婚

病院通いを始めてからの3ヶ月は、ベッドからほとんど動けなかった。

たまに外出するとその後の1日2日は全く布団に包まり、早く復職しなければと焦る気持ちを抱える日々。

実家で過ごす時と、東京に戻ってきた彼の家で過ごす時と大体半々くらいだったと思う。

「うつになった」と報告をしたとき、私自身は彼と私の関係は解消の方向へ向かうだろうと思っていて、付き合うのがしんどくなったら解消してくれと伝えたが、そうはならなかった。*7

身体の調子のいいときにはデートに出かけたり、荷物を放りこんだだけになっている彼の部屋の掃除を手伝ったりして、毎日が過ぎていった。 

 

休職し始めてから半年経った年末。

買ってきてから忙しくて放置してあった彼の家の棚を組み立てていたとき、いつもと変わらない何気ない会話をしていた。

 

「ぼちぼちかなぁ....。」

『なにが?』

「昇進。早いとそろそろやな。」

『あぁ。そうだねえ。』

「上がると忙しくなるよな。今でも十分忙しいけど。」

『・・・・そうね。いろんなこと、するなら今しかないんだろうね。(まぁ、忙しいったってひとごとだしな。この人は若いうちにやりたいことをやり尽くすってことをやったらいいんじゃないかな。)

「・・・!? i、する気あるん?」

(あ、まずい。そっちの話か。)えーっと、結婚?』

「そう、それ。」

『うーん、と...。  まぁ、いいんじゃない? 』

 

一瞬考えたが、出てきた答えは言葉のとおり「まあいっか」だった。

 

 

付き合い始めた当初、年齢が年齢だったので”結婚を視野に入れた上で付き合いたい”というようなことを彼から言われていたので、相手に結婚願望があることは知っていた。

「げ、めんどくさ。」と思いつつも、「まあそういう年齢だよな、自分も。」ということで、理解はしていた。

とは言え、私自身は「すごく結婚したい!」わけではなく、結婚することは考えた方がいいんだけど、とは言え彼もしばらく地方都市だし、しばらくはめんどくさいから考えなくていいか、と思って棚上げしていて、彼が戻ってきてからはうつでぼんやりしていたので考える余裕はなく、そのままにしていた。

 

唐突に落ちてきた問いだったが、答えは驚くほど自然にでてきたと思う。

 

 

そこから先は全く想定していない目の回るような忙しさだった。

お正月に実家に帰った際に、お互いの親に「結婚しようと思っている人がいる」と話をして、翌月に我が家の両親に、翌々月には彼の両親へのご挨拶。

とりあえず秋頃に顔合わせをして年内に入籍、結婚式は海外で1年後くらいという形でそれっぽい形にまとめた。

その後私はようやっと仕事に復職して時短で働き始めた。

戻ってからしばらくは身体がまったくついていかず、調子が悪い。とぶつぶつ文句を言いながらも、どうにかこうにかやり過ごす。

自宅より彼の家の方が職場に近かったので、半分は実家から、残りの半分は彼の家から通っており、半同棲状態で3ヶ月くらい過ごした。

 

現状が職場にバレると面倒なので(帰りの電車の方向が真逆なためバレる可能性が高い。)、とりあえず会社にも「結婚します。」的なことを言っとくかということになり報告。

一悶着あったのだが、いちおう上司にも了承された。

 

 

ばたばたしながら迎えた30歳のバースデー。

あらためて、彼からのプロポーズを受けた。 *8

ずっと怖かった”30歳”。

怖くて怖くて仕方がなかったのに、30歳になる直前の1年は恐怖を感じている暇もないくらい忙しかった。

20代後半のお誕生日というイベントは、私にとって年齢の数字が1つ増える恐怖の日であり続けたが、このとき迎えたその日は笑っちゃうくらい幸せだった。

 

虫の知らせだったのだろうか。

入籍は年末にする予定だったが、日々があまりに忙しく土日はほとんど動ける状態になかったので、書けるうちに婚姻届を書いておこうと言って日付は入れずに書類だけは出せる形にして保管することにしたら、入院していた祖父の調子が芳しくなく、想定外ではあったが先に籍だけ入れることになった。

結婚記念日を普通に忘れそうだったので、忘れないために予定していたのは7月7日の七夕。

この日に入籍するカップルは多いらしく、役所は結構ばたばたらしい...と、窓口のお兄さんが言っていた。

「明日は忙しいけど今日は全然だからついでに写真撮っていく?スマホ出して?」

と親切に写真も撮ってくれた。

(その日撮った写真は、思い出に残るものになったので、入籍するカップルには時計と一緒に写ることをオススメします♡)

1日早くなった入籍日と、結婚指輪に彫られたずれた日付はとても強く印象に残ったのでまあよかったような.....?*9

 

 

レールを降りる

私は結婚することと仕事を続けるかどうかは天秤にかけるものだとは考えてはいなかった。

それとこれとは別問題だし、仕事はずっと続けたいーー、というか、自分が働き続けることに疑問を持ったことすらなかった。

相手も自分も同じ会社で働いていると、仕事の話やニュアンスは普段の会話でもなんとなくコンセンサスが取れるので帰りの時間や家事の分担などでコミュニケーションを取るのにあまり苦労しないという利点はあるが、狭い世界観の中で生活して夫婦そろって同じ感覚っていうのはなんとなく気持ち悪くて嫌なんだよな.....。だいたい言葉にしないでもわかってくれるっていう感覚ってどうなの?!と思っていたので、復職して1年くらい働いてから転職しようと思っていた。

なので入籍してからも着々と旧姓使用しますとか、辞めずにこのまま働きます!と伝えていた。

  

....のだけど。

半年働いて、周囲からは全然問題なく働けるように見えていたと思う。

戻ってからも比較的普通に仕事を渡してくれたので(っつーか普通に渡しすぎだよ!!と思ってたけど)、きつかったけど仕事のカンは戻ってきたのでまあよかった。

けれども、根本的な「どういうキャリアに進みたいのか」というところは解決はしておらず、「この会社に残ってまでやりたい仕事ってないんだよなぁ...。」とぼんやり思っていたもやもやはどんどん大きくなっていった。

あと体力的にはきつくて、処方されるうつの薬は増える一方でなかなか減らせないし、ずっとこれを続けると結婚式の準備とかできないな....、とも感じていた。

薬を飲み続けてまで頑張って働く理由を、自分の中に見出せなくなったのだ。

それであるならばと思い、冷静に”そのときやりたいこと”を考えた。

私にとって一番大事なことは”結婚式の準備に時間を割くこと”だった。

 

絶対シンプルでかわいいドレスが着たい!!!

あと結婚式で色々準備したりするのに時間をかけたいし妥協したくない。

それが素直な気持ちだった。

 

いずれ辞めようと思っているのであれば、別に今でもいいかーーー。

 

もちろん、

1年も休んだら転職活動が不利になりすぎるなぁ、とか、

ここで辞めたら生涯賃金1億ぐらいロスするわ、とか、

万が一子供を産むことを考えると、育産休的なやつは今よりレベルが落ちるというかほぼほぼないんだろうなぁ.....、とか

せっかくここまで継続して働いてきたのにもったいないな、とか、

退職金ほとんどでないわ、もったいな〜、とか、

思うことはたくさんあった。

けど、それらを勘案しても、私の心は会社を辞めることに傾いていた。 

 

幸いにも相方は共働きにこだわる人ではなかった。

一応世帯の収入に関わることなので「辞めようかと思うんだけど...」と相談したが、「別に好きにしたらいいんじゃない?とりあえずすぐに困るってわけでもないんだし....。」と言われたので、じゃあまあ辞めるか、とあっさり決心がつき、未来に何の保証もないまま1ヶ月後に会社を辞めた。

 

アップorアウトとまでは言われたことはないけれど、仕事を続けるということは私にとってはそういうことだったので、不思議と納得感はあった。

 

新卒で入社してから働いてきて、どこかで転職はするかもしれないとは思っていたが、寿退職するというのは想定外だったが、もう1回同じところに戻ったとしても、やっぱりそうするような気がする。

 

 

”30歳”を越えて

色々あったが、その後無事に結婚式と引っ越しを終えて、目の回るような忙しさでバタバタしていた日々から日常生活に戻ってきた。

バタバタが終わったらすぐにガンガン働き始めようと思っていたが、今のところフルタイムでの仕事はしていない。

辞めてすぐの頃は、結婚式が終わったらすぐに仕事を始めなければ....!と焦っていたのだが、思ったように体力が回復せずにイライラする日が続いた。

今は、初っ端からフルタイムでガンガン働く、ということを諦め、体調と相談しつつ働けるときに働くスタイルに切り替えている。

ずっと仕事を続けている同期を羨ましく思うこともあって、なんで自分はうつになったんだろうと沈むこともあるけど、まあ私はそういう人生なんだな、感じている。

 

以前、知り合いのお姉さんが

 

「30歳を越えるのはきつかったけど、越えてからは人生に加速がついてきて、今もきついけどほんと面白いよ」

 

というようなことを言っていたのを、その時はぼんやりと「ふーん、そういうものなのかなぁ」と思って聞いていたが、今になると言っていたことがよく分かる。

20代後半のときは、30代、というのが未知すぎて恐怖を感じていた。

見えなかったから怖かったのだけど、30代という年代はいきなり訪れるわけではなくて、20代までの積み重ねがそのまま次のステージに移っていくということなのだと思う。

 

まだまだ、私自身は足りないことが多いと感じていて、やるべきことは多いと思うのだけど、 目の前にはまっさらな景色が広がっていて、今まで積み上げてきたものに乗っかっていったり、時には積み上げてきたものを真っ向から壊したりしていろんなことができると思う。

 

昔描いていた計画とはだいぶ違った人生になっているけど、今の方が昔想像していたのよりも面白い。

たくさんの選択肢から選べるつもりだったけど、いつも目の前に一瞬降りてくるものを、その時つかみたいと思って取ったものが自分を作っていっているというのは不思議だなと思うけど、それが本当の意味での選択なのだと思う。

 

20代のときの私に「同期と結婚したよ」って伝えたら、「ありえない。ほんと、すごくありえない。」って言うと思うけど、過去の自分の期待をいい意味で裏切る、そういう選択をし続けたいな、と思う。

  

*1:余談ですが、SK-ⅡはP&Gの子会社の商品です。

*2:ぶっ飛んでる人たちからすると、それでもまだまだ全然足りない。

*3:恋愛については秘密主義なので、いちいち親に紹介したり報告したりすることは一切しなかった。

*4:正直に書くと、30を過ぎた今現在も子どもが欲しいとは思えなくて、自分は女として何か欠陥があるのかもしれないと思う。

*5:結婚したらしたで子供産めと言われてイライラしているが、とはいえだいぶ以前よりはマシである。

*6:端からみるとうまくやっているように見えるらしく、コミュ障だと指摘されたことはない。それどころか少々難ありな人ともうまくやれるタイプだと周囲からは指摘され、実際そういうタイプがチームに配属されることもちょいちょいあった。

*7:当時何人かのうつ明けの人と仕事をしたことがあり、よほど自分を強くもっていないと気持ちが結構引っ張られることを自分の経験で知っていたので、同じことを経験してほしいとは思わなかったのだが、彼も何人かうつになった同僚を見たことがあり、心配はしても深くは気にしていないようだった。

*8:要求したわけじゃないよ!「後々の禍根を残したくないからちゃんとしてくれ」とは言ったけど。

*9:ちなみに入院してた祖父は入籍したその日の夜に他界したので、結果的に結婚記念日はそのまま祖父の命日でもある。