「キラキラ」と「イケてる」ということの差。

キラキラ女子って何だろう

 

 

就職活動をしていた時代、ちょいちょい芽を出していて、最近よくきく「キラキラ」していること。

私が就職した時期というのは、たぶんちょうどそれの流行はじめくらいな時期だった気がします。

 

 

仕事も、恋愛も、結婚も、子供も、幸せもーーー。

 

 

全部手に入れる

 

 

 

というのがコンセプト。

 

 

自分自身のブランディングをして、素敵な人生を作ってゆく。

私自身も、それに大いに共感して、たった1度の人生だから、欲張りながら生きていきたい。

そう思ってました。

 

 

 

ーーーー過去形なのは、ちょっとそのキラキラを作って、リア充に見せて、宣伝し、人にも広めてゆきながら、あれもこれも手に入れながら生きていく、ということを目標にすることに、ちょっと疲れてしまったのです。

 

 

ということで、少々そこに関して、

 

 

”それって、ほんとうに幸せなの?”

 

 

と、私は疑問を抱いています。

一生懸命追い求めているうちに、自分自身を作っていくうちに。

 

 

私、何がしたいんだろう・・・・・?

 

 

・・・・・・・・・・・・自虐的に言えば、いわゆる「こじらせ」です。

 

疲れてしまって、

 

何をしたいのか、

何を着たいのか、食べたいのか、

誰と仕事をしたいのか、あるいは会いたいのか。

 

 

全くわからなくなりました。

それが今の立ち位置。

 

 

まあ、単にアホでヌルくてテキトーという説もありますが。

 

 

 

昔、感覚でいきていてよくわからなかったときには、いわゆる「素敵」はキラキラもイケてるも凄いもああなりたい(憧れ)も全部ともかくいっしょくたに「素敵」でくくって理解していたのでよくわからなかったのだけど。

 

 

実は分解してみると、「素敵」の成分というのは、

 

「キラキラ」

「イケてる」

「流行にのってる」

「本質を捉えて、一つの道を追求している」

「凄い」

「ああなりたい(憧れ)」(でもわたし、そんな凄い人になれるのだろうか?みたいな不安も抱きつつ)

「求道」

「モテる」

リア充

 

 

など、実はいろんなことがいっしょくたに混ざっていて、それをいっこにまとめて「素敵」って言葉で表現していたような気がします。

 

でも本当は、そんなこと自分できゃんきゃん言わなくても見てる人はわかるし(若いコは特に敏感に反応するので)、そのジャッジは他人にゆだねるべきことなのかな、と最近思っています。

 

 

「キラキラ」と「イケてる」は明確に違いがあると思っていて。

 

 

 

キラキラ:

仕事も恋愛も子供も全てを手に入れてうまくやっていく。

どんな時代、どんなことがあっても、私はうまくいくしうまくやっていく。

 

 

イケている:

人生の出来事に、運と縁とタイミングと才能、直観でその時々で優先順位をつけてゆき、そのとき一番自分にとって大切なことに100%の全力投球で突っ込んでいき、(ある意味行き当たりばったりで)様々な出来事の評価は後に委ねる。今、私はこうしたい。ということを積み上げていく。

 

 

そんな感じなのかな。と思っています。

いずれ、時代が進んでゆけば、融合した新しいタイプが現れるのかも。

 

 

書いたらちょっと自分が感じていた違和感がわかった。。。

 

わたしはもう少し、本能に任せて、やりたいことをやっていきたい。

という方向で行こうと思ってるんだな。

 

 

仕事してると、ああ見られるかな、とかあれこれまた言われるな、とか、ああめんどくさい、とか、調整しなきゃ、とか、とにかく様々なめんどくさいことを考えていて、たまに忘れちゃうのよね。

 

 

でもよくキラキラ女子が出てくるとなんか心がざわざわすることがあって、その原因が正しい嫉妬だったらいいなと思っているんだけどなんかそうではないな、と思うような感じもあって。

 

 

少々アタマの中を整理中。

 

 

ああ、でも他人が気になるってことは、単に自分に自信がなくて、人にイライラしているだけなのかも。

 

 

・・・・・・子供だな。

 

 

んー。

精進します。

 

 

 

そういえば、キラキラ女子って、割と編集者型が多いんよね。

どちらかというと職人肌(たぶん)なので、どおりで・・・・・・・。