コロナ禍での仕事と生活と体力の崩壊のメモ。
少しずつ色々なことを整理できるようになって、ちょっと振り返っておく。
これは環境に対する恨みつらみと怨念。
正直今思い返しても、なんでこのタイミングだったかな...とは思う最悪のタイミングだったと思う。
災害はいつでも理不尽なものだけど。
2020年、春。
その感染症ははある日じわじわと日常を浸食して生活を締め上げた。
当時はいちおう共働きもどきとして暮らしていて、コロナ禍に入るまではまあぼちぼちうまく生活が回っていたと思う。
メンタル不全をどうにか寛解までもっていって以降も私自身の体力/メンタルキャパは元の水準までは戻らなかった。
それを受け入れてようやく全体的に余裕をもってゆるく働くようにすることでゆっくり社会に復帰していったと思う。
なので基本的には多少悪い条件で働かざるおえないのはもう仕方なく、ある程度の諸々を飲み込む代わりに、時間と余裕を捻出していた。
基本的にはわたしの方に余裕があるので、最終的な家事から炙り出されたルーティン外の余りのタスクを大体自分が引き受け、激務のダリンは繁閑に応じて仕事と家事をどうにかまわして分担することで家の生活をまわしていた。
秋は毎年いろんな事情でダリンの繁閑が仕事もプライベートも年間で一番詰まって忙殺される時期で、家のことにはほぼ手が回らなくなる。
それが1ヶ月で済めばまあ自分もどうにかなるんだけど、その期間ですまなくなってくると段々と疲労とストレスが蓄積されて、最終的に回収できなくなって喧嘩になる、というところまでが年間行事で、冬に落ち着きを取り戻して、春にリズムを戻す、という感じだった。
その冬をようやく超えてやってきたこの年の春のコロナ禍はダリンと私の仕事を死ぬほど増やした。
コロナによってある程度ダリンの方の仕事の業務量がヤバくなるだろうことは事前に予想がついていたのまではよかったのだけど、自分の仕事の方もルーティン+αが必要になってくることが増えてどうにも回らない。
家は荒れ放題、仕事もパンパン、ごはんをつくる余裕はなかったけど、中食が増えるのもあまりよしとはできない。
ごはん作りなんかは今考えればやめてしまえばよかったんだけど、当時は疲れていて代替の方法を探ることにももう脳のリソースをさける余裕がなかった。
ストレスの増加でお酒と買い物の頻度が増えて物があふれていくのに、唯一の日々の癒しだったサウナは閉鎖されて暫く入ることができず、どうやってもストレスをうまく逃しきれなかった。
ヤバい、ヤバい、と言いながら日々出勤することでいっぱいいっぱいで、生活の諸々を改善する余裕はゼロである。
それに加えて当時は軽減税率の導入もあって、インボイスをはじめ+αの対応をしなければいけないこともあり、これまでよりもより高度な対応を必要とされるシーンも増えた。*1
高ストレス下での出勤と増加した仕事、ストレスを逃せない環境はかなりメンタルに堪えて、これ以上はもう無理ができない、というところまできているのがわかった。
メンタル不調の再発は避けたい。
一旦仕事を辞める選択はもう仕方なかったと思う。
自分にとっての2020年はそういうしんどい年だった。
後から振り返ってみると、どう考えてもダリンとわたしで双方の繁忙期の仕事を回しながら生活を回すのにはキャパオーバーで、特にダリン側の仕事の繁閑にどうしても生活を左右されざるおえない。
それはこういう生活をしている上では仕方のないことでもあるのだけど、いつ繁閑の波が来るのかこっちは見えていないので(同じ会社や現場にいるわけじゃないから)、そういうことの説明も予告もなく向こうが勝手に繁忙期に入ってわーっとなって、終わったら終わったー!ってなって通常モードに戻るペースに引きずられるのは予測がつかないのもあって非常にしんどくて、これには結構腹がたった。
いつも空気を読まなければいけなくなる方がしんどいのはおかしい。
そういえばそういう仕事の進め方をする人だったな、昔から…。
ということを思い出して、ふつふつと怒りが湧いたのも別に今回が初めてではない。
この件はもう話し合って済んでいるけど、渦中にいる時はなんでしんどいのかもわかっていなくて、今ようやく整理できてきた感じがある。
この辺はちょっと自分の中で考えを整理したいと思っていたので、このメモは書き残せてよかった。
これはちょっとしたメモ書き。
*1:当時からこのシステムやばいだろうというのはみんなわかってたはず…