8月9月は最悪だった

ここ数年でも珍しいくらい調子が悪かった2021年の8月と9月。

もう四半期報ペースですらなくなってしまったcovid-19日記は日常になってしまったので書かないでいいかな、と思っていて、そのままになっていたけど。

 

歴史的なTOKYO OLYMPIC & PARALIMPIC 2020を迎えた東京の生活はどうだったかというと、最悪だった、としか言いようがない。

大会中は良くも悪くも何かを書くことが映えあるスポーツの祭典に水をさすようになっても申し訳ないという気持ちもあって、なんとなく何かを書く気になれなかった。

でも端的に言って、市井の生活者の気持ちとしてはほんとに最悪だった。

 

2020年にやる予定だったオリンピックが1年延びた。

これは先の見えないコロナ禍の入口で決められたこととはいえ、歴史を見返せば感染症が1年で収束するはずもなく、なんで2年じゃなかったのかな…、と思うところはないこともない。

いっそ中止でもよかった。

関係者の方々には大変申し訳ないけども。

悪いことに、東京オリンピックコロナに打ち勝った証として開かれると(勝手に)宣言された。

実際に開催された大会はコロナに打ち勝った証とは程遠かったと思う。

感染対策がなされたこと、また、感染が続くなかで開催できたことは評価されるかもしれない。

でもコロナ禍の生活者の1人としてはこの状況でのオリンピックの開催には素直に喜べなかったし、気持ちとしては置いてきぼりにされたな、という気がした。

オリンピックのお金をかけたのにしょぼい開会式になったことはさておき、選手の活躍は素晴らしかった。

あの難しい状況下で、あのパフォーマンスに持っていけるのは素晴らしいと思うし、そこについて特に言いたいことはないけれど。

アスリートや関係者ではない自分としては、やっぱりなんか置き去りにされたな、と思う。

あそこでほしかったのは、TV画面から与えられるきらきらした希望や、美しい光景や、きれいにコーティングされた言葉ではなかったはず。

ただそれぞれの現場で、コロナ禍で必死にやっているひとりひとりに寄り添うなにかがほしかったのだけど、あまりそういったものは見られず、あれは良くも悪くもいろんなところの断絶を深めたのではないか、と感じている。*1

 

 

メダルラッシュのニュースの陰に、日々増える感染者数。

毎日送られてくる東京都のlineを見て、いよいよ警戒感が高まる。*2

オリンピックが終わった直後に、コロナ関連のニュースが急速に増えて、毎日鬱々とさせられた。

Twitterでも感染報告をしている人はちらほら見かけた。

自身の身内も早い段階でコロナに感染していたので、毎日流れてくる病室がもうない話や繋がらない救急車、コロナの体験記、悲しいニュースは決して他人事ではなかった。

オリンピックに現役世代のワクチン接種は多くの自治体で間に合わず、枠が開くとすぐにいっぱいになる予約サイトとの格闘の日々は最悪だった。

幸い、近隣の医療機関が個別に募集していたワクチン接種のキャンセル待ちに滑り込み、8月のうちにワクチンは打てたものの、日々激増する感染者と入院者数、入院できずに亡くなった方のニュースを見るにつけて、強い緊張感のなかで生活していたと思う。

 

悪いことに、ワクチンは2度とも副反応が出た。

高熱まではいかなかったけど、それなりに高い熱やだるさ、しんどさがあり、またワクチンの翌週は低気圧と台風で1、2週間ほどじめじめしていて、調子の悪さはピークに達した。

2回目に関しては翌月(9月)も殆ど動けなかった。

例年だったらお日様を浴びて遊びまわっていたけど、殆ど調子が悪くて布団からでられず、夏の記憶は殆どない。

夏にお日様浴びられない年は冬がしんどいんだよな…。*3

 

 

9月は2度目のワクチンの後、耳の調子がずっと悪かった。

副反応の熱が下がったのちにひどい頭痛がきて、片方の耳がぼわんぼわんしてずっと水が詰まっているような感じ。

水が抜けづらくなったのかと思ってしばらく放っておいたんだけど、さすがにそれにしてはなんか変じゃない?と思って耳鼻科に駆け込んだら外耳炎だった。

あー、外耳炎…。

ストレスかな…。

幸い点耳薬(そんなのあるんですんね!)をうって抗生物質を飲んだら1週間程度で落ち着いたので少し安心していた…の…だが。

今度は起き上がる時に目眩がする。

これはきっと気のせい、もしくは気圧のせいで調子がおかしいのでは?と思うことにして、しばらく寝てなおすことにした。

ぼちぼち出かけたいし…。

と思いつつも一向に良くならない。

なんなら目眩は悪化する一途。

うーん、三半規管かなぁ…と目処をつけつつ、動けたので調子の悪さを騙し騙し実家に行ったら、目眩がひどくなって起き上がるのも億劫になり、危うく帰って来られなくなった。

素直に病院は行くべきでした。

なにせめっちゃ目がぐるぐるまわるんですよね…。

なんとか目眩の隙を見計らって家に帰り着いて、翌々日に再度耳鼻科へ。

いろいろ検査をした結果、耳石が原因の目眩だろう、とのこと。

薬を飲んでおとなしくしといて、と言われたので、目眩体操をしつつお布団とお友達の日々。

そして相変わらずの低気圧。

さすがに目眩がする状況で自転車に乗るわけにもいかず*4、大人しくする日が続く。

ようやくそれもおさまってきて、日常生活が戻ってきた。

 

 

今年も残り3ヶ月。

年始に立てたtodoはまだ半分くらいの進捗。

todoはクリアできるんでしょうかね…。

 

 

コロナに入ってからずっとコロナでメンタルはぼろぼろで、うまく立て直せなくて。

どうにかこうにかごまかしながら生きる日が続いている。

心がぽきっと折れたあの日以降、そこから先の人生はオマケのものと思って生きているんだけど、なんでこんなにしんどいかなぁ…、と文句のひとつも言いたい日が最近は多い。

たのしいことをして、気楽に生きたいだけなんだけど。

ふつうに生活していく分にはともかく、たのしいことを見つけるのが得意じゃなさそうなダリンを置いていくわけにもいかないし。

未練はないけど心配ごとがあるうちはまだなんとかやっていけるのかな…。

 

 

あー、もうほんとコロナ禍明けてほしい…。

これ以上はしんどいよ。

そんな感じです。

 

 

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(体調の隙間を縫って行ったおふろの国とSKC)

*1:感謝の言葉はあったし、開会式にも閉会式にも医療従事者に対する気遣いの演出みたいなのがあったのは知ってるけど、それでじゃあこれまでの諸々が飲み込めるかといったら、自分は難しかったなと思う。だから、スポーツを見た感動と、現実の酷さに対する怒りは切り離すしかなくて、感情の扱いがとても難しかった。

*2:そんななかでも用事があって銀座に出れば大会関係者と思しき人もおり、疑問符がついたのは致し方ないと思う。ルール内でやってはいるのだと思うけど。

*3:大体、夏に自分の身体は太陽の熱を堪能してため込んでいるようで、冬はそのためた熱でエネルギーをまわしていきてる気がする。

*4:まっすぐ歩くのも難しい。この前もう大丈夫かなと思って乗ったら、うっかり転んでしまってその時できた青タンが痛い。ダリンになんで大人なのにそんなに生傷だらけなの…、と心配される始末。わりと平常運転なんだけど。