薬師湯にて
今年のはじめに銭湯にはまっております、というエントリーをポストしました。
私は比較的飽きっぽい性格なのですが、温冷交代浴が身体に合っているのか、はたまためんどくさい風呂掃除から解放されるためか、行ける時はほぼ銭湯に通っています。
同じく温浴施設のサウナも好きでして、女子してはたぶんめずらしく*1 “熱い(100度くらい)・カラカラ(これは湿度があっても良い)・TVなし・18度くらいの水風呂” が大好物で、そのドストライクの設定の銭湯が、墨田区向島にありまして、時々入りに行っています。*2
それが、2月にセイントセントー3銭湯で紹介した薬師湯です。
通う回数を重ねるうちに、ますます好きになってしまいました。
恋に落ちるとはこういうことでは…?
千夜十夜着想記
ところで、最近こちらの薬師湯で、3000字くらいのコラムを掲示されてる方がいらっしゃいます。
デザイン系のお仕事をされていらっしゃるらしく、なかなかおもしろい文章を書いていらっしゃっていて、湯船のあつさと戦いながらぐいぐいひきこまれていきます。
その名も千夜十夜着想記。
タイトルはアラビアンナイトと銭湯(1010)からとられたのでしょうね。
なるほど、たしかに。
セイントセントーは萩の湯で読めるので、薬師湯に来ると最近はこちら、千夜十夜着想記を読んでいます。
字数が多いのでいつも交互浴を繰り返しつつ読み終わるくらい。
どっちかというと読むスピードは速い方で自信があったのですが、ぎりぎりです。
のぼせそうになる前に湯船から出て、水風呂でグッと体温を冷やして、再度読み始めるのですが、あれ、どこまで読んだっけなぁ…てな感じですが。
引き算の美
今月のテーマは“引き算の美”。*3
良いですね、引き算の美。
日本文化が好きなので余白や余韻は好物です。
エアでの移動費が劇的にコスパがよくなったからか、インターネットで世界がフラットに近づいていっているからか、以前よりも日本文化はフィーチャーされているような気がします。
日暮里の街が生活圏に近いのでなおさらそう感じるのかもしれません。
引き算の美は西洋文化と日本文化の比較や、あるいは近世のデコラティブなカルチャーやモダニズム、ポスト・モダニズムとの比較で使われるている印象。
デコラティブな足し算の美は、立体的にとらえることによって装飾を含めた全体の美しさを際立たせるものであり、余白や余韻を大切にする引き算の美は平面的にとらえることによってひとつのものにフォーカスし奥行きを生み出す美しさであり、2つの美は全く異なるものであると思います。
2010年代はスティーブ・ジョブズなどの著名人の影響もあるのでしょうが、引き算の美の余韻や余白を大事にする観点がとても注目された時代だったなと思います。
“Less is more”(厳選された少ない素材でより豊かな空間を生み出す)はこれらの余白の美をあらわす象徴的な言葉として有名です。
いけばなでの足し算の美vs引き算の美
趣味としてやっているいけばなでも、この”足し算の美vs引き算の美”の話はよく出てきます。
あまり性別でわけるのはよろしくはないのですが、傾向としては、男性のいけるものは引き算の美になりやすく、女性がいけるもには足し算に美になりやすいです。
どの枝、葉、実、花を残すか、というのを選ぶのは思いっきりが必要で、毎回結構な苦労をします。
うっかり主要な枝を落とそうもんなら、後から補正もできるんですが、そのめんどくささを考えると頑張って残せるものを残してラクしたい!
まあ、大抵無駄な抵抗も虚しく、私は最後にバッサリいくことになるのですが…。
(←この辺はたぶん性格)
女性の方が花とか実をできるだけ残して華やかに仕上げる方が多く、逆に男性のいけるものは、枝や葉を削ぎ落として足元に一輪の花を入れるようなシンプルなものになりやすい。
40代くらいから下の年代はこの男女別の作品の傾向の境目がなくなっていく感じだなぁと思って見ています。
いけばなは日本文化のひとつですので、引き算の美(削ぎ落とし、余白や余韻を大切にする美)をものすごく重視する傾向があるのですが、最近はそれが変わってきたな、とも感じています。
その理由は、部屋の中にさらっと飾る装飾品として扱われていたのが、空間演出の役割も担うようになってきたからかなぁ、と思います。
空間演出に必要な足し算の美の視点
理由はよくわかってないんですが広いスペースの空間演出をする時って、やっぱり立体感(足し算の美の視点)が重要なんじゃないかな、って思うんです。
そうしていかないと、鑑賞に耐えられないんじゃないかと。
実際、西洋文化のオペラやバレエってめちゃくちゃデコラティブで衣装はひらひら、舞台装置もゴリゴリのデコレーションですけど、その荘厳さと迫力がダイナミズムを与え、空間全体を舞台装置(演出の一部)として捉えられているのではないかと思います。
逆に日本文化のこれらに近い芸術といえば能や歌舞伎、あるいは落語となると思うのですが、装飾自体を魅せるというのはあまりなくて、どちらかといえば人の動きをシンプルな舞台装置で表現する芸術で、この辺はコンテンポラリーダンスにも通じるなと思います。
装飾よりも人にフォーカスしていて、人の動きで演出すること重視するんですよね。
このあたりの文化の違いは、最終的には地理的な要因に帰結するんじゃないか、とヨーロッパに新婚旅行に行った時に考えました。
西ヨーロッパは地続きの大陸で、自然が穏やかなので、人間の手で物をごんごん建てていき街を作って、作ったものに後世の人たちが重ねていくこと(ハード面を更新していく)が可能な天候なのですが、日本の場合、平地少ない・天候やばい・自然が厳しく安定的な街づくりや物作りが難しいので、ものを残さずに技術や技能(ソフト面)を更新していくしかなかったからデコレーションよりも余白や余韻を創り出さざるおえなかったのかな、とも感じます。
複合型の美を感じる銭湯、薬師湯
長々と引き算の美と足し算の美について書いてきたのですが、最後に薬師湯の話で締めたいと思います。
コラムでは、薬師湯は引き算の美を感じる銭湯だと書かれていて、うんうんめっちゃわかる!と思って読んでました。
実際、そうだと思います。
行くたびに毎回思うんですが、薬師湯って、本当に向島の街にフォーカスした“町のお風呂屋さん”なんですよ。
お風呂の湯船はシンプルに薬湯、プラスしてサウナと水風呂があるのみ。*4
他のスーパー銭湯やサウナなどの温浴施設にいき慣れてると潔いな、って思うハード面(設備)。
だけど、湯船が1つしかないということを逆手に取って、毎日薬湯の種類が変わる*5というエンタメ性を演出し、近所に住んでるお客さんを惹きつけるところはまさに、厳選された素材で豊かな空間を生み出すLess is moreに通じ、それはそのまま下町、江戸っ子の粋を感じます。
それでありながら、誤解を恐れず書くとインテリアは”実家みたいなごちゃっと感“があってはじめてでも妙に落ち着くんですよね。
オシャレじゃない、だからいい。
このカオスな感じのインテリア、最近行ったおふろの国と似てるんだよな、と思いつつ。
熱波道Tシャツ飾ってあるし!
たぶん気になった物はなんでも置いてみるスタイル。
これが好きです…!みたいなのがなんとなく伝わってくる気がするのだけど、そこが好きな人も多そう。
だからハード面では引き算の美、ソフト面では足し算の美を感じる複合型の銭湯なのだと思います。
どう表現していいのかわからないんですが、薬師湯って”ふつうのお風呂屋さん“なのだけど、徹底して”ふつうのお風呂屋さん”だから好きなのかな。
あつーーいサウナに入りたくなるとついつい足が向いてしまう。
I ❤️ 銭湯♨️
おすすめの薬湯はタワー風呂ですが、10月の後半は読書の秋だからか日本昔ばなしのお湯を日替わりでやるらしいですよ!
おふろでお話が読めるらしいので気になる.....!
ところで、あのコラムなんとなく深夜ラジオっぽい感じがするのは私だけかしら?
ハロウィン🎃👻🧟♀️🧟♂️ツリー🎄が可愛い💕
— i (@iixxx_xx) 2019年10月21日
今日はビールのお湯に入りたくて、#薬師湯 へ。
サウナ🧖♀️はそこそこ人がいて、いつもより気持ちちょっと温度低め😌
だいたい胸の先が痛くなるくらい熱」くて好きなの、ここのサウナ…❣️
外気温が下がってきたので、水風呂が気持ちいい季節になった…! pic.twitter.com/VJRiyToasR
※薬師湯は銭湯図解でも紹介されています!