殿上湯の閉店を知ってから、なかなか来られなかった。
9/11に来てから、残りのカウントダウンをする勇気がなくて。
日曜日の #殿上湯 は、頑張れない月曜日をどうにかやり過ごすためのお風呂だったことを思い出す夜だった🌙
— i (@i_as_37to1010) 2022年9月11日
閉店まで、あと1ヶ月🥲
愛でます。#iの湯活 pic.twitter.com/eG7KhaXKOJ
来られなかったわけではなく、ただ閉店の事実受け入れられなかった、のかもしれない。
来たら閉店を受け入れなければいけない。
ここを知ってからは四半期に1回くらいのペースで定期的に訪れていたので、夏に閉店のニュースを聞いたときは、驚きよりもやっぱりな、という気持ちがあった。
5月のこれを書いているとき、あぁ...と思わなかったとは言えない。
一瞬、脳裏に閉店の可能性はよぎった。
でもまだ週4日営業してくれるのであれば、これは高騰する燃料代のせい、ということにしてもいいのではないかと思った。
いつか以前の日常に戻ったときに、営業も戻るのではないか、と思いたかった。
殿上湯は私にとって、確かに”日常の延長線上にある”銭湯だったのだ。
特別の日に行くところではなく、疲れて帰ってきて、少しの元気を絞ってくるのがここだった。
アツアツの熱湯に、季節ごとに変動する地下水の水風呂。
ぐらぐらと深さのある熱湯に入っていると、思考も自然にとろけてきていつの間にか疲れを忘れる。
もう入れなくなるのか....と思いながら、たぶんお別れに入りに来ている、いつもより少しだけ多いお客さんたちと少しの時間を共有して。
みんな思い思いにおふろに入る夜の時間。
それぞれの時間をそっと尊重するような、やさしい空気の流れる時間。
山の湯に入ったときも確かにこうだった。
銭湯やサウナに入るようになってから、見送ってきたお店はたくさんある。
蛇骨湯、稲城浴場、相模健康センター、JNファミリー、山の湯、御徒町のプレジデント...
とうとう自分の通っていたお店を見送る番がきた。
どことも、違う。
最後の3連休は、最後まで営業をみていたい。
入りに行くつもりで、います。
ロビーに積みあがっていた殿上湯のTシャツとステッカーを買って、チャリで帰ってきた。
そうか。
ここが閉店したら、田端の高台通りを富士見橋を通って走ってくる機会も、きっと減るのだな。
夜の高台通りは、ほどよく心地よくて、チャリで通り抜けるのが好きだった。
はじめてここにきたのは、2018年7月5日だった。
水質がいい、と銭湯好きの噂をきいてここにやってきたのだった。
昔ながらの銭湯らしい銭湯にきたのはめずらしくて、お湯と水の別れているカランに物珍しさを覚えたのだった。
この時のペンキ絵は中島氏の絵だった気がする。
(今は田中みずき氏の富士山と桜のやさしいペンキ絵になっている。)
初めて行ってきた( ›◡ु‹ )#殿上湯
— i (@i_as_37to1010) 2018年7月5日
銭湯らしい銭湯でした❤️ pic.twitter.com/lSs4UFQs8o
今日のBGMは「ひこうき雲」(ジブリのピアノジャズ)だった。
今日の気分にぴったりで泣いてしまうな。