初めてwebにテキストサイトを公開してから、23年が経った。
23年。
もう少しで四半世紀。
この頃に生まれた子どもはすでに成人を迎えており、そう考えると結構長い年月である。
ベビッ子から振袖着るくらいまでの期間書き続けてるのか。
最近活躍してる高卒プロ野球4年目の選手達が21歳なので、彼らが生まれるよりも前から書いていることになる。
インターネットには98年頃からうろうろしていて、00年に簡易なテキストサイトを開いて以降、web日記、ブログ(livedoorやfc2などの3つのサービスを渡り歩き、行き着いたはてなは4つ目である)と、なんとなく流されてきた。
そんなに長い期間飽きもせずになぜブログを書くのか、ということについて書いていきたいと思う。
インターネットコミュニケーションの第一選択肢だった"書く"
なぜブログを書くのか、と問われれば書くことが好きだからに他ならない。
webでテキストを公開し始めた頃、ちょうど私は思春期の入口だった。
その頃はまだインターネットというのは余白の多いキャンバスみたいなもので、今ほどサービスもコンテンツもなく、ただただ無限の真っ白な空間があるように見えた。
好奇心旺盛で歳の割にはマセていた私は、家と学校と塾と習い事で構築された安全な世界では飽き足らず、目の前に広がる無限の可能性と人がいるだだっ広い空間に魅了された。
当時その空間でのやり取りはテキストが主体だったので、必然的にテキストを書くということに馴染んでいった。
子どもだったので大したことは書けないけど、周りのお兄さんお姉さんたちの見様見真似で、自分の周辺で起こっている事柄などについてあれこれ感想を書いたり表現したりしても誰にも文句を言われず、なんなら面白がってもらえる、ということが新鮮だった。
年齢や名前(HN/ハンドルネーム)が殆ど意味を持たない空間は、自分を自由にさせたと思う。
それまでわたしにとってテキストを書くということは、なんとなく人に読まれても恥ずかしくないきれいな文章を書くということと同義だったから、"何を書いてもよく、自由書けばいい、書かずともよい"という状況が新鮮だった。
そんな感じでインターネットのめり込んだので、実生活でのコミュニケーションの割合が"書く":"話す"=4:6くらいでしばらくやっていたのもあって、大人になってからも書くから繋がるコミュニティとリアルで飲んだり話したりから繋がるコミュニティとが大体半々くらいになっている。
はてなのコミュニティには顔を出していないけど、ちょくちょく人とは繋がっていきたいと思っている。
書き続けてこられたポイント
ここまで長く書いてこられたのは、幾つか理由があるので、以下にざっと箇条書きにしようと思う。
- 書きたいときに書く、毎日とか毎週とかのルールを決めない。
- 内容は自由。だいたいそのときにハマっていることが主なので、コンテンツの枝葉はどんどん増えていくことになる。*1
- 正直に書く。
- 飾らない。
- PVは確認はするけど、意識はしない。
- 書きたくない時は書かない。
こんな感じで、気がついたらだらだらと四半世紀弱くらいブログを書いてきた。
考えてみるとただ書くことが楽しくて(苦しく感じることもある)、書くことでどんどん生きづらさから解放されていく感覚が味わえるのがうれしかった。
だから昨今いわれている承認欲求みたいなものはあまりなかったと思う。
もちろん承認欲求がゼロというわけでもないのだけど、大してアクセスがない時代から書いていたせいか、PVというものに必要以上の幻想を持っていないので、読み手に寄せすぎないものを書いている自覚はある。*2
ブログは時々過去の記事を読み返したりして、痛々しいなと思ったり、この時はこんなことを考えていたんだなとか、今と大して感覚が変わってないなとか、これだけのことを乗り越えてきて今なんとかやっていけてるんだな、と密かに自信になったりする。
気が向いた時にその時々の思いや考えを記録することは、インターネットと一緒に育ってきた自分にとっては当たり前のことで、言ってみれば呼吸みたいなものなのだ。
書くことで少しだけ人生が楽になる気がする。
アウトプットすることによって、その時ぶち当たっている壁の輪郭をよりシャープに捉えられたり、次々に忘れていって自分にとっていいように改ざんされがちな記憶をそのままの感覚で記憶できるということがわたしにとっては大事なのだ。
苦いものはそのままに、たのしい記憶も甘い記憶も全てそのままに。
フリーザーパックに詰めて冷凍庫で凍らせるみたいにして。
いつか気が向いて読み返す時には、記憶を引き出すフックとして機能してくれる。
それがよくてブログを書き続けている。
わたしがブログを書く理由特別お題「わたしがブログを書く理由」