Thank you,平成. Hello,令和☺︎

触発されました。

2つのエントリーを読んで、私も書きたいな、と思って平成の振り返りをしたらとても長くなってしまいまいした。

 

hase0831.hatenablog.jp

 

nennennen.hateblo.jp

 

 

はてブにあがってくるエントリーやブログで、平成のふりかえりをしているエントリーを読んだ。

個人的には改元ってお祭りみたいなできごとなの?と思っていたのだけど、*1いいなあ、たのしそうだから私もちょっと書きたいな、という気分になったので、自分の平成のふりかえりをしようと思う。

 

 

平成のはじまり(1989〜1998)

こども時代

私はかろうじて昭和生まれなのであるが、当時の記憶はほとんどない。

平成がはじまるすこし前に弟が生まれて、たぶん我が家はてんてこ舞いだったと思う。

自営業に近い業態のぎりぎりサラリーマンの父と、いつもなにかの仕事をしている兼業主婦だった母、私と3つ下の弟という平均的な家族構成。

父方の祖父母は遠方であったが、母の実家は同じ市内にあったのでそこそこ子育ての手助けも得られるかと思いきや、彼らは家事などの家のことは壊滅的にできないという人たちで、どちらかというと一人っ子である母の援助がなくては生活できるかあやしかった。

結婚して家を出て家庭を作っていたけれど、幼い子供を2人抱えて、深夜に帰ってくる父親を待つ生活はいま考えると結構しんどかったのではないかと思う。

弟が生まれるまではひとりっ子でありったけのわがままし放題で育った私は、弟ができたことにとまどいつつも、ちょっとずつちゃんとお姉ちゃんになっていき、マイペースで強引でジャイアンみたいなベースの性格ではあれど、人並みのコミュニケーション能力はたぶん身につけられていたと思う。

当時住んでいたマンションには同じくらいの年代の子どもがたくさん住んでいて、マンションの庭や近所の公園で遊んだ記憶があるが、ゴーイングマイウェイな性格は変わらず、悪い意味でいい性格だったというエピソードが山のように出てくる。

男の子と遊ぶことが多くて、おてんば&トミカプラレールミニ四駆みたいな遊びから女の子遊びのおままごとやリカちゃん人形遊びまで幅広く、今エピソードを聴くと、恥ずかしいやら、おいおい…って思うやら....,。

よくそれで集団生活にちゃんと馴染めたな、という感じだ。

近所の幼稚園から小学校に進んで、いろいろな幼稚園や保育園から入学してくるの子達とミックスされてそこそこ多様性も保たれたニュータウンの平均的な小学校で、友達にも恵まれて楽しい学校生活を送った。

転機が訪れたのは1994年のこと。

母方の祖父母が年齢を重ねて体が弱りボケはじめたことがきっかけで、そちらの家に引っ越すことになった。

ちょうど母も働いていたので、家にひとりで私を残しておくのが心配だったのもあったのだろう。

当時弟は保育園に通っていて、私は2年間学童保育に通ったあとにそれをやめて、家で留守番していた。

もっともお稽古ごとに通っていたので、あまり家にいる時間も多かったわけでもなかった。

保育園から弟を拾って仕事から疲れて帰ってくる母を見て育ったので、なんとなく大変なのがわかっていたからか、大人びた子どもに変貌していた。

朝7:00に自分で起きて、トーストを焼いてズームイン朝のニュースコーナーを見たあとに*2母親を起こす。そして着替えてからひとりで集団登校の待ち合わせ場所へ行っていた。

学校から帰ってきてからはのんびりお茶したり、本読んだり、こっそりお母さんのハイヒール履いてお化粧したりしつつ、帰ってくる頃までにお風呂の掃除をしてご飯を炊いて洗濯物を取り込んで畳んでおくくらいには家のこともしていた気がする。

そんな状況であったので、母方の祖父母と母のそれぞれの利害がある程度一致をみて*3サザエさんの生活をスタートさせることになった。

 

 

転校と中学受験 

小学校高学年にはじめて転校を経験したのだが、これが大変だった。

今までのミドルな家庭がほとんどだった学校から、上から下まで様々な家庭が混ざる昔ながらの混合型の学校への転校だったのと、人に合わせるということをあまりしないジャイアンみたいなゴーイングマイウェイの性格が災いして、クラスからはじかれるのは必然だったように思う。

明るい性格の快活系女子だったのではじめはそこそこクラスに馴染んだ。

ところが、新しい学校はどちらかというと昔ながらのカルチャーで閉鎖的で昔からの人間関係が根付いている。

それに加え、どちらかというと古い産業に依存して栄えたタイプの街であったのが私にとっては不運だった。

山一証券拓銀日債銀の破綻した時代の空気と産業構造の変化をモロに受けて*4、クラスの人間関係はいわゆる格差の拡大の進行を体験することになり、一気に難しくなっていった。

となりのクラスは学級崩壊していたと記憶している。

また、ゆとり教育が検討されて実際に導入されはじめた時期であり、公教育への不安が親世代の間で広がっていた時でもあった。

その頃、中学受験をできるかできないか金銭面と学力面でギリギリのラインの家庭は、教育費に振り切る選択をしたところが多く、当時のクラスのだいたい1/3くらいが私立の受験をするような環境になったのも結果的に学校の空気と運営を難しくした。

いま考えると、同じような成績なのに親の資力がストレートにモノをいうという現実を間近で見せつけられる方はたまったものではなかったと思う。

私自身がクラスではじかれたきっかけは、何かのときに既存のルールをすっ飛ばしたことだと思う。

もともとしっかり馴染んでいたわけではなかったが、弱い者をはぶいていく空気に迎合することを良しとできない頑固な性格で、これ以上この地域で生きていくことはで難しいという結論を出したのは10歳とか11歳くらいの時だ。

頭が良かったわけでも実家がお金持ちであったわけでもなかったが、早い段階で地元の中学に進むことを拒絶した。

母の母校でもある学区の学校がマジでやばいことは昔から有名であり、母も私がそこで生き抜けるかは微妙だと踏んでいたフシはある。

両親の間で話し合いがもたれた結果、

“中学から大学まで私立で行くのはきついけど、中学高校で私立に行くか大学で私立に行くかは本人に選ぶ権利がある”

(どっちか国公立ならok。あとでこれは破ることになるのだが…)

というところで落ち着いて中学受験をすることになる。

 

おバカな部類であろう娘の将来を案じたのか、折角お金をかけるならと地元の塾へ行かせずに、ゴリゴリの進学実績(御三家クラス)を出していた小さな塾に放り込まれることになり、めちゃくちゃしごかれた中でマイペースを貫いた結果*5、滑り止めで受けた偏差値は高くないが歴史と女学校のプライドを持つ女子校に進学することになる。

とにかく、地元の人間関係から脱出することに成功し、窮屈な知り合いの目線もなくなって自由になるのだ!と思ったことを覚えている。

同じ頃にはじめてインターネットなるものに触って夏休みの自由研究として発表した結果、その自由さに魅了される。

塾通いをしていたのでPHSを持ちはじめたのもこの頃だった。

すごい勢いで変化して行く時代の空気を感じていたのを記憶している。

うねってるなぁ〜という感じで、いろんな意味(社会階級の移動とか)で、アップダウンが激しくなるのだろうなとなんとなく思っていて、まあそういう時代に生きているのは良くも悪くもしょーがないなと思うようになっていった。

 

 

ミレニアムイヤー前後(1999〜2004)

女子校ライフ

すべり止めで入った学校(しかも女子校!)だったので、はじめはブーたれていたのだが、入った学校は歴史と伝統とプライドのある女子校*6で、良くも悪くも根性から叩き直されることとなる。

とは言っても、特段厳しいわけではない。

どっちかというと普通に学校生活を送っていくと、ふつうの世間一般で通用するルールと常識がインストールされるので、のびのびやれて自分の性分には合っていたと思う。

ちかくの街や通学経路などあちこちに卒業生がいて、制服が有名なので通学で街を歩くと卒業生に声をかけられることも多かった。

電車などで下品な行為をしていると祖母くらいの年齢のOGから苦情の電話が学校に入ったりするので、周囲の目線もきちんと考えるようになる。

通ってくる子は自営業のお家の子や大企業のサラリーマンや士業といったタイプが多かったようだけども、通ってるときは全然そういうことを知らなくて、守られたエリアで落ち着いた学校生活を送れる場所であった。

もちろん、思春期の多感な時期の女子ばかり集めているのでいじめや問題はしょっちゅう起こる。

でもそんなに賢くないからか*7、大問題に発展することはなかった。

中学の前半は母が運動部に入れというので上下関係の厳しい運動部に所属していたのだが、頻繁に先輩とケンカして問題を起こす問題児であった。

ケンカの原因は意味不明な部活のルールに文句を言ったり説明を求めただけだと思うのだけど、運動部のルールは説明できるルールなんてあって無いようなものである。

文句言いで目立つ性格だったため、1つ上の先輩には目をつけられやすくしょっちゅう衝突していたのだが、最終的にきちんとやることをやっていない人に説教されることに耐えかねて1年で啖呵切って退部することになる。*8

 

入ってから知ったのだが、この学校はそこそこゴリゴリ勉強をさせる学校だった。

私立によくある成績別のクラス分けをするので、勉強する方に入ると勉強が苦手でなければ気楽なものである。

数字が人格とまではいかないけど、成績がよければいろんなところが多少破綻していてもさしたる問題はなくて、クラスメート達は頭いいけど変わってる子だなぁくらいの判断して放っておいてくれるので*9、小学校よりは確実に生きやすくなった。

特段懸命に勉強したわけではなかったが、中学受験のスパルタ勉強が効いたのか、中学高校は勉強の苦労はあまりなかった気がする。

逆にいろんな子にどうやって勉強してるのか質問されることも多かった。

授業は寝ていることも多くてノートが真っ白なこともあったせいかもしれないけど…

ただ単に、私はやりたいことを追求していただけだった。

好きな本を読み漁ることも、長い文章を思うままに書くことも、歴史を追っていくこともだいたいこのへんで培った素養だ。

中学2年・3年とクラスの担任(同じ先生)とは笑っちゃうくらいウマが合わなくて、教室内で問題が起こると大概私が呼び出されるくらい職員室の説教される側の常連だったが*10、評価は真っ二つに割れていた。

成績は悪くなかったので、アイツ面白いなと思ってさり気なくフォローして泳がせておいてくれる先生と、徹底して人格を若くて変われる今のうちに変えた方がいいとする先生といて、成績表は点数以外のところが悪くて評定は安定しなかったけど悪くはなかったはずだ。

運動部をやめたあと、余った時間とエネルギーの解消と、ルールを変える側になろうと思いついて生徒会に潜り込んだ。

生徒会役員は選挙で選ばれるのだが、当時(中2)の担任と相性が悪く、立候補したのがバレたら阻止されるだろうと予測して担任には秘密裏に立候補して通過したのが原因で、選挙の規則に”生徒会に立候補するものは担任に相談すること“と追記されたのもいい思い出…(たぶん)。

初回以降は、生徒会顧問の先生が担任に直接フォローしてくれるので立候補にするのに苦労しなかった。

その後、きちんとやることはやるタイプだという評価を受けて、卒業するまで生徒会活動には携わるのだが、これはなかなかできない経験をつめるので楽しかった。

若い時から組織をどうやって動かすのかみたいなことを、実際に自分の手を動かしながらできるのでかなり楽しい活動だった。

この時代のことがなければ、今住んでいる街に住むこともなかったから、人生ってなにがきっかけでどう動くかわからないからおもしろい。

 

 

また学校のなかの安全な範囲での活動に飽き足らず、当時少し変わった通信教育を受けたことがきっかけで、インターネットにのめり込んだ。

きっかけとなったのは電塾というシステムである。

新しい技術だったインターネットを使った通信教育のソフトで、基本は勉強するためのソフトであるのだが、ある程度制限がかかったなかで全国のさまざまなの子たちと繋がることもできる不思議な空間で、これをきっかけにしてインターネットにのめり込んでいった。

チャットで夜ごとおしゃべりしたり、チャットで出会った人と遊びに行ったり*11、ホームページをつくって思いついた文章をつらつらアップしたり、オタク活動にも足を踏み入れて一環として2次創作(小説)を書いたりと様々な活動にのめり込んで、リアルとネットの別人格を行ったり来たりするのが楽しくそれなりに充実した時間を過ごしたように思う。

高校生になるころにはクラスの携帯電話所有率は100%になっていて、以前よりもも安価で通信が利用できるようになっていた。

 

 

オフライン回帰のSNS時代(2004〜2015)

大学時代

中学〜高校のあいだはある程度ごりごり勉強したが、いかんせん東大をねらえるレベルまでに到達しなかった。

進学にあたってひとつ問題が起こる。

学費を先食いしたので”国公立“に行かないと大学に進学できない問題である。

しかも”現役で“、という条件付き。

都会は楽しい。

それは6年間でよくわかっていた。

キャンパスライフは都会で過ごしたい!

都会の国公立には届かないけど、どうにかしたい。

自分の親なので、進学の決定権を持つ父が自分を上回る頑固親父であることはよくわかっていた。

高校卒業前の2年のあいだ話していて、有名私大は絶対にダメだというと思うけど、とんがっている私大に行きたいって言って首を縦に振るかどうかは5分5分くらいかなぁ、という感じ。

国立大学は受けて落ちたが、すべり止めとして受かった私大に進学することになる。

2ヶ月くらい毎晩プレゼン攻撃をしたり、説得工作をして根負けしたのと、多少余裕があったからかもしれない。

 

大学に進学してから、真面目に勉強するか?と言われれば、まあそんな訳はないのである。

・4年でストレートに卒業すること

・これ以上の学費以外の金銭的援助はしない

という2つの条件を守ればよくなったので、大学生になってはじめの2年はオタク生活を満喫するためにひきこもり生活を謳歌した。

家にいるときもあれば大学の図書館や部室にいることもある。

でも授業は最低限しか出ない。

夏と冬は朝からコミケに行ったり、声優のライブに行ったり。

ぎりぎりゆるい空気が流れていた終わりの時代だったので、テストができれば単位は取れる、という感じの科目がそこそこある学校だったのである。

大学ではごりごり勉強するタイプから全く学校に来ないでバイトに熱中するタイプまでいろんなタイプの学生がいたが、全体的に見るとのんびりした校風だったと思う。

のびのびした学生が多くて、突出してとんがったタイプはいないけども、それぞれが好きなことを好きなようにやっていた。

高校3年間のあいだ村上春樹の全集を読んで以来、そのスノッブの空気に憧れていて、実際そういうキャンパスライフを送った。

商経済系の学部に進んだのに、1年の時の半期のゼミは“村上春樹論“*12を選んだくらいだ。

このころは本を読んだり映画を観たり、喫茶店やカフェで過ごしたり、ラジオを放送したり、文章を書いたりたまにアルバイトに行ったりして無駄なことの集合体みたいな時間を過ごした。

 

後半の大学3、4年は、もしかして私このまま行ったら社会不適合者になるんじゃない?ということにハタと気がついて、とりあえず動的なコミュニティにアクセスしよう!と思いつく。

ちょうどこの頃mixiが流行していたので、先輩に紹介してもらって久しぶりにコミュニティにアクセスしたのと同時に、就職に向けて新しいコミュニティに入って他大のめちゃくちゃ意識高くてかわいい女の子達と交流したり、いけばな教室に通い始めたり、上下の学年や他大学やいろんな人たちとの交流が活発なゼミに入り込めたので*13、アクティブに活動して行くことになる。

プレゼンを主体としたゼミだったはずだが、初回の自己紹介以降何も発表しないで飲み会だけ参加する幽霊ゼミ生だったことは今の現役の子達には言えない秘密である。

幸い入ったゼミは3年次からめちゃくちゃ就活のフォローをしてくれるゼミでもあり*14、のんきな私でも”大学卒業したら働かないと生きていけないのか〜。そうだよな〜。”というのがわかるようにしてくれたので、就活の滑り出しはわりとスムーズだった。

ただ、元々そんなにもりもり働きたい気持ちがあるわけではなく、バリキャリよりはゆるキャリ寄りのキャリアを積みたいと考えて、有給休暇が取れて女性でもそこそこ働けそうでわりと高い給料をもらえそうだという理由でなんとなく日系メーカー志望してたレベルである。

一緒に就活していた就活コミュニティの女の子達がキラキラして見えて、それぞれ商社だ金融だメーカーだ戦コンだ広告代理店だのという軒並み有名な会社の内定を取ってきているところを見ると、自分の優秀さにはまったく自信がなくてやっぱ働くのムリな気がする、どうしよう…って落ち込んだり、4年の冬まで就活しててほんと死にそうではあったのだけど、ぎりぎりのところで金融系の会社に内定が出て無事に4月から働き始めることになった。

大学4年での卒業は少々あやしかったものの、ゼミの先生がぎりぎり取れそうな単位の教授に口添えしてくれたり、講義で会った教授には挨拶して“卒業したいんだけど、これ取れないと卒業できないんです”的なことを言っておいたり*15、出席足りてない分のカバーレポートを提出したりしてなんとかかんとか4年で卒業した。

部活の後輩には

“絶対4年で卒業できないと思ってたのによく卒業できましたね、どんな手を使ったんですか…”

と呆れられた。

 

激動の20代

入った会社は、想像していた通りのゴリゴリの古き良き体育会系カルチャーの日本企業で、こんなところで生きていけるかしら?と思ったものだったが、案外自身の適応力は高かった。

女の子なのでひどい残業はなかったし、ひどい仕事やら分厚いファイルが飛んでくる現象やら電話で怒鳴られるやらといったことは、ないではないが概ねどこの会社でもそんなものかなあ、という感じで、日々一生懸命働いているとお局さまにもなぜか可愛がられ、わりとナチュラルに職場に適応した。

勉強しないと仕事についていけないので一生懸命勉強したのだが、同期の女の子たちは勉強するよりも合コンとかに精を出していて、いやそんなに頑張らなくても良くない?って言ってたのが不思議で仕方なかったのだけど、彼女たちは今も変わらずに結婚出産を経て同じ会社で同じような仕事をしているので、それはそれでひとつの正解なのだと思う。

その後2年くらいしたら異動になって、業務内容は難易度を増した。

面白い仕事ではあるのだが、かかるストレスは半端なく、それを発散して吹っ飛ばすためにキラキラした女の子達と夜遊びを始めることになる。

お化粧、ファッション、出かける街を一新すると会える人が変わった。

24歳。

ぎりぎり20代前半で、街に出ればかなり楽しめる年齢。

今まで怠っていた分、外見を磨けば磨くほど変わっていくので、目に見える変化があるの良かった。

夜の街はめちゃくちゃ面白く、魅惑的で、それに魅入られて夜の世界へ転職する子もいて、こんな不景気な時代にもこういう華やかな世界があるのだ、という事実が新鮮で足かけ5年くらいは遊んでいたと思う。

その間にお友達はどんどん結婚していって、いくつもの結婚式に出た。

みんな幸せそうでいいなぁ、と思ったけれど、結婚したいという気持ちはそこまで強くなくて、まだまだ稼いだお金を流すように使って遊んでいたいみたいなことを思っていた。

やっぱ結婚したいかも?と気づいたのは28歳くらいになった時だと思う。

周囲から結婚についていちいち言われることにものすごいストレスを感じ、また実家で生活するのに限界を感じたのもこの頃だ。

顔を合わせるたびに祖父母からグチグチ言われることも、肌に合わない育休明けの先輩が戻ってきて事あるごとにぶつかる面倒くささもストレスフルな生活に輪をかけた。

この頃は、よく抱えている問題全部にダイナマイトを放り込んで爆発させちゃえばいっそ楽なのにな、などと物騒なことを思っていた気がする。

加えて、久しぶり会った仕事の飲み仲間(現夫)との飲みが思いのほか楽しく、何もかもから逃げたくなった私は、都会の生活から物理的にいっとき離れる遠距離恋愛をはじめたことで、身体が悲鳴をあげたのだろう。

ある日突然、ぷつんと糸が切れたように涙が止まらなくなって、会社に行けなくなった。

30を目前に控えた29歳の時のことだ。

このあたりのことはこのブログをはじめたきっかけとなっていて、過去のブログに丁寧に綴っている。

 

以下リンクしますが、全く楽しくない話です。

 

         10 11 12 13

14 

 

 

今読み直してもきついな、しかし…

シンプルに書くと、29歳から30歳になる1年のあいだに、鬱になり休職して復職したが結婚して退職した。

身体は限界なのに嵐のような激動の1年で、忙しすぎてほとんど記憶にない。

 

 

リストラクチャリングを経て(2015〜現在)

おまけ(と思って生きる)の人生

結婚して仕事を辞めてからもしばらくは生きていくこと自体が大変だった。

今のところ実行したことはないが、死にたくなったことも1度や2度ではない。

鬱から回復したとはいえ、天候によって気持ちも身体も左右されるし、以前よりも全くコントロールのきかない身体になったことをしばらく受け入れられなかったのだと思う。

いつかは健康体に戻れる*16と信じて疑わなかったのだけど、さいきんようやくそういうことではないんだな、ということが実感としてわかるようになった。

平均的な人よりも少し早く老化現象が起こったようなものなのだろう。

要するに、ピーキーな体調管理のキモは自分の身体の違和感を見過ごさないということなのだろう。

ここ1年は週20時間くらいであれば働けるくらいに回復しており、気候にもそこまで左右されずに過ごせるようになってきた。

銭湯通いと交互浴の効果もかなりあったと思う。

平成から令和へ。

元々アップダウンはありがちな人生だなぁとは思っていたけど、今読み返すとやっぱりけっこうアップダウンあるな。

自分の人生をどうにかしたくて、無茶もけっこうやってきた10代、20代。

それはそれで大変だったけど楽しかったな〜と思う。

結婚して夫婦となったので、自分も大事にしつつ、これからはダーリンも巻き込んで楽しい人生を生きていきたいなあ、思います。

 

新しく、みんなが生きやすい時代を作っていきたいですね!

どんな時代になるのかなぁ。

 

いまのところ、伝統文化をもう少し掘り下げていきたいなと思っていて、ちょっとずつ広めていくお手伝いをできたらなぁ、と思っています。

まだまだ行ってみたい国もたくさんあるし。

 

いまからわくわくしています。

 

最後に、大好きな小説「アムリタ」からとても好きな一文を。

私は私の人生が本当に気に入っていて、申し訳ないくらいだ。こんなの気の持ちように違いないから、頼むからみんなもそう思ってほしい、とたまに心から思う。

 

アムリタ(上) 1.慈雨 より (角川版が好きです。)

 

 

  

 

今後ともよろしくお願いします。

 

*1:なにせ令和になる瞬間はお祝いとかのムードは全然なくて、実家でダーリンと頭文字D〜東堂塾編〜を鑑賞していたくらいだだった(笑)。

*2:朝のズームインのプロ野球のコーナーが結構好きだった。

*3:これが全然一致していなかったことが20年後に噴出して大変な騒ぎかつ祖父母と両親の間に埋めようのない溝が生まれるのであるが。

*4:両親が地元の主要産業である第2次産業に従事している人もそこそこおり、子供の人間関係に親の会社の上下関係が持ち込まれていた可能性は高い。

*5:これだけしごいたのにこんなに勉強しなかったやつはいままでにいないと言われるくらいレベルの低いスコアを記録した。

*6:よくいえば保守的、悪くいえば古くさい。親戚や母が学校の卒業生という子も多くて、いちばん古い子は曽祖母、祖母、母ときて4代目だとか!

*7:隠蔽が下手なのである。そして多少賢い子は比較的自分の自由が効くのでわざわざ問題に突っ込まない。

*8:”赤点とってる人に説教されたくありません!“とか言ってたような…

*9:変わってるけど面白いと思って寄ってくる類友も多く、今でも仲のいい友達は結構いる。ダーリンにiの友達は変人ばっかだけど類友なんだなと言われていたが...。

*10:私は教室で何が起こったかは大体把握しているが傍観を決め込んでいることがほとんどだった。おそらく、日頃の授業態度が壊滅的に悪い私を呼び出して説教しといたらクラスのガス抜きくらいはできるだろうというのと、さり気なくクラスの状況を聞きだしたいという理由で呼び出されていたのだと思う。実際あんまりお説教聞いてなくて、テキトーに聞き流してたし…。

*11:当時はネットにいる中学生ってまだめずらしかったので、けっこうおもしろがってもらいました。

*12:なんであの学科にこの講義があったか謎ではある。

*13:人気ゼミだったので面接方式だったけどなぜか採用された。

*14:前後同期のゼミ生達は実際に優秀でほとんどが大企業で働いている。その結果、優秀な奴が集まるらしいという噂がまわってわりと今も人気ゼミらしい。

*15:逆効果になるタイプの教授もいるので見極めが大事。

*16:徹夜で遊んだあとに仕事に行けるくらいに戻れる

東京銭湯めぐりtwitterメモ_φ( ̄ー ̄ )

最近twitterのまとめエントリーばっかり作っている気がするけど、忘れないうちに一昨年〜今年にかけて訪れた都内の銭湯の記録です。

 

さいきんは共通入浴券を買っているので週5(月20日)で行く勢い…。

私の共通券は3だったり6だったり4だったりすることが多いです。

 

03:台東区

【萩の湯】

みんな大好き、銭湯of銭湯の萩の湯。

セイントセントー3銭湯のひとつ。

ついつい時間ができると(できなくても?)いっちゃう都会のオアシス。

 

【寿湯】

twitterの銭湯好きは大抵知ってる寿湯。

セイントセントー3銭湯のひとつ。

男湯の露天風呂がすごいらしい。入ってみたい.........。男子いいなぁ。

 

蛇骨湯

田原町(浅草)にある温泉銭湯の蛇骨湯

黒湯がめっちゃ気持ちよくて、海外の観光客で賑わってました。

ここの温泉はもちろん、13度くらいの水風呂が真骨頂...!

残念ながら、もう少し(2019.5月末)で閉めてしまわれるようです.....

 

04:文京区

【ふくの湯】

文京区に残る数少ない銭湯*1

今井さんの建築&駒込にちなんだ”一富士二鷹三茄子”のペンキ絵もなんとなく小洒落た感じで、センスが良いお風呂。

しょっちゅう近郊エリアからもお客さんが来ていて、近所の住人と”お客さん”がいついっても半々くらいでなかなかおもしろい銭湯なのです。

お風呂は週替わりで入れ替わり制。

 

05:港区

【清水湯】

都会のデザイナーズ銭湯と言えば表参道の清水湯。 

本当に表参道の駅近くにあります。

お客さんもオシャレ。仕事帰りにRUNしに来たりしてる人も見かけます。

ロッカーもハイテク!

  

06:荒川区

【斉藤湯】

荒川区の有名銭湯。

勝手にホーム銭湯だと思ってます。

炭酸泉&シルキーバス&熱湯&水風呂←全部軟水でお肌つるつる!

そしてお風呂あがりの生ビール!

 

 

 

 

 

 

 

【梅の湯】 

同じく荒川区の有名銭湯、西尾久の梅の湯。

たまには王子や大塚の駅から都電にのるのも楽しい。*2

最寄りは都電の小台駅(もしくはJR田端駅から15分くらい歩く)。*3

話題のノンシリコンシャンプーや噂のヘアビューザーが100円(確か)でレンタルできたり、自由に使えるサウナマットが置いてあったり、細かいところの心遣いが好きです。

 

【千歳湯】

西日暮里の千歳湯。

THE銭湯!っていう雰囲気のお風呂屋さんです。

天井高くて気持ち良いよ〜。

 

 【喜楽湯】 

三河島にある気楽湯。

荒川スタンプラリーで訪問。

なかなか三河島に行くことがなくて、降りたことがなかったのですが、がやがやしてるのが落ち着く下町です。

地元のお客さんのおばあさまたちで賑わってました。

水風呂気持ち良かったなぁ。

 

 07:墨田区

【薬師湯】

セイントセントー3銭湯の1つ。

ここは本当に、サウナがすごい。

私、ここのサウナが好きすぎて......!

エンタメ感のあふれる銭湯で愛され系キャラの下町銭湯です。

新しく入荷したフルーツ牛乳の紙のキャップめくりたい。。。。

 

 

13:渋谷区 

【改良湯】

新装オープンする時からtwitterでめっちゃんこ話題になってました。

はじめちょっと斜に構えていたんですけど*4、行ったらガチで銭湯カルチャーを大事にしている銭湯だったので、一瞬で恋に落ちました。

内装めっちゃ好きだし、サウナと水風呂もとてもよいです。

クラブ行きたいなぁ…

 

 【栄湯】

渋谷区のどちらかというと生活エリアである笹塚の銭湯、栄湯。

ここのサウナは、そんなに広くないのですけど、BGMが流れていて、温度と湿度の設定が適度な感じでめっちゃ好きです。

笹塚の駅まわりも生活感があって好きなんだよな〜。*5

 

 

 14:中野区

【アクア東中野

アクア東中野のいちばんの売りは、プールがあること!!!!

私が行った時は夏だったので、そんなに寒くなかったんだけど、よく考えたらあれは冬に入った方が絶対楽しい気がする。

大江戸線、結構好きなんだよな〜。

 

 

15:杉並区

【小杉湯】

インターネットの(東京の)銭湯クラスタ界隈でいちばん有名なんじゃないかと思う銭湯、交互浴の聖地。

水風呂とミルク風呂と熱湯の浴槽の深さが絶妙すぎて(たぶんちょっと浴槽が深めで、首までがっつり浸かれる深さ)これはハマる人が多いよなぁ〜。

何よりいいなぁと思ったのは、レンタルバスタオルが今治タオル!!!

タオルはマジでQOLが向上するので本当わかってるなぁ、って思わず唸っちゃいました。*6

 

 

16:品川区

【清水湯】

ここはもうですね、東京でいちばんTVに出る銭湯じゃないかと思います。

銭湯というか温泉というか、仕事帰りに行ける温泉。

2種類の温泉(黒湯と黄金の湯)につかれるのでいついっても混んでます。

でもでも、水風呂も黒湯なんですよ!めっちゃ贅沢.......!!!

 

 

 17:大田区

 【はすぬま温泉】

蒲田から池上線で1駅のところにあるはすぬま温泉。

リニューアルされてからしか行ったことがないのですが、ほんっと好きです。

温泉が気持ち良いのはもちろん(黒湯)、水風呂も黒湯で、炭酸泉も黒湯なんです!!

そして今井建築の銭湯ときたら、贅沢すぎてよだれが....。

あ。

でも混むと困るから内緒にしておきたいなぁ。。。と思っていることは秘密です。

 

18:世田谷区

【そしがや温泉21】

小田急線の祖師ヶ谷大蔵の駅で降りて、ウルトラマン商店街を通ってちょっと横に行ったところにあるそしがや温泉21。

ここは元祖スパ銭系銭湯みたいな感じのところで、ほんっとバラエティに富んでる。

黒湯&冷凍サウナはまた入りたい!

黒湯の電気風呂の教えてもらった裏ワザ、電気風呂のとなりの区画の下の穴から足だけ出すと気持ちよかった!

 

20:豊島区 

【妙法湯】

2019.1月にリニューアルした銭湯。

行ってみたいと思いつつ、行く機会を見計らってました。

サウナ(98度!!!!)*7、炭酸&シルキーバス、ジェットバス&電気風呂、水風呂(19度)

生ビールの自動サーバーが導入されててめっちゃ楽しい。

銭湯大使のフランス女子、ステファニーさん(@_Stephsento_ )のホーム銭湯っぽいです。確かにみんなおばあちゃんアットホームだったな。

 

 ↑フラグからの....

 

 

21:北区

【殿上湯】 

さいきん、日曜日は朝湯とコーヒーをやっているらしい殿上湯。

お風呂はシンプルに、熱湯、ジェットバス、水風呂!

熱湯の浴槽が深くて好きだ〜。

昔ながらの建物の銭湯なんだけど、ピカピカに磨き込まれていて、細やかな心遣いがすごいなあと思います。

 

 

 

23:練馬区

【久松湯】

現代銭湯の概念を塗り替えた銭湯、と言ったら久松湯だと思います。

建物自体は美術館みたいでスタイリッシュな佇まい。

それに温泉、炭酸泉、水風呂、とあったらちょっと足を伸ばしてもついついい行ってしまいます。

銭湯初心者のダーリンにも評判良かったです。

  

 

 

思うこといろいろ....

 

 

 

 

ちなみに、紹介した順番は共通入浴券のエリア番号順です。

 

参考:

東京銭湯の入浴券 | なるとの銭湯ブログ

 

たまに近くの銭湯で共通入浴券買うと、レアカードに当たります。*8

 

 

f:id:iixxx:20190409165816j:image

銭湯めぐりのおとも。めっちゃ便利ですよ。

 

 

(お気に入りの銭湯探しのおとも)

銭湯図解

銭湯図解

 

 

フランス女子の東京銭湯めぐり

フランス女子の東京銭湯めぐり

 

 

 

*1:現在6軒なのですが、閉める予定のところがあって5軒になるらしい。とてもさみしい。

*2:余談だけど、池袋からもちょっと歩くと都電に乗れる。

*3:歩きたくないけど梅の湯の気分の日は、都バスの”東43”で西尾久二丁目のバス停が最寄りです。歩いて1,2分!田端からも乗車できる←ただし、時間によってめっちゃ混む。

*4:渋谷と恵比寿の間くらいのキラキラエリアにあるし....。渋谷の街好きなんですけど、渋谷まわりのITノリはいまいち得意じゃなくて....。六本木まで行くとそうでもないんだけどな。

*5:学生時代、あの辺でバイトしていたので懐かしい。

*6:今治タオル使ったらめっちゃ良すぎて、家のタオルを全部買い換えたことがあります。最近は泉州タオルに嵌ってます。

*7:この刺激的温度、すごい好みなんだけどどうしよう....!

*8:神田の本部で買うと00になるらしい。 

#まちがたり 「#銭湯図解」ができるまで Feb 25 ‘19

きっかけ

塩谷さん(@enyahonami )に興味を持ったきっかけは、どっちが先だっただろうか?

たぶんたまたま流れてきたtwitterのモーメントで銭湯図解を見たのが先で、そのすぐ後くらいに時々行くようになった萩の湯の炭酸泉でイラストを見かけるようになったからだと思う。

 

はじめは、”なんか変わったことやってるな〜。イラストわかりやすくていいなぁ。次はあそこの銭湯行ってみようかな”っていう感想だった。

それから、何度か萩の湯で銭湯図解をながめているうちに、どんな人なんだろうなぁ...思いをはせるようになって、ネットでちょいと調べてみると、

”(それまで順風満帆の人生だった人が)新進気鋭で有名設計事務所に就職して、心身を壊すまで働いて、休職、そして転職。そのときに銭湯に救われたので銭湯に恩返しがしたい。”

みたいなことが書いてあったので、関心を引かれたのだと思う。

私自身はすごいって経歴の持ち主ではないけど、似たようなこと(寝食のあやしいガムシャラな行為→うつ→休職→復職→退職→…?)を経験してきているので、”あー、私と似たような感じの人いるんだ”、っていう共感と、”若くていいなぁ。これからどんなことしていくんだろうな?”っていう興味をかきたてられる感じ。

 

それでも今までだったらイベントに行ってみたいとか、何かに参加したい、とまでは思わなかったと思う。

たまたま最近元気で、なんかそろそろ他人とダーリンと関わりのないコミュニティでのコミュニケーションとりたいわ〜って思ってたのと、イベント会場がそんなに遠くなかったので、行くまでにそんなに労力を使わなくてよかったのが重なって、めずらしく近くでやるなら行ってみよって感じで #まちがたり の「『銭湯図解』ができるまで」に申し込みをしていた。

 

 

 

#まちがたり 「銭湯図解」ができるまで

序盤

2/25の月曜日。

仕事終わりに、1度家に帰ってきてコーヒーを飲んでひと息着いてから出かけた。

目的の場所は千駄木の「往来堂書店(@ohraido )」。*1

閉店後のお店に入ると、すでにイベントに来たお客さんでいっぱい(おじさまが7割くらいかな?)。

棚のあいだに配置されたパイプ椅子に座る人の光景はちょっと不思議な感じがする。

わたしは座った席の棚がおもしろくてまじまじと眺めてました。ここ5年くらいは本を読む余裕もなかったけど、“文脈棚”はすごい興味深かったです。

会場の後ろの方ではたぶん塩谷さんが主催している #銭湯再興PJ のスタッフと思われる若い子たちがちらほら。

 

19:30、時間になってトークがはじまる。

今回のイベントの主催者は 片手袋研究家の石井さん(@rakuda2010 )。

2/24(日)から1週間、毎日1つ、街のどこかで開催されるトークイベントの2日目。

塩谷さんとはマニアフェスタでお知り合いになったのだそうです。

正直なところ、片手袋研究家?なんじゃそら?と思ってきいていて、トークもめっちゃぬるっとしとるなぁ、と思って聴いていたのだけど、会場もコンパクトだし、ライブじゃないから一体感とかいらないし、肩肘はらなくてよいからまあ気楽。

そういえば文化系のトークイベントははじめて参加したような気がする。

 

はじめにしばらく石井さんと塩谷さんの知り合った経緯の話があったのだけど、“幼少期の感動を捨てられないのがマニアで、マニアってその感動を捨てられないまま大人になってるから呪われてる”みたいな話をきいて、私自身は今までマニアとかオタク寄りの種類の人間だと思ってたのだけど、そうでもないなと気が付いたのは収穫だった。

そんなになにか1つに一心不乱になることって今までを思い返してもあまりない。

没頭しそうな気配があるときは、意図的に他の行動も同じくくらいの活動時間になるようにする癖があるので、没頭したとしても2,3年くらいジュッとヒートしたらそのあとは下火になって静かに燃やす感じになる気がする。

無意識にバランスを取るんだよな。

 

 

経歴

続いての話題は、塩谷さんの経歴について。

幼い頃からインテリアコーディネーターのお母さまの影響もあって絵を描くのが好きだった塩谷さん。

それを極めるために早稲田の院まで建築を学んでいて、設計事務所に就職したって話だったのだけど、設計事務所に就職した理由が、“卒業研究の発表のときに教授にデザインの能力不足を指摘されたから、それを克服しようと思って…“って話をきいて、”あ、これあかんやつや”って思った。

そのときの感想が↓のtweet

 

ベースの能力が高かったんだろうと推測を裏付けできる話。

ベース能力高いと、苦手なことでも努力で克服できちゃうんだけどもそれはいいのか悪いのか…。

運が良ければ、心身が反応してストップかけてくるから止まれるけど、突っ走れちゃうのもキツイよな。

睡眠不足かつ栄養不足は身体を壊す最適解なんだけど、意外と社会人はやりがち…。

 

彼女の話をこの辺まできいてきた感想。

魅力的な人です。

 

 

銭湯図解のつくりかた(技術)

それから、”銭湯図解のつくる過程(技術的な話)”。

建築で用いられるアイソメトリック図法で表現している。

銭湯に取材に行くとまずメジャーでそこかしこ(タイルのサイズまで!)の寸法を計測するという話をきいて、建築系に人っぽいなぁと思った。

趣味のおけいこごとで師事している先生も建築系の人なんだけど、作品をつくるときにきっちり測れって言われるので、なんとなく共感できるところがある。

できた作品がなんかおかしいな、って思うと、だいたい1cmズレてるとかそういう感じだから、計測ってけっこう大事。

 

 

街と銭湯

後半は、銭湯図解に掲載する銭湯の話。

銭湯図解は、先頭から順番にめぐるのがおすすめらしい。

初心者からマニアまで楽しめるつくりにした、ということだった。

 

 

“泣きに行く銭湯“”おなかがすく銭湯“など、自分の状態によって行く銭湯を変える話や*2、その時々によって自分自身をオープンにしたコミュニケーションを取るときと、クローズにしてひたすらお風呂に入ることに集中するときといろんなバリエーションがあるという話は、銭湯好きのあるあるエピソードだな〜!と思った。

わかるわかる!

わたしもその日の調子によって行く銭湯を変えるもん。

それってホーム銭湯があるからできるんだよな、っていうのも新鮮な気づきだったと思う。*3

 

いろんな銭湯に行くと徐々にわかってくるんだけど、意外とそれぞれの銭湯ってその銭湯独自のローカルな明文化されないルールがあるので*4、初めて行く銭湯はだいたい入って5分くらいは周囲を観察することにしています。

5分も観察すると、だいたいどういうタイプの銭湯かわかってくるので、最近は立ち居振る舞いに困ることもなくなりました。*5

 

この辺はまあ運営側と常連さんとの非常に曖昧な暗黙のルールで成り立っているところで、そこに銭湯のいいところと悪いところが凝縮されてるなぁ、と常々思っているのだけど、わたしはこの部分こそが経営者が自由にハンドルできるところで、銭湯のカラーがめっちゃ出やすい部分だと思っています。

以前に紹介エントリーを書いたセイントセントー  3銭湯は、この辺のハンドリングがめっちゃ絶妙で、ルールが明快なので初心者にもおすすめです。*6

塩谷さんのホームの小杉湯も(まだ行ったことないけど)、安心して行ける銭湯だなぁ。

だいたいtwitterアカウント持ってる銭湯は初心者がいってもこわくない銭湯であることがほとんどなので、迷ったらTwitter検索してみると良いと思います。

 

施設が新しくて椅子の脚が高めのところはだいたい置いておく式な気がします。

大きいとしまうの大変だしね。

 

銭湯はオフィシャル(公共)とプライベート(私的な場)のちょうど間くらいのコミュニケーションがある場所、っていう話に納得。

 

銭湯の使い分け、はけっこう銭湯クラスタが自然にやってるんじゃないかな。

 

 

銭湯図解は銭湯はもちろん、その街についてもめっちゃ描いてあって、間接的に街を表現してる、っていう発言が石井さんからあって、そういう視点は実に谷根千っぽいなぁと思った。

いや、あんまりこういうこと書くとアレなんですけども、谷根千をホームグラウンドにしている人って、谷根千が好きな人が多くてちょっと特殊な街だなって思っていて。

失礼気味な表現を承知で正直に書くと、芸大とか東大とかが近いこともあって、けっこう世間一般的に見ると変わった人が多く住んでいる印象です。

また地域の人もそういうちょっと変わった人たちに対する耐性が他の街に比べてたぶん高い…。*7

だからそういう人にとってはたぶん結構住みやすいエリアだと思います。*8

 

それでもって、谷根千はめっちゃ”おしゃべり“な街です。

あんなにTwitterで発信してる人が多いとこってちょっと他ではなかなかないんじゃないかな。

そんなところも、きっと街の魅力の1つなんだと思います。

 

 

クローズ&サイン会

クロージングトークは、

”とは言え銭湯って言うほど斜陽産業じゃなくない?”

って話でした。

東京の銭湯の数が都内のマックとモスを足したくらいの数くらいあるみたいな話をきくと、まだけっこうあるな、って思うんだけど、とは言え廃業する銭湯は増える一方で*9、それに加速がつくとそこから再興するのは厳しいよねっていうあたりが業界関係者の共通の悩みなんじゃないかな、と思ったり。

そもそも設備が特殊だから廃業してしまうと、新しく設備を導入して、アレコレしてってなると結構な金額になる上に、都会の街は地価が上昇しすぎて、利用料金フィックスされてるから利益でないよね、っていう。

やっぱり2極化しちゃうのかなぁ…と思うとそれはそれで良いことのようには全く思えないんですが.....。

足元から地道に草の根運動が広がっていくと良いな、と思っています。

 

 

イベントに申し込みするときにサイン会もしてくれるんだろうな〜と思っていたのですが、ちゃんとしてくれました。

せっかくなので名前(twitterネーム)も入れてもらっちゃった。

 

 

これからの関係者のみなさまのご活躍を期待しています。

頑張りすぎなくていいから、適当に頑張ってね!

 

 

 

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参考:

トークウィーク『まちがたり』第二夜:塩谷歩波トークイベント『銭湯図解』ができるまで 実況まとめ - Togetter

 

*1:知る人ぞ知る千駄木の有名書店です。

*2:このへんの話は3/3に放送された情熱大陸にも登場した。twitterでも塩谷さんが情熱大陸に出た!って話題になってましたね。

*3:塩谷さんのホーム銭湯は高円寺の小杉湯。運が良ければ、番台で会えるかも?

*4:どこのカランは誰それさんが使うとか、サウナのその位置はなんちゃらさんの定位置だとか…!人が集まるとわりと起こりがちなやつです。

*5:適応力はけっこう高い方だと自負しています。

*6:以前に行った時に、銭湯ルールでキムチを持ってこないでくださいって書いてあってちょっと笑ったのは秘密です。

*7:あんま書くとほんと怒られそうだな...

*8:下北沢、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺あたりがこのジャンルの街じゃないかと思うんだけど。

*9:浅草の蛇骨湯さんとか、小石川の歌舞伎湯さんとかも近く閉まってしまうらしいです。

2019年 箱根駅伝tweetまとめ③(復路)

この日(1/3)は風邪で死んでて、布団で寝込みつつ、ラジオで観戦してました。

 

レース前

 

 

復路

 

 

その他

 

 

暑苦しいオタクっぽさが全開になってしまった.....。

2019年 箱根駅伝tweetまとめ②(往路)

レース前のワクワク

 

 

往路

←ちなみに高速レースにはならなかった....( ^ω^ ) 

 

 

2018年に比べて、2019年のこの感情のダダ漏れな感じ....... 

今年はいちばん熱かったかもしれない。

ぼんやりと思っている将来のこと

気力と体力の回復

ここ1年くらい、ようやく気力と体力がうつになる前くらいまで戻ってきた。

ひとえに仕事と銭湯めぐりとプライベートのバランスがうまくまわっているからだと思う。

1年前までは、1日フル稼動してパワーを出しつくすと3日寝込んで普通の1日が始まるまで1週間かかる、

あるいは、梅雨の滅入る時期なんかはがっつりと体調を崩して1ヶ月布団から出れない、

なんてことがざらだったから、今こうやってパキパキと仕事のことを考えて準備して、起きて普通に会社に行く、という生活ができていること自体に感動してしまう。

下手をすると週5くらいで銭湯に行っているのだけど、ほんと銭湯様様である。

銭湯通いしなかったら、こんなに動けるようになっているかは甚だ疑問だ。

銭湯、本当いいので調子が悪い人には騙されたと思って試して欲しい。

 

 

”やりたい”欲求の成長

そこそこ健康になって、日常の生活をまわせるようになってくると、むくむくとあれこれやりたいことが出てくる。

身体ってほんと重要。

心身が健康であることが、こんなに欲望を左右するものだとは知っていたけど今まで全然理解できていなかったことが最近本当によくわかる。

 

元気になってきたので、やりたいけど”今はまだ無理”と棚上げになっていたことをスタートさせた。

それは”着付け”である。*1

 

 

きっかけ

もともと私はいけばなを習っていて、気がついたら習いはじめて10年以上経ったのだが、日本の伝統文化に関わっていくと、どうしても切っても切れないものがある。

それが着物だ。

誤解のないように書いておくと、いけばなをやっていると着物を着る機会は増えるが、お茶とは違って着物を持ってなかったり、着物を着なくとも普通のお稽古を続ける分にはさしたる問題はない。

が、このところ着物を着た方が無難なイベントに出ることが増えてきたのと*2、結局なんのかんのと言っても海外に行ってなにかをするつもりがあるのであれば、自分で着られるようにならないとちょっと困る*3、という状況が見えてきたのが実際のところ。

 

実家の箪笥の中に、いくつか祖母が母に買った着物*4がほとんど手付かずで眠っているので、もったいないから風通しするついでに着ようかな、と思ったり、ついでに自分で訪問着くらいは着られるようになったら、だいぶラクになるなぁ...と考えたり。

着られるようになるかは今のところわからないけど、まあお太鼓くらいは着られるようにがんばろうかなあ...と思っています。

 

 

なんでそんなことを考えるか?って言うと....

ここ数年、ぼんやり思っているのは、やっぱり私はいけばなをどうにかゆるく広めていくようなことがしたいと思っているのかなってこと。

それをプライベートでやりたいのか、それともビジネスにしたいのかというあたりは非常に微妙なところで、正直なところ今もその辺は自分でもよくわかんないなぁって感じである。

教えられる資格をとってから、そのままにするのも勿体ないなぁと思いつつも、動くのめんどくさいし、身体も心も疲れ果てていてそれどころじゃなかったので、ここ数年はただただ自分の日常で気楽に花を飾る楽しむことに使ってきた。

 

 

のであるが.....。

インスタグラムなどを眺めていると”お花をセンスよく気楽に飾れる”技術を気楽に習得したい人はそこそこいるのかなぁ、とは思う。

最近は、ラフな感じで”お家にお花を飾る技術”を伝えるのをもっと敷居が低くゆるーーーーくやりたいなぁ、と思ってはいるのだけど、現実問題、いかんせん場所と花の仕入れと道具の置き場を考えると利益でないどころかマイナスだな、と思ったり。*5

  

なんとなく、そんなわけで最近はここ5年くらいぼんやり考えていたことをたぶんやっていくんだろうな〜っていう予感がするので、たぶんそういう方向で動くのではないだろうか。

気楽なお茶会ついでにお花をいけるみたいな感じのゆる〜い集まり?みたいなのを作りたいようなきがするんだけども....

*6

 

Que sera, sera.

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*1:他にも海外旅行に行きたいとか、ヨーロッパ旅行行きたいとか、お洋服買いたいとか山のように出てきた欲望もあるけど、それは一旦置いておく。

*2:ゲスト・ホスト的なTPO問題っぽいやつ。

*3:朝早かったり、着付けてもらえる人がいなかったりすることもままあるよねっていう....

*4:多くが小紋でオフィシャルな場にはあまり向かないが、着たいと思えるものが多い。

*5:意外と現実的な話なのだが、ガチでいけばな業界で重鎮やってる方たちからみたら怒られそうな発想だな....。知恵袋読む限り魔窟だしな〜。

*6:ひと昔前ならこういうのってサロンって言うんだろうけど......

2019年 箱根駅伝tweetまとめ①(レース前)

2019年の箱根駅伝tweetをまとめてみた😋

 

箱根駅伝めっちゃ好きなんですけど、時間なくて今年まだ映像見てなくて....( ;  ; )

とりあえず流れちゃうのでtweetまとめ。

 

エントリー発表

 

 

1/2の観戦場所(どこの区間を見に行くか)悩む話

 

 

決断したらしい