武蔵境 境南浴場

境南浴場に行きたい…気がする!

銭湯エントリー♨️は久しぶりに書く気がします。

最近平日はほぼ毎日銭湯!な生活を送っているんですが*1、メモすると長くなってデータベース作るのには向きません…。

サ活*2ならぬ湯活。

書こうと思ってtwitterにメモしておきました。

 

 

 

 

 

 

 

先日Twitterでお誘いをいただいて、「銭湯を語る会」というイベントに行ってきたのですが、その時話していてなんとなく今自分が行きたい銭湯は境南浴場な気がする…!ということがわかったので早速行ってきました!

 

 

境南浴場を知ったのは、塩谷さんの「銭湯図解」がきっかけ。

“泣きに行く銭湯”、というキャッチーなフレーズで紹介されていたからか、あるいは“泣く”という強い言葉の反応したのか、なるほど、そういう銭湯も西側にはあるんだなぁ、と思って見ていました。

ただ、この時(冬)はふんふん、とおわっていたのですが、春にちょっとした出来事がありました。

 

Twitterはじめます。”

っていう境南浴場のtweetが誰かの“❤️(いいね)“かリツイートであがってきて、興味ある…!と思ってその場でフォローしました。

それからちょいちょい境南浴場のtweetが自分のTLに登場するので、ずっとひっかかってはいた状態だったのですが、いかんせん西側。

学生時代は全然苦にならなかった長い時間の電車移動がどうにも億劫で、とりあえず棚上げしていたのですが…。

話していて、やっぱり行きたい!という気持ちが高まって、そこからはじゃあ明日行こう!っていう感じでひゅっと行ってきました。

決まってからは動くのめっちゃ早いんだけどなぁ〜…。

 

 

銭湯図解

銭湯図解

 

 

sauna-ikitai.com

 

 

 

武蔵境

久しぶりにこっち側にきました。

学生時代は中央線をよく使っていたので、電車に乗ると失恋して泣きながら電車乗った記憶とか、寝過ごして新宿でうとうとしたのに新宿で目が覚めた事とか*3三鷹から乗ってうとうとして目が覚めたら下総中山だったとか、べろべろに酔っ払って乗ると駅の間が長く感じられて早く次の駅来ないかな〜って思ってた記憶とか、大概ロクでもないものばかりですけど。

 

武蔵境の駅といえば、5年前くらいに高架化されて、綺麗になっているのでちょっと有名です。

ときどきSNSで見かけると、そうか〜、高架化されたのか!と思ってたんだけど、実際に行ったらやっぱり綺麗になってました。

 

 

武蔵境の街は吉祥寺〜武蔵境の北側エリアが属する武蔵野市にあります。

武蔵野市は戦後から現在にかけて非常に大学などの学校が多い文教地区で、またリベラルな考え方が浸透している地域で23区とは違った独特のカルチャーを持った地域です。

新しい施策とかやるのも好きな自治体。

文化的な施設が多くあり、緑が豊かで、街全体がちょっとおっとりしていて、新しいものものびのび育てていく土壌と余裕みたいな空気があって、結構好きなんですよね。

最近ではアニメスタジオが多いこともあって、アニメの街としても知られています。(ジャズもわりと有名かも。)

 

武蔵境の駅を降りてすぐのところには新しくできたオシャレな建物、武蔵野プレイスがあって、図書館だけではく、コミュニティを繋ぐ場としてどうやら存在しているみたい。

中には入らなかったんですが、外から見ていても、あ、これ、何も用事なくても来ていいやつだ!っていう感じがわかるようなふわっとした場所でした。

 

 

 

 

境南浴場

どことなく西洋風の趣のある住宅街を歩いていくと、その中に溶け込むようにしてひっそりと佇む銭湯があります。

それが今回の目的、境南浴場です。

建物を見てすごいなぁ、と思ったのですが、”何がすごいのか“をしばらく言語化できませんでした。

サウナに入ってのんびり考えていたら、言葉が降りてきたのですが、それは、ここまで街のトーンとぴったりマッチして、なおかつ存在を主張しない銭湯ってはじめて見たな、ということです。

街のトーンとマッチしている、というところでは向島の薬師湯や西ヶ原の殿上湯あたりもそういう種類の銭湯だなぁとおもうのですが、ここまでぴたっと一致して、しかも主張しない静かな銭湯ははじめてだなぁと思い、思わず嬉しくなってふっと笑ってしまいました。

高円寺の小杉湯や西尾久の梅の湯、日暮里の斎藤湯、稲荷町の寿湯なんかはどっちかというと、街のトレンドセッター的な立ち位置なんじゃないかな、と思っていて、いま盛り上がってるパターンの銭湯って、“自ら発信して新しく街のコミュニティの場を作っている”タイプの銭湯だと思うのです。*4

そういった銭湯は、比較的情報発信が活発なので情報を得やすいのですが、おっとりしたところは、がっつり調べないとなかなかたどり着けることが少ないのでTwitterをやっていてくださるとありがたいなぁ、と思います。

 

境南浴場も最近はサ道ブームが来ているのか、私が入る時も中から若い子が出てきてました。

入浴券+サウナ代200円を払うと、バスタオルとサウナキーを渡してくれます。*5

 

 

 

www.tv-tokyo.co.jp

 

 

 

お風呂は白湯、ジェットバス、薬湯(この日は玉露でした)、水風呂があり、それにサウナがあります。

街の銭湯、といったラインナップです。

内装はどちらかというと西洋風で、1980sのセンスを彷彿とさせる感じのものがあちこちに散りばめられています。

特徴的なのは、タイル絵。

通常富士山のペンキ絵が描かれることの多いそれは、魔女の宅急便ウルスラ(絵描きのお姉さん)が描いたキキの絵っぽい雰囲気。

シャワーの上のタイルに描かれている、女性と車はモネの日傘をさす女っぽい感じ。

鏡も一風変わっていて、四角のサイズから丸い部分抜き出した周りはストライプ柄!

はじめて見ました、ストライプ柄の鏡。

私がよく知っているジャパニーズスタイルの銭湯は、“富士山ペンキ絵、水とお湯のカラン、宮造りの高い天井に、丸い鏡と黄色いケロリンの桶”なんですが、どこもそれぞれに西ヨーロッパっぽい志向が凝らしてあって、銭湯なんだけど、ディテールが西洋っぽくて不思議な気分になります。

そのあたりが1980sっぽいセンスだなぁと感じたところだと思うのですが、こういう別々のセンスのものを取り入れて組み合わせていくあたりは本当に“リベラルな武蔵野の街っぽさ”を感じました。

だから街の雰囲気とマッチしてると感じたのだと思います。

 

水風呂は天然の地下水で、適度に冷たく(18度くらい?)、パキッとした肌触り。

個人的には駒込のロスコ(サウナ施設)や西ヶ原の殿上湯に近いなぁと思いました。

とっても好きな水風呂です。

 

“泣きにいく”と噂のサウナは、ボナサウナ。

しっとりとしたBGMがかかっていて(最近は、レゲエやジャズやボサノバやインドポップスなどもかけているみたいなので、別のBGMの日にも行ってみたい!)、ゆっくり考えごとが整理できる瞑想系のサウナです。

温度は90度でそこまで高くもないのですが、いい感じで汗がかけるのでもしかしたら湿度が良いのかもしれません。

 

ノスタルジーが込み上げてくる、どこか懐かしさを感じる街の銭湯でした。

“泣きにいく銭湯”。

ちょっぴり、わかるような気がします。

すごく好きな銭湯です。

 

今度来るときは久しぶりに吉祥寺のいせやの焼き鳥食べに行く組み合わせようかなぁ。

 

 

www.1010.or.jp

 

twitter.com

 

 

f:id:iixxx:20190824150133j:image

 

 

*1:回数券を買うようになってから本当に銭湯巡りがはかどります。

*2:サウナイキタイにその日のサウナ活動(レビュー的なもの)を書き残すこと。

*3:新宿→東京折り返し→新宿

*4:おそらく川口の喜楽湯や京都清水五条の梅湯(←川の近くだから水風呂期待できそう…😋)もそうだと思います。

*5:タオルとシャンプーリンスボディソープのセットになった手ぶらセットの販売があります。ドライヤーはコイン式。3分/20円

鎌倉〜稲村ヶ崎へ

夏だ!海だ!太陽だ!!

ようやく長い梅雨が明けて、夏らしい日がやってきました。

毎日外は暑くて、歩行すらめんどくさいなと思う日々ですが、お日様をみるとついふらっと海に行きたくなります。

小さいときは毎夏、父の実家に帰ると、台風が来ない限り泳いでいたからか、どうにも海辺で太陽にあたらないと夏をやった感じがしないのです。

住み始めてから5年。

どこかに出かけて街に帰ってくるとちょっとホッとする感じもあって、すっかり東京の人だと思っているのだけど、意外と小さい頃の記憶って消えないみたいです。

 

 

 

いざ、鎌倉?

そんなわけで、夏といえば海🏖

海といえば湘南。*1 *2

ああ、なんか久しぶりに鎌倉行きたいなぁ…!*3

そういえばこの前、稲村ヶ崎の温泉のエントリーを見た気がする…!

 

yukatsu.hatenablog.com

 

と、いうわけで。

ふらっと行ってまいりました。

せっかく稲村ヶ崎行くならついでに江の電乗って鎌倉観光しようかなぁ…、と思って思い立ったら吉日。

午後からお出かけ。

 

 

今回はJR横須賀線で鎌倉へRide on。*4

江の電で鎌倉から海岸を抜けて(観光客で混んでた…)、藤沢からJR東海道線ー東京上野ラインで帰ってきました。

 

 

今回の観光ルート

鎌倉〜大仏〜長谷寺極楽寺稲村ヶ崎稲村ヶ崎温泉〜藤沢

 

 

江の電は、はじめて1日乗車券買いました!

どこを切り取っても絵になる電車なので、楽しいです。

スラムダンクの踏切とか。(鎌倉高校前)

いつもは個別で乗車券買ってたので降りたり乗ったりはなかなか考えてたんですけど、これはこれで気楽に乗り降りできて写真撮ったり観光したりできるので良いです◎

 

最後に藤沢でサンマーメン食べ損ねたのだけがショック......

 

www.sannma-men.com

 

 

f:id:iixxx:20190808114345j:image

鎌倉駅

駅舎がいい感じにオシャレで好き。

駅出たところでおばあちゃまにナンパされましたよ。うふふ。

白のショートパンツ、黄色のコンバース&サングラスといった日本人離れした派手な格好してたせいですかね...、てへ。

 

 

f:id:iixxx:20190808114410j:image

高徳院の大仏。

鎌倉の大仏は外にあって、晴れた日に見ると気持ちがいいのです。

空が広く感じる!

 

  

f:id:iixxx:20190808115321j:image

大仏さまの内側。

20円払うと中に入れます。

夏は蒸し暑いけど.....

 

www.kotoku-in.jp

 


f:id:iixxx:20190808115059j:image

紫陽花(の行列)で有名な長谷寺

大仏さまのいる高徳院から徒歩5分くらい。

境内に入ると、観音堂と散策路は軽い運動コース。

毎回入ってから、しまった、ここ結構なのぼり階段だった!って思い出すんだよ......

 

拝観料はなんとSuicaで払えます。

 

www.hasedera.jp

 


f:id:iixxx:20190808115110j:image

蓮の花があるので、午前中に来た方が楽しいかも。*5

日本のお庭、って感じで、思わず1枚。(iphoneですが...)

 


f:id:iixxx:20190808115033j:image

夏の紅葉の葉は緑で、みずみずしい。

はー、でも紅葉は花材としてはめちゃくちゃ難しいんですよ...。

傷むのめっちゃ早くて....

きれいなんだけどな〜。



f:id:iixxx:20190808115027j:image

散策路を歩いて登っていたところから。

写っているのは材木座海岸(たぶん)。

 

 


f:id:iixxx:20190808115056j:image

発車した江ノ電

どこを切り取っても絵になる電車です。(混んでるけど...)

 

 

f:id:iixxx:20190808115052j:image

極楽寺駅を降りてすぐのところにある江ノ電のトンネル。

ノスタルジックな感じで素敵。

ずっと降りてみたかったんだけど、降りたことがなくて、今回はじめて降りました。

VIVA1日乗車券。(でもそのせいで混んでる疑惑....。近隣にお住いの方にちょっと申し訳ない。)

 


f:id:iixxx:20190808115044j:image

極楽寺の境内。

木のトンネルが涼しげ。(実際ちょっと涼しい。)

 


f:id:iixxx:20190808115037j:image

素敵な木だな、と思って思わず。

何の木かしらね....?

極楽寺、拝観終了の時間が早い(16:30)のでいつも寄れなかったんだけど、こちらも初めて入れました。

普通のお寺なんだけど、境内が神秘的で素敵。

 


f:id:iixxx:20190808115048j:image

稲村ヶ崎の駅。

稲村ヶ崎、といえば、サザンオールスターズですよね。

桑田さんは建長寺鎌倉学園のOBです。

(無駄な神奈川っ子情報...。神奈川県の男子校はお寺さんをルーツにもつ学校が多い気がします。土地柄かなぁ。)

 


f:id:iixxx:20190808115102j:image

稲村ヶ崎

下は磯場だったのか...! 

後ろに小さく見えるのは江ノ島です。

ぼんやり見えてるのは富士山かな。

 

f:id:iixxx:20190808115113j:image

この日のお目当て、稲村ヶ崎温泉に到着。

新しくした改築?したばかりらしく、綺麗でした。

男女のお風呂♨️は入れ替え制のようです。

この日は運良く、女湯側が江ノ島側の浴槽でした。

17:00前に入って、ちょうど日の入りくらいまでいました....。

 

平日だったので混んでなくて、ぼへーっと温泉に浸かりながら延々とサーファーを見てました。

飽きない.....!

海は結構荒れていて、波が高かったので多かったのかな。

夕方なのにサーファーはどんどん増えていった気がします。

 

温泉・サウナ・水風呂・露天風呂

 

と、私の好きなものが一通り揃っていました。

サウナは80度弱(←無音サウナなのでゆっくり瞑想できるのと、サウナマットは1人1枚ずつ取っていく式で好きなやつ!!)、水風呂は30度弱くらいだったので、シャキッ・パキッときまる設定のサウナが好きな人には物足りないかもしれない。

ゆっくりゆっくり整っていくタイプで、身体に無理な負荷がなく、私はすごく好きです....!

 

温泉自体は東京でよく見かける黒湯っぽい感じで、体感としては武蔵小山の清水湯(黒湯の方)に近いかも?

ぬるぬるして超好き♡

 

www.inamuragasaki-onsen.jp

 

f:id:iixxx:20190808115116j:image

 

お風呂を出た後。

ちょっと富士山がくっきり。

道路は渋滞していないことがないという魔のRute134(134号線).....!

 

横須賀から逗子を通って大磯に抜ける神奈川イチのオシャレな海岸沿いの国道なんですがね......。

死ぬほど渋滞することで有名な道路でもあります。*6

 

鎌倉・江ノ島エリアはこう見えて結構地理的に孤立しておりまして、出るのも入るのも中の道路もめっちゃ渋滞することで有名です。*7

本当になるべく、できることなら大船or藤沢あたりに車を置いて、そこから電車で入ってくることをおすすめします。

ドライブデートのメッカみたいなイメージあるんだけどね、ほんとにね、入れないし出れないから!!! 

 

 

帰りは稲村ヶ崎駅から江ノ電にのって、有名な海岸沿いをずーっと電車にのって眺めて帰って来ました。

めっちゃ満足。

 

 

唯一の心残りは、古久家のサンマーメンを食べ損ねたこと。*8

リベンジします...!

 

kokuya.jimdo.com

 

 

関連ランキング:ラーメン | 藤沢駅石上駅

 

 

北欧はずれちゃったのでふらっと行ってきたんだけども、新しい発見がいろいろあったたのと、リフレッシュできてめちゃくちゃよかったです。

 

www.odakyu.jp

 

www.enoden.co.jp

 

www.jreast.co.jp

 

icotto.jp

 

 

お題「ちょっとした贅沢」

*1:ただし、逗子や鎌倉が湘南に含まれるかどうかはわりと物議を醸し出すやつ…。

*2:神奈川県の海岸は逗子がいちばん好きです。逗子や鎌倉は東京とはまた違った世界観で生きている街ですが、めちゃくちゃオシャレで女子におすすめ。

*3:実家に住んでたときは、煮詰まるとよくふらっと鎌倉へ行ってたな。

*4:都内からだと、小田急の出している往復↔️チケット+江の電1日乗車券のセットがいちばん安いです。

*5:蓮の花は午前中に咲いて、その後すぐにとじる。

*6:余談ですが、三浦半島(横須賀や三浦海岸)も車で来るには不向きです。道路狭くてめちゃくちゃ渋滞して、入るのも出るのもこれまた大変なエリアです。裏道とかほぼないしな。

*7:渋滞してないとこみたことないくらい...。

*8:長くお風呂に入りすぎたせいで閉店時間が.....。

映画「天気の子」レビュー

夏休みといえば、 映画🎥

学生さんたちが減って、朝の電車が空いてくると、ああ夏休みだなぁ…!と思う。

 

夏休みと言えば、映画🎬

 

大学生の頃にはよく、授業のコマのあいだや自主休講(サボり)の日にぼけーっと映画を観に行ってい。*1

大してすることもなかったので飲みに行くか、ラジオ聴くか、本読むか、映画見るか、部室でダラダラおしゃべりするか…。

私の当時の娯楽はその辺に集約されていたように思う。

 

 

久しぶりに映画を観てきた。

最近は2時間劇場に座って長い物語を見るのにもなかなか大変になってきていて*2、せいぜい年に1本くらい軽めのアニメや邦画を観ればまあ今年は映画館行ったかな、って感じ。

今回はたまたま2月にシティーハンター<新宿プライベートアイズ>を観たいというダーリンと、コナンを観たいという私とで意見が食い違ったので2本観に行こうと行ってチケット取ってたんですが、シティーハンター見たら映画に満足してしまい、まあもういいか、と思って放置していたら使用期限が切れてしまいそうだったので、まあなんか観に行くか、最近話題だし「天気の子」かね?という感じのセレクション。

ちなみに私は前作の「君の名は。」は売れた映画のタイトルとして知っているだけで、新海誠監督作品は今作がはじめての鑑賞。

事前のリサーチもほとんどしなくて、「君の名は。」の感想を又聞きしたのと、たまに上がってくるTLのtweetくらい。

今に至るまでには腐女子寄りの端っこの道も歩いたことがあるので、2000年以降のオタクの文化文脈はある程度理解はしてるかなぁ。

 

 

以下「天気の子」の感想ですが、基本的に辛辣で否定的なスタンスです。

ネタバレしますので、未鑑賞・未視聴の方はご注意ください。

上手く文字に落とし込めるかな…。

 

 

全体を観て

失礼ながら見終わって真っ先に思ったことは、壮大な中二病の酷いイマジネーションに114分も付き合わされて気が狂いそうだな、ということ。

映像が美麗すぎるのに、物語の組み立てが稚拙なように感じてそのギャップがものすごくきつく感じた。

第2に、映画に出てくる街(新宿、渋谷、池袋、代々木、上野、御徒町、神楽坂、芝公園、六本木、田端…など)そのものや、街の描写は基本的に好きなところばかりだけれども、各カットがきれいに描かれすぎていて映像として繋がるとなんとなく気持ち悪いな、ということ。

第3に、水や光や空をやたら美しく強調して描くカットが多いので、観るのにめっちゃ疲れて、その描写に強烈な違和感と戸惑いを感じるということ。*3

第4に、この映画観るのには私は年をとりすぎたなということ。*4

以上4つが見終わってすぐに感じたことである。

 

 

 

序盤

よくわからない病院の描写から始まる。

まあでもたぶん、回想的な感じでスタートさせるのかなぁ、と思って物語が動き出すのを待ってしばらく眺めていた。

すると船に乗る主人公の手にキャッチャー・イン・ザ・ライ(しかも村上春樹の翻訳本)。

いかにも、な暗示である。(あざといという意味で。)*5

ー「ライ麦畑でつかまえて」ではなくて「キャッチャー・イン・ザ・ライ」…!この本は何冊か翻訳本が出ているが、最新は村上春樹の訳のこの本で、翻訳本なのにかなり賛否両論がある本である。ー

この時点でああもう中二病系の話になるんだな、と確信していたのだけど、肝心のストーリーに関してはさっぱり頭に入ってこない。

延々と新宿の街の瞬間のカットが流れていくだけなので、始まって30分で席を立って帰ろうかと思ったくらいだ。*6

でも、鑑賞しながら感じている気持ちの悪さは一体なんだろうな、という好奇心に負けて踏みとどまって最後まで見届けようと思った。

 

 

中盤

正直、あまり深く記憶に残った描写がない。

コンプライアンス意識の厳しくなった東京の街で、普通の手段で稼ぐ手立てを持たない未成年の主人公・帆高とヒロイン・陽菜が選んだ稼ぎ方が、陽菜のちょっと特殊な能力(その代わりに身体という重い代償が課せられる)をインターネットを通してお金に変えるというのは、いかにも昨今のブロガーとかインフルエンサー的だし、既存の社会の仕組みから弾かれて、そこで生きようとすればそうするしかない、というのはまあわかる。

というか、帆高が困ったらなんでも知恵袋で相談するシーンとか、インターネットを媒介としてお金を稼ぐとか、いかにも最近の監督の現代描写らしい。

それらし過ぎるくらいだ。

反社会的勢力をあらゆる表の街やビジネスから排除してクリーンにしている現代の東京へのアンチテーゼとして伝えたいのか?とも思ったけどそこまで強いメッセージ性は感じない。

みどころといえば、外苑前の花火のシーンや六本木ヒルズの屋上で陽菜が晴れを願うシーンであろうが、正直私自身は、映像にはドローン的な視点を入れてみたり、技術としてはいろいろ新しいことを取り入れて、画面の麗しさがひときわ際立つ作りにしたのだろうなということはわかるけど、心情的な部分で感動したり共感したりというポイントは一切なくて、ここでもやっぱり、画面は美しいけど物語はさっぱり身体に入ってこない。

話の筋としてはわかるけど、こうなったらこうなるだろうみたいな流れが見えすぎて、エンディングすらも予測できるエンディングだったので、物語が稚拙だという冒頭の感想を抱いたのだと思う。

 

 

終盤

やたら走って青春してるなー、という感じで、天気を晴れにする代償として身体が消えた陽菜を取り戻すために、東京の街中を警察に追われながらバイクでぶっ飛ばしたり、刑事や警官に追われて進路を妨害されながらも反抗して走り抜けたりと、疾走感溢れる描写。

家出少年の捜索と序盤で出てきた拳銃の件の聴き込みで警察官が来て、はじめは帆高に「大人になれ」って言って、島に帰そうとした須賀も帆高の「陽菜さんに会いたい」という気持ちに負けて、帆高を捕まえていた刑事をなぐり飛ばす葛藤の末に大人をやりきれない(陳腐だけども少年の気持ちを持った)大人として描かれていたのはこの映画で唯一好ましく感じたところかも。

エンディングで声を演じたのが小栗旬だというのがわかって、ああ、この人はほんといい役者でいい大人になっているなぁ、と思った。

キャラクターに違和感がなくて、小栗旬が演じてるのが全然分からなかったから。

それってめちゃくちゃすごいことだなって思う。

 

物語の最後は、帆高にとっての大切な人である(晴れのために自分を犠牲にした)陽菜を取り戻し、その代償として狂った天気は狂ったまま雨が降り続け、東京の街は海抜ゼロメートル地帯*7および湾岸埋立地エリアが水没して水の都として日常が営まれ続ける。

そして、保護観察処分になった帆高は島で生活をして保護観察期間があけた3年後、大学進学に伴って上京し、陽菜と陽菜の住んでいる街(田端)で再会する。

といういうところでエンディングを迎える。

本作品の根幹とも言えるBGMを一手に引き受けたRADWINPSのいかにも2000年前後に流行ったポエム系ミュージックが泣かせにくる。

全然泣けないどころかこれでさらに私がシラけてしまったのは、たぶん作品のあちこちに散りばめられているものが2000年代のオマージュですらないまき直しであって、物語を1度解体して再構築を試みたものではないという結論に至ったからではないかと思う。

街の風景映像とアニメの映像技法だけがアップデートされているのに、映画の根幹である物語は未熟なままの状態で置き去りにされていて、そこにものすごいちぐはぐさを見たような気がして強い違和感を感じたのだろう。

ナルシズム全開な感じがこれでもかと次から次に襲ってきて、ぞわぞわしてしまった。

 

終わりの方で、スカウトマンのクソみたい男が妻子持ちなこともびっくりはしないけど、うおっ…、ってなった。

まあそっか、クソみたいな仕事でも妻子を養うんじゃしょうがないよね、みたいな。

そのあたりもその感想を抱いた自分も含めて強烈に嫌だなと思ったところ。

 

 

終わりに…

ストーリー自体も賛否両論がありそうだと話が散見される。

特に結末は世界(東京)の平和と安定よりも自分のいちばん大事な人を選んだというところが、物語としてハッピーエンド…?という誰もが納得できるものにはなっていないのがミソ、ということなのかな。

これも私にとっては、いや、まあそういう物語もあったっていいんじゃないのって感じで、ある程度予測できた範囲内でおさまってしまったのでむしろ、こんなんで賛否両論巻き起こらないでほしいって思っちゃうんですよ、正直。

だってソレ前にも同じようなのやってるじゃん、っていう。

ちょいちょい暗示される映画に散りばめられた小道具からウルトラCの誰もがあっと驚く結末にならないのはわかっていたので、どういう風にまとめるのかはちょっとだけ気になっていたのですが、最後はいかにも現代的だなぁ。

 

 

このエンディングを見た瞬間に頭に浮かんだのは、庵野秀明のアニメ「エヴァンゲリオン」の碇シンジの最後の”おめでとう”のシーンと村上春樹の小説「ノルウェイの森」のワタナベの“僕は今どこにいるのだ?“という最後のシーンである。

こういうもやもやする結末の物語は過去にもいくつもあって、それをどうブラッシュアップして時代に合わせた物語に再構築していくかということがクリエイターに求められているのではないかと私は解釈しているのですが、本作品は個人的には物語のブラッシュアップが足りないのかなという感想。

だから、見終わってすぐの“物語が稚拙”という感覚は案外あっていたのかな。

 

 

もやもや系の結末の物語に初めて触れる若い世代の人たちは、たぶんこれにとても感動するだろうということもすごくわかる。

私自身も、思春期の精神がびんびんでいらんところにも共感したり同調したりして感情のコントロールが全然できない時期にこの映画を観たら、たぶんすごく感動すると思うし、何なら2回、3回と劇場に足を運ぶと思う。

でも大人になって社会の(東京というシステムの)一部となって生活している私にとっては、これは過去の物語の焼き直しに過ぎなくて、情景描写がアップデートされているけれども、物語の中身は昔見たり読んだりしたあの、社会システムと対峙して時には俯瞰し、悩み、苦しんだ結果、まずは自分のまわりを救おうというもので、それであれば別に「エヴァ」や「ノルウェイの森」や「グレート・ギャツビー」でいいか、って思ってしまう。

だから私自身、年取ったなぁ…、と思ったし、全く共感できなかったことにショックと衝撃を受けた。

 

 

何でこんなに繰り返し物語、物語言ってるかというと、それには理由があります。

ひとつは、新海誠監督が村上春樹の強い影響を受けていると思われること。

もうひとつは、その村上春樹地下鉄サリン事件以降、繰り返し「悪しき物語に対抗する物語」を書いていく重要性を説いていること。

村上春樹の話になって恐縮ですが*8地下鉄サリン事件ノンフィクションである「アンダーグラウンド」「アンダーグラウンド2」を書いてから、村上春樹という作家はそれ以降の作品を読むと、意図的にとても強い物語をつくっていこうとしているのではないかと思う。

それはかつてオウム真理教へ没頭していった信者たちの言葉を聴き体験を解体した時に、浮かび上がってきたことが、”物語を持たない人“たちがちょっと怪しい宗教や哲学やオカルト現象やヨガといった精神性を重んじるものに没頭し、また社会の側もそれらを面白がって放置した結果、地下鉄サリン事件が発生したと彼の中で結論付けられているからだと理解している。

だからそんな彼らにも届く強い物語をつくることに苦心していて、そしておそらく、強い物語というのは、骨格がしっかりしていてより人を惹きつける物語なのではないかと考える。

そういう脈絡をおそらくこの監督は知ってこの映画を作っているのではないか?と映画の端々から私は感じ取ったのですが、その結論が、普段物語を必要としない(あるいはあまり読まない)層に届く作品を作ることだったとして、こういう物語のない映画になったのかもしれない…、と思うとそれはやっぱり凄くやりきれないことだなと強く感じた。

なんで知っててこういう映画つくっちゃったんだよ…。

 

 

でも正直、これって自分が年を重ねたからそう感じるのか、それとも年をとったせいで時代の流れを読み違えているのか、あるいは自分の感性が死んだのか、全く見当がつかない。

だから戯れ言として聞き流してほしいなと思うのですが、次回は物語の骨格をきちんと練った映画を作ってもらえたらうれしいなと思う。

 

 

その他

今回舞台の1つとして田端が登場しました。

わりと縁のある場所なので聖地巡礼をするみなさまにお願いなのですが、田端という街は上野や日暮里と池袋という巨大なインバウンドの主役の観光地に挟まれている関係で、結構外国人の観光客もちらほらみかけます。

が、基本は住宅地です。

なので日々のそこで生活をしている人たちの暮らしを尊重してもらえたらいいな、というのと、今回の舞台のすぐ近くに、芥川龍之介の居住地跡がありますので、よかったらあわせて訪れてみてください。

 

 

バニラトラックと拳銃

ネット上でバニラトラックと拳銃の描写について物議を醸し出していたように思うけど、私は大して気にならなかった。

拳銃については、いくら新宿だからといってそんな簡単に拾えたら困るけど、セーフティ外すの結構大変だからそんなにぽんぽん撃てるものじゃなくない?ってくらいだし、バニラトラックはまあ新宿とか渋谷あたりに行くと、実際めっちゃ走っている。

女の子バージョンだったのは、そのあとの陽菜の体験入店の布石だから女の子バージョンだったのかな?くらい。*9

ごちゃごちゃしたリアリティのある新宿を描くのには、必要な描写であったと思う。

 

 

やっぱ5000字強になったな.....。

 

 

参考:

【オフィシャル】

tenkinoko.com

 

【レビュー】(レビューを書くにあたって参考にしました。)

blog.gururimichi.com

 

 

www.yutorism.jp

 

 

mountain999.hatenablog.com

 

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 

【その他】

globe.asahi.com

 

 

【過去に書いたエントリー】

 

iixxx.hatenablog.com

 

 

iixxx.hatenablog.com

 

 

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

 

 

 

ノルウェイの森 (講談社文庫)

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

 

 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題「夏休み」

 

 

 

 

 

 

 

*1:最近の学生さんはなかなか自主休講とかできなくて大変だときいていますが、あの頃は古き良き時代の終わりの終わりあたりの時間だったんだと思う。

*2:どうもインターネットの影響か長い話にじっくり付き合うのがしんどくて、即物的な物語で満足しがちな傾向があります。

*3:そう何度も光を差し込むシーンばっか描かなくても良くない?そんなに頻繁に奇跡的なことが起こったら困るって言うか…

*4:私自身は映画に登場するキーパーソンの須賀さんに近い年齢なはず。

*5:こういう暗示的な隠喩の使い方は村上春樹が小説でよく使う手法である。

*6:一緒に隣で見ていたダーリンに3回くらい“帰ろうよ〜”という目配せした。

*7:描いている人は東京の地理を正確に把握してない気がする。そこはたぶん水没するぞってところが高台として描かれていたので。

*8:たくさん話せるほど私は過度な村上主義者(ハルキスト)ではないです。たぶん。

*9:メンズバージョンも走っていて、メンズの方が最近は遭遇する。

【お知らせ】銭湯フリークインタビューに回答しました

ザっくりととのうサウナ入門さんでの銭湯フリークインタビューに掲載されました!

熱い(暑苦しい?)銭湯愛を語ってますので、よかったら読んでみてください。

 

他にも最近話題のサウナの話、たくさん参考になるエントリーが多いです。

 

 

 

zakkurisauna.hateblo.jp

 

選挙のこと

選挙の雑感

7/21(日)、参議院議員選挙でした。

 

過去に夫婦別姓の話をちらっと書いたことがあるのですが、いろいろ考えた上で今まで政治的な話は意図的に避けてました。

でもノンポリ一般ピーポーだけど、ぼちぼちこういう話してもいいかなと思ったので、感想書きます。

 

東京に引っ越してきてから、衆議院選挙、都知事選挙、都議会選挙、区議会選挙、参議院選挙と、投票した選挙もちょうどひと通りまわったのでちょうどいいかな。

 

 

選挙好きになるまで

いつから選挙が好きなのか?といわれると難しいんですけど、もともと私は選挙が好きで、中学生の頃には選挙特番を終わりまで見て翌朝学校(の授業)で睡眠不足を補うタイプ。

地歴公民科目が好きだったからその延長だったのかもしれないし、家では両親・祖父母と大人が4人いて、選挙の夜にはわいわいガヤガヤとやれ自民党はダメだとか、最近年金政策はなってないとか(←既得権者)、そうは言うけどマニュフェスト読んで投票してるのか?とか(←祖父母は絶対読んでない。)、社会党系は経済音痴だとかやってるのを見て育ったからかもしれない。

早く話に入って政治に文句言いたいから、選挙権くれと思ってました。

大人になってから知ったんですけど、意外と家でみんなそんなにそういう話をしないんですね。

馬券や宝くじ買ったり、野球で阪神巨人を応援するような感覚で投票してる大人を身近で知っていたので、選挙をそんなに真面目な行事だと思ってなかったのかもしれません。

今でもお祭りみたいなものだと思っています。

 

いちおう投票するときにはひと通り候補者の公約は読むし、時間があって気になった候補だったら演説ききにいったりするくらいはしますが、好きでやってるだけなので、他人もそうするべきだとは思いません。

ダーリンには諦めてそういうのに付き合ってもらうけど、夫婦の支持政党や支持する政策は全然違います。

たまにディスカッションになります。

 

 

実家に住んでた時、はじめての選挙は私も弟も親と一緒に行ったし、それ以降の選挙も実家に住民票があって投票の紙がくる間は親からせっつかれるので投票率100%でしたけども。*1

 

 

バックグラウンド

そんな実家の投票先、明確に誰に入れたみたいなことはさすがに言わないけど、それぞれの推しは違います。

やっぱり自分の権利を拡大してくれそうなところにちゃんと投票するのが面白い。

 

右寄り・小さな政府論の父は自民系、教育福祉重視・無党派層の母は自民だったり今なら立憲民主だったり、大きな政府・年金大事の祖父は自民と社民・共産と半々、元教育系職業従事者の祖母は社民とだいたいそんな感じだったと思います。

 

ちなみに私は自称中道左派の無党派層で、ケースバイケースで投票先は自民だったり立憲民主だったりします。

最近の自民党の推し出してくる家族観はいただけない…。

大家族で育ったけど、家族間扶助の要素を重くすることは反対だし、選択的夫婦別姓は早く実現して欲しいです。

 

 

東京の選挙は面白い

引っ越してきていろんな選挙をひと回り経験しましたが、東京の選挙はカオスです。

私は郊外として発展した新興エリアと昔から住んでいる人の多い下町のミックスしたところの出身なので、神奈川の選挙がどういうものか(このエリアは自民党が強いとか、新興地域だからリベラル寄りだとか)というのはだいたい検討がつきます。←選挙特番の見過ぎ...

 

ようやく最近東京全体の感じもわかってきたのですが、東京の選挙はマジで面白いです。

都会ってこういうことなんだなって実感するのですが、本当にいろんなバックグランドを持った人がいるので、立候補する人もバラエティに富んでる。

中には、うん百万円も払って選挙に出て…ってそこまでやるパッションはなんなんだろうな〜って思う候補もいて、まあでもそれもひっくるめて選挙だよねっていう。

 

 

あとは自分の一票がなんか役に立ってる気がする…!っていうのが実感できる選挙が多い。

地方選である都議選も区議選も、投じた一票がちゃんと票になってる…!って感動すらしました。

 

 

実家に住んでたときの選挙も悔しいので毎回行ってましたが、正直言うと心が折れる選挙が多かったし、まあだから千葉とか埼玉とかの低い投票率って気持ちはちょっとわかる。

私の地元の選挙って、ゴリゴリの自民党地盤+創価学会の組織票が強力すぎて、野党もガチの対立候補をあんま立てないんですよね。

勝てなくてもしょうがないという空気が漂っているというか、風頼みな上に風が吹いても勝てないとか…。

ダブルスコアくらいつくのが常なので、毎回それを見続けるのは有権者として結構辛いです。

その上、無党派層が選挙行かないからそういうのばっか通るんじゃん、とか外から言われると心折れるし(うるさいな、毎回選挙に行ってんよ!!と思うけど)、じゃあもう選挙行かなくて良くない?ってなります。

忙しい中行ってるけど、行っても行かなくてもダブルスコアなら行く意味ないよね…。

 

 

これが田舎だったらもう少し議員さんも地域のために頑張ってるのが見えやすいところもあるのだけど、関東近郊って基本的に都会扱いなので、何を頑張って地元に貢献したのかもわかりにくい。*2

だから、あの人ずっと議員やってるのに何も自分たちのためになることしてくれないし、生活楽になんないけど、すごい不便ってわけでもないからなんかもう選挙とかいいよね、ってなるんじゃないかと思うんですけどね。

今回の選挙で言えば、某元県知事が最後の4議席目を取ってて、江戸城より他にもっと大事なことあるでしょう、っていう外野の声はわかるんだけども、次点につけてるのって共産党若い女性候補(主張はいいと思うし立憲民主らへんから出たら通りそうな感じだけど)で、やっぱりちょっと共産党アレルギーの強いエリアとしては苦渋の選択だったんじゃないかな…。

 

 

今回の参議院選

今回の東京は激戦区でしたね。

お天気悪かったので、投票率伸びないだろうから、組織票が強いだろうなぁ…と思っていましたが。

6議席を7人で争う(上位3人は堅いので実質3議席を4人で争う)というエキサイティングな状況で、有権者としては面白い選挙でした。

投票率低いのは本当もったいなかった…。

 

特に前回の衆議院選挙で知ったみらい選挙プロジェクトのアカウント(@miraisyakai)では、世論調査の結果を新聞や日付で表示してくれて誰が当落上にいるのかがひと目でわかるので当落上の候補に入れた人もわりといたと思います。

(これまた結構苦渋の決断でしたが。)

 

 

当落上にいるそれぞれの候補もTwitterアカウントを見てると当落線上にいるっていう認識はあるんだな、って感じでしたね。

武見氏の票はもうちょっと手堅いかなとおもってたけど。

思ったよりも塩村氏に票が入ったなぁというのと、立憲2議席っていうのもちょっと違うんだよな、って思った人も多かったのかな。

票だけ見てると、うまいこと割れれば2議席とれたのかな…。

Twitterで少し話題になってましたが、もしかしたら最後の票取りの部分で山岸氏の筑駒・東大・朝日新聞っていう経歴をポスターに載せたのが不利に働いた気もします。

個人的にはでかいブランド3つは重たく感じて、ちょっと胸やけをおこしそうな感じが…。せいぜい2つまでじゃないのかなぁ。

見た目は爽やかな感じの熱血漢っぽいので、うまくやったら中央線沿いのリベラルの女性票をもうちょっと取れた気がするけど、その辺を逃したんじゃないかな…、とちらっと思いました。

同じような感じで、音喜多氏と柳ヶ瀬氏の海城・早稲田の先輩後輩コンビも経歴を結構出してたように感じたけど、そんなに重くは感じなくて、男子校ってそういう感じだよねって感じでなんか微笑ましいなって思ったので、肩書きや経歴が2個か3個かってところに自分の感覚は分岐点があったのかも?

 

音喜多氏は北区を歩くと選挙期間じゃない時期も駅で立ってるのを見かけることはあるので、ブログとかTwitterとかで炎上するだけじゃなくていちおうちゃんと政治家なんだなぁ、と思います。

ヒマな時に都議会の中継とか見てると、過激でアレなことも多かったり、やり込められてたりもするのでイマイチ大丈夫かなと思うことも多いっちゃ多いのですが、丁寧な情報公開は若手世代としてはいいのかなぁ…、と思います。

 

消費税の引き上げ(←とはいえ多くの企業はすでに増税に備えてシステム投資してるはずなので、今更凍結されてもあばれると思う。)とか改憲とかについて信任したわけじゃないと思うのだけど、どうしてそういうトーンのニュースが流れてくるのかはちょっぴり疑問.....。

 

まあ何はともあれ、選挙は意外とたのしいと思います!

みんな言ってるけど、投票に行こう!

 

 

www.nhk.or.jp

 

お題「最近気になったニュース」

 

*1:弟は家でてからは行ってないんじゃないかな…。あ、でも都知事選は行ったって言ってたかな。新宿まで小池百合子氏の演説聴きに行ったって言ったら“バカじゃねーの”って言われたけど。

*2:親戚が和歌山にいてときどき遊びに行ってたので例に出しますが、二階さんが自民党の中枢に行ってからそれまで停滞してた高速道路の工事が爆速で進んですぐ開通してて、権力ってちゃんと使うとすごいんだな実感しました。

退職のざらざら

“iは決めるまではぐるぐるしてるけど、決断はすごく早いよね。

見た目はおっとりしていてふわっとした女子なのに、気っ風が良くて、中身は男っぽい。”

 

20代の後半くらいに言われてから、割とよく言われる言葉だ。

ちょっとしたほめ言葉だと思うから、文字に起こすと恥ずかしい気もする。

私にとっての迷いと決断とは、上の言葉に集約されていて、それをそのまま実践して生きてきていると思うのであらためて書いた。

 

 

決断することは別の可能性を捨てることだということに腹落ちしたのは、25歳くらいのころだ。*1

ひとつの選択をすることは、あるかもしれなかった別の未来を捨てていくこと。

選べば選ぶほど、このころは人生がどんどんシンプルになって呼吸がラクになっていった。

決断していくことは、呼吸をするのと同じくらい自然なことだった。

 

そんななかで、1つだけ引っかかっていることがある。

 

退職、である。

 

30歳を迎える直前、表面上は寿退職をしたのだが、私にとってはよろこばしいことではなく、これだけは自分で決断した感覚が全くなくて、ざらざらした感触が自分の中に残っているのだ。

 

 

元々、体力はないけど仕事が好きで、働くことがとても好きで。

私の20代後半の人生は、きゃぴきゃぴした女子の思考をトレース&実践して生きてきたので、周りから見ると不思議に思うかもしれない。

その頃あまりうまくいかなくなっていた仕事をどうやったらうまく回せるかという悩みを解決する手段としてほとんど修行のような気持ちで女子をやっていた。

女子っぽい女子をやること自体はとても楽しいので、今もそれは否定しない。

 

同じ会社かどうかはわからないけど、定年までは働き続けるつもりでいたのだ。

だから、辞める時はとても迷って*2、結局体力や気力の面でポキっと折れた気持ちを立て直せなくて、ずるずると流されるように仕事を辞めてしまった、というのが正しい。

うつ病の休職明けだったこと、社内のオトコとの結婚を選んだこと*3、体力と気力不足と致し方ないことではあったのだけど、だから余計に、決断した、という感覚がなくて、抗えない流れに身を任せた、というようにに思ってしまっているのだと思う。

 

そうするしかできない状態に追い込んだ自分自身が悔しかったし、現実を受け入れられるようになるまでけっこう時間がかかった。

 

仕事を辞めて働かなくてもよくなったら、延々とダラダラできるだろうな、という自身に対する危惧のとおり、結構な期間を専業主婦*4として過ごす。

転職に際してつぶしのきかない職種だったことも働かなくていいかという気持ちに拍車をかけた上に、同業他社は二度とごめんだと思っていたことも難易度を上げた。

なまじ条件が悪くない(育産休が整備されて実際に使われてるとか)会社で働いていたせいで、再び働きだそうという気持ちになるのにも時間がかかった。

家事と合わせると、体力的にフルで働くのはけっこうきびしいことはわかっているのに、やりはじめると限界を無視してゴリゴリやるのだけども身体がついてこない。

本当に心の底からごりごり働くことを諦めて、週20hくらいのパートタイムの仕事でゆっくり継続する仕事を探す方向にシフトできたのは1年半前くらいのことで、ようやく気持ちに一区切りつけて、退職のことを普通に話せるようになった。

 

当時はこれはもうこういう流れになっちゃったし仕方ないな、っていう気持ちと面白そうだから今までの自分のやり方をとりあえず変えて乗っかってみようかなという気持ちと半々くらいだったのだけど、決断方法を変える事はやっぱり時間がかかる。

 

できることなら、もうこういうしんどい生き方はしたくないなぁ、と思うのだけど、明日くらいにはころっとそんなことを忘れて、やっぱりしんどいことを選ぶんだろうなって思うけど、年齢を重ねてくるとそういったことも外見に反映されてくるのはそんなに悪いことではないように思う。

 

これから先も、ぐるぐるざらざらする決断をしたり、思い出しては悶絶したりするのだろう。

 

 

 

*1:私の24歳〜30歳くらいまでの人生は時間の密度が濃厚すぎて、思い出すと甘露のように甘く、あれだけ自分の人生に吐きそうになるくらいコミットした時期はないと思う。

*2:辞める直前に結婚の報告をしたときには旧姓使用届を出すくらいには続けようと思っていたのだ。

*3:社内婚はそこそこ多く、実際夫婦が同じ社内で働いているケースはよく見かける会社ではあったけれど、将来的な転勤リスクやけじめをつけないとやっていけない自分自身の頑固さも相まってどうしても自分自身を納得させることができなかった。

*4:という名の無職ライフと夫の家事スキル育成期間を謳歌したのだが、世の中の専業主婦の方と同じ名称で括られるのは憚られるくらいダラダラしていた。

Thank you,平成. Hello,令和☺︎

触発されました。

2つのエントリーを読んで、私も書きたいな、と思って平成の振り返りをしたらとても長くなってしまいまいした。

 

hase0831.hatenablog.jp

 

nennennen.hateblo.jp

 

 

はてブにあがってくるエントリーやブログで、平成のふりかえりをしているエントリーを読んだ。

個人的には改元ってお祭りみたいなできごとなの?と思っていたのだけど、*1いいなあ、たのしそうだから私もちょっと書きたいな、という気分になったので、自分の平成のふりかえりをしようと思う。

 

 

平成のはじまり(1989〜1998)

こども時代

私はかろうじて昭和生まれなのであるが、当時の記憶はほとんどない。

平成がはじまるすこし前に弟が生まれて、たぶん我が家はてんてこ舞いだったと思う。

自営業に近い業態のぎりぎりサラリーマンの父と、いつもなにかの仕事をしている兼業主婦だった母、私と3つ下の弟という平均的な家族構成。

父方の祖父母は遠方であったが、母の実家は同じ市内にあったのでそこそこ子育ての手助けも得られるかと思いきや、彼らは家事などの家のことは壊滅的にできないという人たちで、どちらかというと一人っ子である母の援助がなくては生活できるかあやしかった。

結婚して家を出て家庭を作っていたけれど、幼い子供を2人抱えて、深夜に帰ってくる父親を待つ生活はいま考えると結構しんどかったのではないかと思う。

弟が生まれるまではひとりっ子でありったけのわがままし放題で育った私は、弟ができたことにとまどいつつも、ちょっとずつちゃんとお姉ちゃんになっていき、マイペースで強引でジャイアンみたいなベースの性格ではあれど、人並みのコミュニケーション能力はたぶん身につけられていたと思う。

当時住んでいたマンションには同じくらいの年代の子どもがたくさん住んでいて、マンションの庭や近所の公園で遊んだ記憶があるが、ゴーイングマイウェイな性格は変わらず、悪い意味でいい性格だったというエピソードが山のように出てくる。

男の子と遊ぶことが多くて、おてんば&トミカプラレールミニ四駆みたいな遊びから女の子遊びのおままごとやリカちゃん人形遊びまで幅広く、今エピソードを聴くと、恥ずかしいやら、おいおい…って思うやら....,。

よくそれで集団生活にちゃんと馴染めたな、という感じだ。

近所の幼稚園から小学校に進んで、いろいろな幼稚園や保育園から入学してくるの子達とミックスされてそこそこ多様性も保たれたニュータウンの平均的な小学校で、友達にも恵まれて楽しい学校生活を送った。

転機が訪れたのは1994年のこと。

母方の祖父母が年齢を重ねて体が弱りボケはじめたことがきっかけで、そちらの家に引っ越すことになった。

ちょうど母も働いていたので、家にひとりで私を残しておくのが心配だったのもあったのだろう。

当時弟は保育園に通っていて、私は2年間学童保育に通ったあとにそれをやめて、家で留守番していた。

もっともお稽古ごとに通っていたので、あまり家にいる時間も多かったわけでもなかった。

保育園から弟を拾って仕事から疲れて帰ってくる母を見て育ったので、なんとなく大変なのがわかっていたからか、大人びた子どもに変貌していた。

朝7:00に自分で起きて、トーストを焼いてズームイン朝のニュースコーナーを見たあとに*2母親を起こす。そして着替えてからひとりで集団登校の待ち合わせ場所へ行っていた。

学校から帰ってきてからはのんびりお茶したり、本読んだり、こっそりお母さんのハイヒール履いてお化粧したりしつつ、帰ってくる頃までにお風呂の掃除をしてご飯を炊いて洗濯物を取り込んで畳んでおくくらいには家のこともしていた気がする。

そんな状況であったので、母方の祖父母と母のそれぞれの利害がある程度一致をみて*3サザエさんの生活をスタートさせることになった。

 

 

転校と中学受験 

小学校高学年にはじめて転校を経験したのだが、これが大変だった。

今までのミドルな家庭がほとんどだった学校から、上から下まで様々な家庭が混ざる昔ながらの混合型の学校への転校だったのと、人に合わせるということをあまりしないジャイアンみたいなゴーイングマイウェイの性格が災いして、クラスからはじかれるのは必然だったように思う。

明るい性格の快活系女子だったのではじめはそこそこクラスに馴染んだ。

ところが、新しい学校はどちらかというと昔ながらのカルチャーで閉鎖的で昔からの人間関係が根付いている。

それに加え、どちらかというと古い産業に依存して栄えたタイプの街であったのが私にとっては不運だった。

山一証券拓銀日債銀の破綻した時代の空気と産業構造の変化をモロに受けて*4、クラスの人間関係はいわゆる格差の拡大の進行を体験することになり、一気に難しくなっていった。

となりのクラスは学級崩壊していたと記憶している。

また、ゆとり教育が検討されて実際に導入されはじめた時期であり、公教育への不安が親世代の間で広がっていた時でもあった。

その頃、中学受験をできるかできないか金銭面と学力面でギリギリのラインの家庭は、教育費に振り切る選択をしたところが多く、当時のクラスのだいたい1/3くらいが私立の受験をするような環境になったのも結果的に学校の空気と運営を難しくした。

いま考えると、同じような成績なのに親の資力がストレートにモノをいうという現実を間近で見せつけられる方はたまったものではなかったと思う。

私自身がクラスではじかれたきっかけは、何かのときに既存のルールをすっ飛ばしたことだと思う。

もともとしっかり馴染んでいたわけではなかったが、弱い者をはぶいていく空気に迎合することを良しとできない頑固な性格で、これ以上この地域で生きていくことはで難しいという結論を出したのは10歳とか11歳くらいの時だ。

頭が良かったわけでも実家がお金持ちであったわけでもなかったが、早い段階で地元の中学に進むことを拒絶した。

母の母校でもある学区の学校がマジでやばいことは昔から有名であり、母も私がそこで生き抜けるかは微妙だと踏んでいたフシはある。

両親の間で話し合いがもたれた結果、

“中学から大学まで私立で行くのはきついけど、中学高校で私立に行くか大学で私立に行くかは本人に選ぶ権利がある”

(どっちか国公立ならok。あとでこれは破ることになるのだが…)

というところで落ち着いて中学受験をすることになる。

 

おバカな部類であろう娘の将来を案じたのか、折角お金をかけるならと地元の塾へ行かせずに、ゴリゴリの進学実績(御三家クラス)を出していた小さな塾に放り込まれることになり、めちゃくちゃしごかれた中でマイペースを貫いた結果*5、滑り止めで受けた偏差値は高くないが歴史と女学校のプライドを持つ女子校に進学することになる。

とにかく、地元の人間関係から脱出することに成功し、窮屈な知り合いの目線もなくなって自由になるのだ!と思ったことを覚えている。

同じ頃にはじめてインターネットなるものに触って夏休みの自由研究として発表した結果、その自由さに魅了される。

塾通いをしていたのでPHSを持ちはじめたのもこの頃だった。

すごい勢いで変化して行く時代の空気を感じていたのを記憶している。

うねってるなぁ〜という感じで、いろんな意味(社会階級の移動とか)で、アップダウンが激しくなるのだろうなとなんとなく思っていて、まあそういう時代に生きているのは良くも悪くもしょーがないなと思うようになっていった。

 

 

ミレニアムイヤー前後(1999〜2004)

女子校ライフ

すべり止めで入った学校(しかも女子校!)だったので、はじめはブーたれていたのだが、入った学校は歴史と伝統とプライドのある女子校*6で、良くも悪くも根性から叩き直されることとなる。

とは言っても、特段厳しいわけではない。

どっちかというと普通に学校生活を送っていくと、ふつうの世間一般で通用するルールと常識がインストールされるので、のびのびやれて自分の性分には合っていたと思う。

ちかくの街や通学経路などあちこちに卒業生がいて、制服が有名なので通学で街を歩くと卒業生に声をかけられることも多かった。

電車などで下品な行為をしていると祖母くらいの年齢のOGから苦情の電話が学校に入ったりするので、周囲の目線もきちんと考えるようになる。

通ってくる子は自営業のお家の子や大企業のサラリーマンや士業といったタイプが多かったようだけども、通ってるときは全然そういうことを知らなくて、守られたエリアで落ち着いた学校生活を送れる場所であった。

もちろん、思春期の多感な時期の女子ばかり集めているのでいじめや問題はしょっちゅう起こる。

でもそんなに賢くないからか*7、大問題に発展することはなかった。

中学の前半は母が運動部に入れというので上下関係の厳しい運動部に所属していたのだが、頻繁に先輩とケンカして問題を起こす問題児であった。

ケンカの原因は意味不明な部活のルールに文句を言ったり説明を求めただけだと思うのだけど、運動部のルールは説明できるルールなんてあって無いようなものである。

文句言いで目立つ性格だったため、1つ上の先輩には目をつけられやすくしょっちゅう衝突していたのだが、最終的にきちんとやることをやっていない人に説教されることに耐えかねて1年で啖呵切って退部することになる。*8

 

入ってから知ったのだが、この学校はそこそこゴリゴリ勉強をさせる学校だった。

私立によくある成績別のクラス分けをするので、勉強する方に入ると勉強が苦手でなければ気楽なものである。

数字が人格とまではいかないけど、成績がよければいろんなところが多少破綻していてもさしたる問題はなくて、クラスメート達は頭いいけど変わってる子だなぁくらいの判断して放っておいてくれるので*9、小学校よりは確実に生きやすくなった。

特段懸命に勉強したわけではなかったが、中学受験のスパルタ勉強が効いたのか、中学高校は勉強の苦労はあまりなかった気がする。

逆にいろんな子にどうやって勉強してるのか質問されることも多かった。

授業は寝ていることも多くてノートが真っ白なこともあったせいかもしれないけど…

ただ単に、私はやりたいことを追求していただけだった。

好きな本を読み漁ることも、長い文章を思うままに書くことも、歴史を追っていくこともだいたいこのへんで培った素養だ。

中学2年・3年とクラスの担任(同じ先生)とは笑っちゃうくらいウマが合わなくて、教室内で問題が起こると大概私が呼び出されるくらい職員室の説教される側の常連だったが*10、評価は真っ二つに割れていた。

成績は悪くなかったので、アイツ面白いなと思ってさり気なくフォローして泳がせておいてくれる先生と、徹底して人格を若くて変われる今のうちに変えた方がいいとする先生といて、成績表は点数以外のところが悪くて評定は安定しなかったけど悪くはなかったはずだ。

運動部をやめたあと、余った時間とエネルギーの解消と、ルールを変える側になろうと思いついて生徒会に潜り込んだ。

生徒会役員は選挙で選ばれるのだが、当時(中2)の担任と相性が悪く、立候補したのがバレたら阻止されるだろうと予測して担任には秘密裏に立候補して通過したのが原因で、選挙の規則に”生徒会に立候補するものは担任に相談すること“と追記されたのもいい思い出…(たぶん)。

初回以降は、生徒会顧問の先生が担任に直接フォローしてくれるので立候補にするのに苦労しなかった。

その後、きちんとやることはやるタイプだという評価を受けて、卒業するまで生徒会活動には携わるのだが、これはなかなかできない経験をつめるので楽しかった。

若い時から組織をどうやって動かすのかみたいなことを、実際に自分の手を動かしながらできるのでかなり楽しい活動だった。

この時代のことがなければ、今住んでいる街に住むこともなかったから、人生ってなにがきっかけでどう動くかわからないからおもしろい。

 

 

また学校のなかの安全な範囲での活動に飽き足らず、当時少し変わった通信教育を受けたことがきっかけで、インターネットにのめり込んだ。

きっかけとなったのは電塾というシステムである。

新しい技術だったインターネットを使った通信教育のソフトで、基本は勉強するためのソフトであるのだが、ある程度制限がかかったなかで全国のさまざまなの子たちと繋がることもできる不思議な空間で、これをきっかけにしてインターネットにのめり込んでいった。

チャットで夜ごとおしゃべりしたり、チャットで出会った人と遊びに行ったり*11、ホームページをつくって思いついた文章をつらつらアップしたり、オタク活動にも足を踏み入れて一環として2次創作(小説)を書いたりと様々な活動にのめり込んで、リアルとネットの別人格を行ったり来たりするのが楽しくそれなりに充実した時間を過ごしたように思う。

高校生になるころにはクラスの携帯電話所有率は100%になっていて、以前よりもも安価で通信が利用できるようになっていた。

 

 

オフライン回帰のSNS時代(2004〜2015)

大学時代

中学〜高校のあいだはある程度ごりごり勉強したが、いかんせん東大をねらえるレベルまでに到達しなかった。

進学にあたってひとつ問題が起こる。

学費を先食いしたので”国公立“に行かないと大学に進学できない問題である。

しかも”現役で“、という条件付き。

都会は楽しい。

それは6年間でよくわかっていた。

キャンパスライフは都会で過ごしたい!

都会の国公立には届かないけど、どうにかしたい。

自分の親なので、進学の決定権を持つ父が自分を上回る頑固親父であることはよくわかっていた。

高校卒業前の2年のあいだ話していて、有名私大は絶対にダメだというと思うけど、とんがっている私大に行きたいって言って首を縦に振るかどうかは5分5分くらいかなぁ、という感じ。

国立大学は受けて落ちたが、すべり止めとして受かった私大に進学することになる。

2ヶ月くらい毎晩プレゼン攻撃をしたり、説得工作をして根負けしたのと、多少余裕があったからかもしれない。

 

大学に進学してから、真面目に勉強するか?と言われれば、まあそんな訳はないのである。

・4年でストレートに卒業すること

・これ以上の学費以外の金銭的援助はしない

という2つの条件を守ればよくなったので、大学生になってはじめの2年はオタク生活を満喫するためにひきこもり生活を謳歌した。

家にいるときもあれば大学の図書館や部室にいることもある。

でも授業は最低限しか出ない。

夏と冬は朝からコミケに行ったり、声優のライブに行ったり。

ぎりぎりゆるい空気が流れていた終わりの時代だったので、テストができれば単位は取れる、という感じの科目がそこそこある学校だったのである。

大学ではごりごり勉強するタイプから全く学校に来ないでバイトに熱中するタイプまでいろんなタイプの学生がいたが、全体的に見るとのんびりした校風だったと思う。

のびのびした学生が多くて、突出してとんがったタイプはいないけども、それぞれが好きなことを好きなようにやっていた。

高校3年間のあいだ村上春樹の全集を読んで以来、そのスノッブの空気に憧れていて、実際そういうキャンパスライフを送った。

商経済系の学部に進んだのに、1年の時の半期のゼミは“村上春樹論“*12を選んだくらいだ。

このころは本を読んだり映画を観たり、喫茶店やカフェで過ごしたり、ラジオを放送したり、文章を書いたりたまにアルバイトに行ったりして無駄なことの集合体みたいな時間を過ごした。

 

後半の大学3、4年は、もしかして私このまま行ったら社会不適合者になるんじゃない?ということにハタと気がついて、とりあえず動的なコミュニティにアクセスしよう!と思いつく。

ちょうどこの頃mixiが流行していたので、先輩に紹介してもらって久しぶりにコミュニティにアクセスしたのと同時に、就職に向けて新しいコミュニティに入って他大のめちゃくちゃ意識高くてかわいい女の子達と交流したり、いけばな教室に通い始めたり、上下の学年や他大学やいろんな人たちとの交流が活発なゼミに入り込めたので*13、アクティブに活動して行くことになる。

プレゼンを主体としたゼミだったはずだが、初回の自己紹介以降何も発表しないで飲み会だけ参加する幽霊ゼミ生だったことは今の現役の子達には言えない秘密である。

幸い入ったゼミは3年次からめちゃくちゃ就活のフォローをしてくれるゼミでもあり*14、のんきな私でも”大学卒業したら働かないと生きていけないのか〜。そうだよな〜。”というのがわかるようにしてくれたので、就活の滑り出しはわりとスムーズだった。

ただ、元々そんなにもりもり働きたい気持ちがあるわけではなく、バリキャリよりはゆるキャリ寄りのキャリアを積みたいと考えて、有給休暇が取れて女性でもそこそこ働けそうでわりと高い給料をもらえそうだという理由でなんとなく日系メーカー志望してたレベルである。

一緒に就活していた就活コミュニティの女の子達がキラキラして見えて、それぞれ商社だ金融だメーカーだ戦コンだ広告代理店だのという軒並み有名な会社の内定を取ってきているところを見ると、自分の優秀さにはまったく自信がなくてやっぱ働くのムリな気がする、どうしよう…って落ち込んだり、4年の冬まで就活しててほんと死にそうではあったのだけど、ぎりぎりのところで金融系の会社に内定が出て無事に4月から働き始めることになった。

大学4年での卒業は少々あやしかったものの、ゼミの先生がぎりぎり取れそうな単位の教授に口添えしてくれたり、講義で会った教授には挨拶して“卒業したいんだけど、これ取れないと卒業できないんです”的なことを言っておいたり*15、出席足りてない分のカバーレポートを提出したりしてなんとかかんとか4年で卒業した。

部活の後輩には

“絶対4年で卒業できないと思ってたのによく卒業できましたね、どんな手を使ったんですか…”

と呆れられた。

 

激動の20代

入った会社は、想像していた通りのゴリゴリの古き良き体育会系カルチャーの日本企業で、こんなところで生きていけるかしら?と思ったものだったが、案外自身の適応力は高かった。

女の子なのでひどい残業はなかったし、ひどい仕事やら分厚いファイルが飛んでくる現象やら電話で怒鳴られるやらといったことは、ないではないが概ねどこの会社でもそんなものかなあ、という感じで、日々一生懸命働いているとお局さまにもなぜか可愛がられ、わりとナチュラルに職場に適応した。

勉強しないと仕事についていけないので一生懸命勉強したのだが、同期の女の子たちは勉強するよりも合コンとかに精を出していて、いやそんなに頑張らなくても良くない?って言ってたのが不思議で仕方なかったのだけど、彼女たちは今も変わらずに結婚出産を経て同じ会社で同じような仕事をしているので、それはそれでひとつの正解なのだと思う。

その後2年くらいしたら異動になって、業務内容は難易度を増した。

面白い仕事ではあるのだが、かかるストレスは半端なく、それを発散して吹っ飛ばすためにキラキラした女の子達と夜遊びを始めることになる。

お化粧、ファッション、出かける街を一新すると会える人が変わった。

24歳。

ぎりぎり20代前半で、街に出ればかなり楽しめる年齢。

今まで怠っていた分、外見を磨けば磨くほど変わっていくので、目に見える変化があるの良かった。

夜の街はめちゃくちゃ面白く、魅惑的で、それに魅入られて夜の世界へ転職する子もいて、こんな不景気な時代にもこういう華やかな世界があるのだ、という事実が新鮮で足かけ5年くらいは遊んでいたと思う。

その間にお友達はどんどん結婚していって、いくつもの結婚式に出た。

みんな幸せそうでいいなぁ、と思ったけれど、結婚したいという気持ちはそこまで強くなくて、まだまだ稼いだお金を流すように使って遊んでいたいみたいなことを思っていた。

やっぱ結婚したいかも?と気づいたのは28歳くらいになった時だと思う。

周囲から結婚についていちいち言われることにものすごいストレスを感じ、また実家で生活するのに限界を感じたのもこの頃だ。

顔を合わせるたびに祖父母からグチグチ言われることも、肌に合わない育休明けの先輩が戻ってきて事あるごとにぶつかる面倒くささもストレスフルな生活に輪をかけた。

この頃は、よく抱えている問題全部にダイナマイトを放り込んで爆発させちゃえばいっそ楽なのにな、などと物騒なことを思っていた気がする。

加えて、久しぶり会った仕事の飲み仲間(現夫)との飲みが思いのほか楽しく、何もかもから逃げたくなった私は、都会の生活から物理的にいっとき離れる遠距離恋愛をはじめたことで、身体が悲鳴をあげたのだろう。

ある日突然、ぷつんと糸が切れたように涙が止まらなくなって、会社に行けなくなった。

30を目前に控えた29歳の時のことだ。

このあたりのことはこのブログをはじめたきっかけとなっていて、過去のブログに丁寧に綴っている。

 

以下リンクしますが、全く楽しくない話です。

 

         10 11 12 13

14 

 

 

今読み直してもきついな、しかし…

シンプルに書くと、29歳から30歳になる1年のあいだに、鬱になり休職して復職したが結婚して退職した。

身体は限界なのに嵐のような激動の1年で、忙しすぎてほとんど記憶にない。

 

 

リストラクチャリングを経て(2015〜現在)

おまけ(と思って生きる)の人生

結婚して仕事を辞めてからもしばらくは生きていくこと自体が大変だった。

今のところ実行したことはないが、死にたくなったことも1度や2度ではない。

鬱から回復したとはいえ、天候によって気持ちも身体も左右されるし、以前よりも全くコントロールのきかない身体になったことをしばらく受け入れられなかったのだと思う。

いつかは健康体に戻れる*16と信じて疑わなかったのだけど、さいきんようやくそういうことではないんだな、ということが実感としてわかるようになった。

平均的な人よりも少し早く老化現象が起こったようなものなのだろう。

要するに、ピーキーな体調管理のキモは自分の身体の違和感を見過ごさないということなのだろう。

ここ1年は週20時間くらいであれば働けるくらいに回復しており、気候にもそこまで左右されずに過ごせるようになってきた。

銭湯通いと交互浴の効果もかなりあったと思う。

平成から令和へ。

元々アップダウンはありがちな人生だなぁとは思っていたけど、今読み返すとやっぱりけっこうアップダウンあるな。

自分の人生をどうにかしたくて、無茶もけっこうやってきた10代、20代。

それはそれで大変だったけど楽しかったな〜と思う。

結婚して夫婦となったので、自分も大事にしつつ、これからはダーリンも巻き込んで楽しい人生を生きていきたいなあ、思います。

 

新しく、みんなが生きやすい時代を作っていきたいですね!

どんな時代になるのかなぁ。

 

いまのところ、伝統文化をもう少し掘り下げていきたいなと思っていて、ちょっとずつ広めていくお手伝いをできたらなぁ、と思っています。

まだまだ行ってみたい国もたくさんあるし。

 

いまからわくわくしています。

 

最後に、大好きな小説「アムリタ」からとても好きな一文を。

私は私の人生が本当に気に入っていて、申し訳ないくらいだ。こんなの気の持ちように違いないから、頼むからみんなもそう思ってほしい、とたまに心から思う。

 

アムリタ(上) 1.慈雨 より (角川版が好きです。)

 

 

  

 

今後ともよろしくお願いします。

 

*1:なにせ令和になる瞬間はお祝いとかのムードは全然なくて、実家でダーリンと頭文字D〜東堂塾編〜を鑑賞していたくらいだだった(笑)。

*2:朝のズームインのプロ野球のコーナーが結構好きだった。

*3:これが全然一致していなかったことが20年後に噴出して大変な騒ぎかつ祖父母と両親の間に埋めようのない溝が生まれるのであるが。

*4:両親が地元の主要産業である第2次産業に従事している人もそこそこおり、子供の人間関係に親の会社の上下関係が持ち込まれていた可能性は高い。

*5:これだけしごいたのにこんなに勉強しなかったやつはいままでにいないと言われるくらいレベルの低いスコアを記録した。

*6:よくいえば保守的、悪くいえば古くさい。親戚や母が学校の卒業生という子も多くて、いちばん古い子は曽祖母、祖母、母ときて4代目だとか!

*7:隠蔽が下手なのである。そして多少賢い子は比較的自分の自由が効くのでわざわざ問題に突っ込まない。

*8:”赤点とってる人に説教されたくありません!“とか言ってたような…

*9:変わってるけど面白いと思って寄ってくる類友も多く、今でも仲のいい友達は結構いる。ダーリンにiの友達は変人ばっかだけど類友なんだなと言われていたが...。

*10:私は教室で何が起こったかは大体把握しているが傍観を決め込んでいることがほとんどだった。おそらく、日頃の授業態度が壊滅的に悪い私を呼び出して説教しといたらクラスのガス抜きくらいはできるだろうというのと、さり気なくクラスの状況を聞きだしたいという理由で呼び出されていたのだと思う。実際あんまりお説教聞いてなくて、テキトーに聞き流してたし…。

*11:当時はネットにいる中学生ってまだめずらしかったので、けっこうおもしろがってもらいました。

*12:なんであの学科にこの講義があったか謎ではある。

*13:人気ゼミだったので面接方式だったけどなぜか採用された。

*14:前後同期のゼミ生達は実際に優秀でほとんどが大企業で働いている。その結果、優秀な奴が集まるらしいという噂がまわってわりと今も人気ゼミらしい。

*15:逆効果になるタイプの教授もいるので見極めが大事。

*16:徹夜で遊んだあとに仕事に行けるくらいに戻れる