閑話

天気:曇り

睡眠:微良好

起床:12:00

体調:そこそこ。肩が回るようになってきた。ああよかった。

 

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わたしの20代について少し思いついたこと。

おそらく、うつになったことについて、不眠になる前の時期の過ごし方も少なからず起因していると思う。

 

20歳になりたての頃、わたしはごく普通の大学に通う女子大生だった。

一応文化系の部室のある部活にも入り(その理由は、活動しなくてよくて部室があることだったのだけど)、ゼミにも入り、アルバイトもし、時々飲み会をしたりして過ごしていた。

 

 

ちょっぴり変わったところがあるとすると、前半は完全にオタクで腐女子で引きこもり、だったこと。

人付き合いがあまり得意でなく、眉を整えることすらも大学に入ってようやく覚えるくらいだった。

外見にもあまり興味がなかったし、ジーンズ、Tシャツ、スニーカーといった感じで学校にも通っていた。

(なんてこと・・・!)

1限の講義はめんどくさいので時々自主休講を決め込み、実際のところいくつか単位を落としたり、気分が乗らないときはやはり勝手に休講を決め込み、図書室や部室で本を読んだりしていた。

(だから大学にはいたんだけど。)

 

 

20歳になり、失恋をしたことで、あるときこのままではいけないと思い、今までとは別の、それこそものすごく活動の多いゼミを選んだ。

運よく、そこに入り込み、少しはお化粧と外見にも気を使うようになった。

まあ、それでも男子はどんな格好をしてくるかという賭けをしていたみたいだけど(笑)

お笑い芸人系ではあるものの、引きこもりとオタクの趣味は自然と卒業し、そこそこ他人とコミュニケーションをとれるようになっていた。

今もときおり大学時代の友達と会うことがあるけれど、もうこの頃の私を忘れているのではないか(と願っている。正直。)。

いちおう、現在は時々ゼミに帰ったりすると(ひとえにゼミの担当教官の人徳だと思うんだけど、縦横のつながりが割と強いゼミで卒業後に知り合う現役ゼミ生や入学前のゼミ生などいろんな人と交流があったりする。)、綺麗なお姉さんのキャラを通している(つもり)。

実際どう見られているかは不明。

いじられキャラは、この時期に培われたものかと思う。

 

 

風向きがさらに少し変わったのは就職活動だと思う。

人よりものんびり、おっとりしていてたわたしは、当時の就職課の催すイベントをことごとく無視していた。

本来であればいろいろ相談にのってくれるはずであるこの課だが、わたしにとっては一番苦手なところだった。

そんなこともあり、大学以外で仲間を作ろうと思った。

エントリーシートをお互いに添削したり、ずけずけ言って面接の練習をしたり。

そんなことをしていた。

この時期に知り合った子達は、みんなかなり優秀だった。

早々に内定を取ってくる。

そんな中、いつまでも決まらないのはわたしだけだった(笑)

とはいえ、なんとなく、なんとかなるだろうという根拠レスな自信の元、彼女達の協力もあり、曲がりなりにも内定をとり(4年冬だったが)、とりあえず会社に入り込んだ。

今もかなり優秀だから、結婚したり、仕事したりしていると思う。

たまに雑誌に登場していたり、海外に住んでいたりする子もいる、と書くと、優秀さを想像していただけると思う。

ちなみにわたしは全然ダメな方。

当時から言われていたことは、まあでもなんだかんだ言って意外に堅実に人生歩いてキャリアウマーンになるか、お母さんになってるか、たぶん活躍してるよね、ということ。

ダメなこと結構しているし、一般のコースからは外れるけど、なんか見ていて不安はないよね、みたいな。(これは本当にあらゆる方向から言われる。今も。)

そんな彼女達は、平均年収も多分一般の女性より高い。

当時の中核にあったそれぞれのイメージの延長線上で今生きているのを見ると、すごく納得感があり、それでいて不思議な感じがする。

この経験を経て、ともかく、わたしは元々の明るく朗らかな性格を取り戻したような気がする。

(自分でいうのもなんですが、blogなのでお許しください。)

 

 

社会人になって、しばらくして。

”人に弱い”という弱点がわかってきた。

本音がわからないから、提案の捉え方を間違ったり、ビジネス上の地雷をぼこぼこ踏んだりして同期の中では代表としてだいたい怒られることが多かった。

一番ミスの数も多かったんじゃないかと思う。

1年目は割としょっちゅう改善書みたいなものを書いていた気がする。

それでも、毎日新しいことを覚えてゆくのは楽しかった。

ただ一つ。

”出会いがない。”

女として花の時代を迎えているこの年代に、デートのひとつもしないのはなにか問題があるのではないだろうか。

 

”何より、1回くらいモテてみたいし、デートで予定を埋めてみたい。人の反応に弱いから、人の反応を研究してみたい。”

 

そんな理由で、わたしは夜遊びを開始した。

ちょうど、そういうことが得意な人と出会うことができたことは幸運だったと思う。

メイク、お洋服、ダイエット・・・・。

失敗に失敗を繰り返しながら、金曜に仕事が終わると繁華街に繰り出した。

当時は今ほど風営法規制が厳しくなくて(最近緩和しているみたいですが)、夜から遊びに出かけて朝に帰ってくることがざらだった。

限界まで仕事をして、週末には盛り場へ繰り出す。

そこで出会う人たちはみんなエネルギッシュで、野心に溢れていた。

ともすると、闇の方へ引っぱりこまれるような感じもあった。

そのあたりは、ヤバさを見分ける直観が働くのか、わりとうまくバランスを取れていたと思う。

女の子達はカワイイことと綺麗なこととリッチな男の子やイケメンにしか興味がなくて、男の子達も綺麗だったりカワイイかったりする女の子にしか興味がない。

綺麗なバーでデートをしたり、お酒を飲んだり。

こういうところで会う男の子のいいところは、よくも悪くも素直なことだと思う。

素直で野心的でエネルギッシュで俺様。

時々詐欺師的な人もいないことはないけれど、基本的には言葉と言葉の持つ温度が同じだった。

あらゆる反応をしたり、あるいはされたり。

そういう生活を結局5年くらい続けて3桁くらいの人と出会ったけれど、どの人も割とみんな優しかったし、いろんなことを学べる人が多かった。

男の人の反応、というのもだいぶ学んだように思う。

デートと遊びとその合間に生け花をやっていて、何かを考えている暇はなく、疾走するように毎日はすぎていった。

資産はほぼ、ゼロに近く、毎日刹那的に生きていた。

お金という名の資産はゼロだけど、経験としての資産はかなり身体に残った気がする。 

お洋服のブランドや素材やどこの国で作られるかとかフォルムとかDIYの精神や美味しいご飯屋さん探し、お店に選ばれるということ、センス、街の特性、などなど。

 

そうしていたら、地震が起きた。

街の電気はあるにはあったが最盛期よりは少なくなり、徐々にあらゆるところに立っている警察官の数が増えた。(ように感じた。)

だんだんと街に出かける元気もなくなり、いくつかの結婚式にも出席した。

結婚式の招待を受けてはじめて、わたしは自分が適齢期にさしかかっていることに気がついた。

まだ遊びたい、という気持ちと、そういう毎日に飽きてきた気持ちとが天秤で揺れる。

自分の人生を、どう生きようか、再考する時期に来ていた。

 

 

そして、わたしは、ゼロまでいってみよう、と思ったのだ。

やり直しをパワーで乗り切れる20代のうちに。

 

 

ゼロまでいかなければ。

新しいことをしなければ。

環境を変えなければ。

あれもこれもやらなければ。

自律した優しい大人にならなければ。

そのためには、苦労をしなければ。

 

 

この後、そういった"must"で思考は埋め尽くされていった。

そしてわたしは、2012年、不眠になった。

 

 

そこから、2年。

今うつになって思うことは。

やっぱり少し速いスピードで20代を生きた気がする。

そのこと事態は、わたしは楽しかったので特段の感想はない。

ただ、これ以上は無理なんだな、というかどこかでやり方を変えようとしていたのだけれど、なかなか勢いがついている流れの方向転換は難しくて、それをするために、身体がストップをかけたのかな、と今は思う。

今まで自分のことで精一杯だった。

そろそろ、他人と歩調を合わせて歩くことを覚えようと思う。

 

大好きな女優、オードリー・ヘップバーンの名言。

年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。
ひとつは自分を助ける手。そして、もうひとつは他人を助ける手
As you grow older you will discover that you have two hands; one for helping yourself, the other for helping others

 

そんなこと言っても、喉元すぎればなんとやら。

欲望だらけになっていたりして。